100年以上の歴史を誇る西南学院には、
後世に伝えるべき歴史やストーリーがたくさんあります。
このコーナーでは西南学院にまつわる歴史を紹介していきます。
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後世に伝えるべき歴史やストーリーがたくさんあります。
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【第9回/レンガ】
100年以上の歴史を誇る西南学院には、後世に伝えるべき歴史やストーリーがたくさんあります。このコーナーでは西南学院にまつわる歴史を紹介していきます。
西南学院は、米国南部バプテスト派の宣教師チャールズ K. ドージャー(Charles Kelsey Dozier, 1879-1933、以下「ドージャー」)により、1916年に福岡市大名町(現・福岡市中央区赤坂1丁目付近)に男子中学校として創立されました。1918年の西新町(現・福岡市早良区西新)への移転後、1921年に竣工した赤レンガ本館(現・大学博物館)(写真1)は、伝道活動に従事しながら、数多くのミッション・スクールや教会の建築を手がけたことで知られるヴォーリズ(William Merrell Vories, 1880-1964)の初期における代表的建築として知られています。この建物を中心として、キャンパスには赤レンガの建物が造られていきました(写真23)。今回のSEINAN Historyでは学院とレンガを巡る100年の物語をひもときます。
1911年4月20日、ドージャーは米国南部バプテスト連盟外国伝道局(以下「ミッション・ボード」)宛てに男子中学校設立承認と援助を訴える嘆願書を送りました。そして1915年1月13日にミッション・ボードからの承認を受け、1916年4月に開設されることとなりました。しかし中学校を開設するには、大名町の旧福岡バプテスト神学校の跡地では広さが不十分でした。そこで学院は1917年3月に西新の海岸に大名町の校地の2倍の広さ2万㎡余りの土地を購入し、新たな発展の足掛かりを得ることとなりました。この年、学院はヴォーリズと契約を交わし、校舎の建築が始まりました。
1919年12月末、ミッション・ボードから施設建設資金の一部として5,000ドルが届くと、学院は早速、念願の本館建設に着手し、ヴォーリズに学校側の要望を入れた設計の依頼を行いました。1920年9月9日に定礎式が行われ、積み上げられた赤レンガを前に、創立者ドージャーをはじめとする教職員、生徒、そして工事に携わる大工が一堂に会して記念写真が撮影されました(写真4)。建物の工事は順調に進み、1921年3月に完成しました(写真5)。赤レンガ本館の建物は、大正期のヴォーリズによるレンガ造り建築を代表するものです。ジョージアン・スタイルに由来するアメリカの伝統的なコロニアル・スタイルを採り、大きなガラス窓を配するなど近代的改良が加えられています。
赤レンガ本館のレンガは学院の新しいチャペルにも受け継がれました。1954年に建てられた大学チャペル(ランキン・チャペル)が老朽化により建て替えられることとなり、2003年11月に大学新チャペルの建設に向けてチャペル建設委員会が発足しました。コンペ(設計競技)を勝ち抜いた一粒社ヴォーリズ建築事務所の設計案で新チャペル建設が始まった頃、チャペル建設委員会でレンガの仕様について議論が起きました。設計の過程で主に財政的な理由から、外壁について、旧本館と同じ「イギリス積み」から見せかけだけの「イギリス調積み」への仕様変更の提案がありました。つまり、あらかじめ長手方向の中央に目地を刻んだレンガを代用として使ってはどうかというものでした。経費が削減でき、工期も短縮され、強度も増すという「イギリス調積み」ではだめなのかと。そこで参照されたのが、赤レンガ本館の建築のためにヴォーリズの事務所が作成した「建築仕様書」(写真6)でした。仕様書には「煉瓦工事」という箇所があり、そこには15項目にわたりレンガ職人への指示が書かれています。
窓出入り口等の上には針金を引き通し垂直に水糸を垂らし…煉瓦石は形状正確な博多窯業会社製東京形機械製とし、斑点、疵、混ざり物等無きものにして、化粧積み煉瓦は一等焼き過ぎ煉瓦色の揃った物とし…煉瓦積み方はイギリス積み、目地は縦三分、横二分五厘…毎日終業の際は、筵苫(むしろとま)などを用いて煉瓦積みを被覆し、常に日光の直射を避け、凍結の際は煉瓦積みを見合せ、降雨のありそうな時は四分板などで被って養生すること。
一世紀近く残るであろうチャペルに憂いを残したくない。結局、委員会は正規の「イギリス積み」を採用しました。
また、チャペル外壁のレンガの色調には赤レンガ本館のレンガの色調が踏襲されています(写真2)。しかし、当時と今とではレンガの焼成温度や使用する土、そして窯の違いにより、同じ質感と色調のレンガを作ることが不可能でした。そのため、レンガの製作過程において、窯の焼成温度を低く設定し、色調に赤みを増す工夫や、火の状態をあえて不安定にして当時の窯の状態に近づけることによって、くすぶり感や自然な色むらを出すことが試みられました。チャペル内部には愛知県瀬戸産の白い土が原料の特注レンガが積まれています(写真7)。
学院には赤レンガ本館と並んで旧制時代の面影をしのぶもう一つの赤レンガの建物がありました(写真8)。1936年の学院創立20周年記念事業として、旧制高等学部および中学部の新校舎を新築するため、日米両国において募金運動が展開されました。しかし、時局悪化に伴い米国ミッション・ボードからの寄付の見通しが立たなくなり、募金総額が当初予定の3分の1になったため、計画を大幅に縮小し、学院の付属施設として図書館閲覧室と書庫が建築されることになりました。工事は1941年9月に着工しますが、資材および労力の不足のため、完成までの工期は延長されました。そして1942年4月に総面積148.5㎡(45坪)の赤レンガ書庫が、次いで同年10月に書庫に接続した184.8㎡(56坪)の閲覧室が完成しました。赤レンガ書庫は建築当時は地上1階と半地下のみでしたが、戦後、新制大学開設と同時に蔵書が増えると2階が増築されました。1954年に大学の図書館が完成した後は高等学校の書庫、卓球部の練習場などとして使われ、1977年に老朽化のため取り壊されました。
それから約40年後、学院に再び赤レンガの図書館が完成しました。新図書館の外装にはレンガが採用され、耐震性に優れた乾式レンガ積み工法で施工されました(写真9)。図書館としての基本機能のほかに、情報交流の場として、内外からの視認性に優れ、透明感のあるレンガ透かし積みパターンが採用され、木陰で読書をするような気持ち良さが演出されています(写真10)。学院とレンガを巡る物語はこれからも続いていきます。