コレクション名 |
資料番号 |
表題 |
年代 |
内容 |
画像 |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-015 |
転切支丹之類族本帳洩候者共之帳(元禄六酉年八月廿五年) |
1776(安永6)年 |
五島藩において、禁教以前にキリシタンであった家を対象とし、彼らが立帰(復宗)していないかどうかを調べさせたもの。本資料は、類族帳原本に記載洩れしていた人物を収めている。 |
画像 (28) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-016 |
転切支丹之類族進加帳(元禄八乙亥年五月十三日) |
1776(安永6)年 |
五島藩において行われた転びキリシタンの子孫の調査をまとめたもの。村や転びキリシタンの人名ごとに見出しの付箋がついている。 |
画像 (164) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-017 |
転切支丹之類族新洩者帳(享保十六亥年) |
1776(安永6)年 |
五島藩において行われた転びキリシタンの子孫の調査をまとめたもの。 |
画像 (36) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-018-1 |
往生要集 地獄物語 上 |
1883(明治16)年 |
恵心僧都源信が浄土宗の観点から極楽往生について説いたもの。当館では中巻を欠く。 |
画像 (40) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-018-2 |
往生要集 極楽物語 下 |
1883(明治16)年 |
恵心僧都源信が浄土宗の観点から極楽往生について説いたもの。当館では中巻を欠く。 |
画像 (36) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-019-1 |
天草軍記 一、二 |
江戸時代 |
キリシタン禁制が強まっていくなかで、島原・天草一揆のことを歌舞伎や浄瑠璃などで取り上げることも禁止された。しかし当時の状況を伝えるものは数多く作成されており、本資料もそのひとつである。 |
画像 (41) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-019-2 |
天草軍記 三、四 |
江戸時代 |
キリシタン禁制が強まっていくなかで、島原・天草一揆のことを歌舞伎や浄瑠璃などで取り上げることも禁止された。しかし当時の状況を伝えるものは数多く作成されており、本資料もそのひとつである。 |
画像 (41) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-019-3 |
天草軍記 五、六 |
江戸時代 |
キリシタン禁制が強まっていくなかで、島原・天草一揆のことを歌舞伎や浄瑠璃などで取り上げることも禁止された。しかし当時の状況を伝えるものは数多く作成されており、本資料もそのひとつである。 |
画像 (41) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-019-4 |
天草軍記 七、八 |
江戸時代 |
キリシタン禁制が強まっていくなかで、島原・天草一揆のことを歌舞伎や浄瑠璃などで取り上げることも禁止された。しかし当時の状況を伝えるものは数多く作成されており、本資料もそのひとつである。 |
画像 (40) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-019-5 |
天草軍記 九、十 |
江戸時代 |
キリシタン禁制が強まっていくなかで、島原・天草一揆のことを歌舞伎や浄瑠璃などで取り上げることも禁止された。しかし当時の状況を伝えるものは数多く作成されており、本資料もそのひとつである。 |
画像 (41) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-019-6 |
天草軍記 十一、十二 |
江戸時代 |
キリシタン禁制が強まっていくなかで、島原・天草一揆のことを歌舞伎や浄瑠璃などで取り上げることも禁止された。しかし当時の状況を伝えるものは数多く作成されており、本資料もそのひとつである。 |
画像 (39) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-019-7 |
天草軍記 十三、十四 |
江戸時代 |
キリシタン禁制が強まっていくなかで、島原・天草一揆のことを歌舞伎や浄瑠璃などで取り上げることも禁止された。しかし当時の状況を伝えるものは数多く作成されており、本資料もそのひとつである。 |
画像 (39) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-019-8 |
天草軍記 十五、十六 |
江戸時代 |
キリシタン禁制が強まっていくなかで、島原・天草一揆のことを歌舞伎や浄瑠璃などで取り上げることも禁止された。しかし当時の状況を伝えるものは数多く作成されており、本資料もそのひとつである。 |
画像 (38) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-019-9 |
天草軍記 十七、十八 |
江戸時代 |
キリシタン禁制が強まっていくなかで、島原・天草一揆のことを歌舞伎や浄瑠璃などで取り上げることも禁止された。しかし当時の状況を伝えるものは数多く作成されており、本資料もそのひとつである。 |
画像 (38) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-019-10 |
天草軍記 十九、二十、二十一 |
江戸時代 |
キリシタン禁制が強まっていくなかで、島原・天草一揆のことを歌舞伎や浄瑠璃などで取り上げることも禁止された。しかし当時の状況を伝えるものは数多く作成されており、本資料もそのひとつである。 |
画像 (54) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-020 |
長崎土産 |
1847(弘化4)年 |
磯野信春が、1847(弘化4)年に長崎について記したもの。特に中国・オランダ人について、人物そのものや船・屋敷・唐寺などが描かれ、また長崎については眼鏡橋や諏訪神社などの特徴的な建造物が描かれる。 |
画像 (46) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-021-1 |
長崎夜話草 一 |
1720(享保5)年 |
1720(享保5)年に確立した、西川如見による長崎の地誌。長崎特有の対外的な事柄が書かれている。 |
画像 (30) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-021-2 |
長崎夜話草 二 |
1720(享保5)年 |
1720(享保5)年に確立した、西川如見による長崎の地誌。長崎特有の対外的な事柄が書かれている。 |
画像 (22) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-021-3 |
長崎夜話草 三 |
1720(享保5)年 |
1720(享保5)年に確立した、西川如見による長崎の地誌。長崎特有の対外的な事柄が書かれている。 |
画像 (20) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-021-4 |
長崎夜話草 四 |
1720(享保5)年 |
1720(享保5)年に確立した、西川如見による長崎の地誌。長崎特有の対外的な事柄が書かれている。 |
画像 (27) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-021-5 |
長崎夜話草 五 |
1720(享保5)年 |
1720(享保5)年に確立した、西川如見による長崎の地誌。長崎特有の対外的な事柄が書かれている。 |
画像 (17) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-022-1 |
教会暦 |
1868(慶応4・明治元)年[原資料] |
ローマ・カトリックの宣教師プティジャンによる許可のもと刊行された1868(慶応4・明治元)年の教会暦。復刻版。 |
画像 (1) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-022-2 |
幾里支丹しゅらめんとの事 |
江戸時代 |
本資料は、「南蛮誓詞」、「日本誓詞」と呼ばれる、キリスト教を棄てる「ころび証文」の写しであると考えられる。 |
画像 (5) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-023 |
弥撒拝礼式 |
1869(明治2)年[原資料] |
日本がまだ禁教下にある1869(明治2)年に、ローマ・カトリックの宣教師プティジャンによる許可のもと刊行されたミサの解説書。復刻版。 |
画像 (33) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-024 |
珍奇貨幣図譜 |
江戸時代中-後期 |
宝暦頃から文政頃までに、中国船・オランダ船・漂流船によってもたらされた珍しい貨幣の記録。 |
画像 (86) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-025 |
長崎阿蘭陀館出入許状 |
江戸時代 |
長崎奉行所が御用細工人の孝野吉郎左衛門に出したと考えられる、出島への出入許可証。 |
画像 (1) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-026-1 |
肥前島原記(天) |
江戸時代後期 |
島原・天草一揆の軍記。島原・天草一揆の際の原城攻略陣図が収められている。 |
画像 (2) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-026-2 |
肥前島原記(地) |
江戸時代後期 |
島原・天草一揆の軍記。島原・天草一揆の際の原城攻略陣図が収められている。 |
画像 (1) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-027 |
耶蘇宗徒群居捜索書 |
1875(明治8)年 |
新潟県士族であり、明治政府の偵員として九州を調査していた櫻井虎太郎が、長崎県下のキリシタンについて取り調べた記録。 |
画像 (2) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-028 |
潜伏キリシタンころび証文 |
江戸時代後期 |
キリスト教を棄教した転びキリシタンたちが、二度とキリスト教に立ち返らないことを日本の神仏だけでなくデウス、サンタ・マリアなどにも誓った証文。 |
画像 (11) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-029 |
切支丹由来実録 |
1775(安永4)年 |
南蛮船が日本へ来航し、キリスト教が受容され、島原・天草一揆を経て禁教が断行される様子までを記したもの。N-b-010、N-b-013と似たようなキリシタン実録系の書物。 |
画像 (55) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-030 |
細川忠興ローマ字印判書状 |
17世紀初頭(7月25日) |
細川忠興のローマ字印判が押されている書状。 |
画像 (3) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-031-1 |
嶋原記 上 |
江戸時代 |
島原・天草一揆について、挿絵付きで勧善懲悪の物語として記した読本。 |
画像 (37) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-031-2 |
嶋原記 中 |
江戸時代 |
島原・天草一揆について、挿絵付きで勧善懲悪の物語として記した読本。 |
画像 (30) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-031-3 |
嶋原記 下 |
江戸時代 |
島原・天草一揆について、挿絵付きで勧善懲悪の物語として記した読本。 |
画像 (29) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-032 |
崎陽茶話、邪教始末 |
1868(慶応4)年 |
『崎陽茶話』ではカトリックやプロテスタントについて扱い、『邪教始末』では幕末に長崎で起こった浦上四番崩れの顛末が記されている。 |
画像 (18) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-033 |
宗像郡宗門改断簡 |
江戸時代 |
宗像郡で行われた宗門改めの断簡。全16枚。 |
画像 (20) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-034 |
宗門方増減 |
1824(文政7)年 |
宗門改の記録。江上古町(久留米藩)か。2冊合冊 |
画像 (95) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-035 |
転邪宗門之儀ニ付御触書 |
1870(明治3)年 |
朝田村ほか、村民一人ずつの名前・年齢・宗派・寺名を記載。 |
画像 (7) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-036 |
送り手形 |
江戸時代(文化-文政年間) |
住居を変更する際にキリシタンではないことを証明するために作成した手形。 |
画像 (58) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-037 |
御山筒宗門御改御帳 |
1870(明治3)年 |
明治3年に行われた宗門改帳。 |
画像 (40) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-038-1 |
劈邪論 上巻 |
1865(慶応元)年 |
慶應元年にキリスト教を排除する目的で書かれた思想書。 |
画像 (43) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-038-2 |
劈邪論 下巻 |
1865(慶応元)年 |
慶應元年にキリスト教を排除する目的で書かれた思想書。 |
画像 (36) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-039 |
切支丹宗門改踏絵之件 |
江戸時代後期 |
絵踏の記録。文化元年八月と記述あり。 |
画像 (2) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-040-1 |
ベッテルハイム訳馬太伝福音書 |
1979(昭和54)年 |
英国宣教医ベッテルハイム(1811-1870)は1845(弘化2)年、琉球に派遣され、当時琉球も禁教下だったが、『路加伝福音書』・『約翰伝福音書』・『聖差言行伝』・『保羅寄羅馬人書』を琉球語訳した。『馬太伝福音書』・『馬可伝福音書』は未刊で存在も未知であったが、1976(昭和51)年に原稿が発見された。本資料は稿本覆刻版として1979年に覆刻されたものである。 |
画像 (0) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-040-2 |
ベッテルハイム訳馬可伝福音書 |
1979(昭和54)年 |
英国宣教医ベッテルハイム(1811-1870)は1845(弘化2)年、琉球に派遣され、当時琉球も禁教下だったが、『路加伝福音書』・『約翰伝福音書』・『聖差言行伝』・『保羅寄羅馬人書』を琉球語訳した。『馬太伝福音書』・『馬可伝福音書』は未刊で存在も未知であったが、1976(昭和51)年に原稿が発見された。本資料は稿本覆刻版として1979年に覆刻されたものである。 |
画像 (57) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-041-1 |
切支丹御改一礼 |
1834(天保5)年 |
端場村(和歌山県橋本市)の宗門改帳。八歳以上増減帳を含む。(天保5年) |
画像 (15) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-041-2 |
切支丹御改一礼 |
1835(天保6)年 |
端場村(和歌山県橋本市)の宗門改帳。八歳以上増減帳を含む。(天保6年) |
画像 (13) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-041-3 |
切支丹御改一礼 |
1838(天保9)年 |
端場村(和歌山県橋本市)の宗門改帳。八歳以上増減帳を含む。(天保9年) |
画像 (15) |
日本キリスト教史関連資料 |
N-b-041-4 |
切支丹宗門御改一礼 |
1846(弘化3)年 |
端場村(和歌山県橋本市)の宗門改帳。八歳以上増減帳を含む。(弘化3年) |
画像 (13) |