世界がキャンパス 私の留学STORY 外国語学部外国語学科 4年 山本 知咲さん (西南学院高等学校出身)

目標の派遣留学に向け、
英語を使うアルバイトにも挑戦。
 私の英語人生に大きな影響を与えたのは、母の存在です。母は学生時代に留学やワーキングホリデーを経験していたこともあり、私も幼少期から国際交流の機会に恵まれました。すると、自然と英語への憧れが芽生え、いつしか留学を志すように。しかし、高校3年間はパンデミックの影響で留学プログラム自体が中止になるなど、留学という夢が遠ざかってしまいました。ただ、その後も留学に対する情熱や憧れを持ち続け、大学入学後は派遣留学を目標に据え、コツコツと勉強を続けました。
 その取り組みの1つが、大学1年次から現在も続けている福岡空港国際線のカフェでのアルバイトです。保安検査先のカフェという特性上、外国人の利用が多く、スピーディーな対応が求められるため、より実践的な英語を学ぶことができています。着実にリスニング力もスピーキング力も向上していることを日々実感し、頭で深く考えず、瞬時に英語が口から出てくるようになりました。その他にも、言語教育センター主催の英語関連のイベントに参加したり、TOEFLの試験対策の勉強をしたりと、多方面から英語力を鍛え、留学に挑みました。
躊躇せずに、一歩踏み出す。
その行動力が人生を切り開く。
 アメリカの大学への留学を志した理由は、アメリカの社会構造や文化を、実際の生活の中で多角的に理解したいと考えたから。
 当初は、留学に強い憧れを抱いていた分、“充実した留学生活を送らなければならない”というプレッシャーを感じており、他人と比較しては、落ち込んでホームシックになることもありました。しかし、周囲を見渡せば、人種やバックグラウンド、LGBTQ+も含めて互いの個性を認め合う文化が根付いており、周囲の基準で自分を測るのではなく、自分自身の成長に目を向けることの大切さを友人から学びました。
 また、留学先の大学では、初日から留学生も参加できるイベントが毎日のように行われ、学内はいつも活気にあふれていました。留学生限定のディナーパーティーや、焚き火を使ったスモア(スイーツ)づくり、キャンパスにある湖でのカヤック、DJイベントなど、楽しいイベントが目白押し。大学側の歓迎ムードも後押しし、緊張も自然とほぐれていきました。
 私が留学に向けて掲げた目標は、やりたいと思ったことは躊躇せずにやってみること。授業以外に新たなコミュニティーをつくるために、吹奏楽団に所属しました。中学校、高校と続けていたアルトサックスを週に2回練習し、演奏会にも挑戦。ソロパートを担当することができました。その他にも、ジャパニーズクラブという学生団体に、日本語支援員として参加し、日本の文化や日本語の面白さを伝える工夫を考えました。さらに、小学生以来の経験だったバスケットボールクラブや、未経験のテニスクラブのトライアウトに挑んだことも良い思い出です。また、冬休みの1カ月を利用し、ほぼ単身でアメリカ2都市、ヨーロッパ7カ国を周遊したことも、貴重な経験でした。積極的に行動することでできることが増え、自分の手で人生を切り開いていけるんだと、少しずつ自信が付いてきました。
 将来は、留学生活で培った行動力を生かし、臆することなく一歩を踏み出し、周囲で課題や困難を抱えている人に手を差し伸べられるような人間になりたいです!
何を学びましたか?
 特定の専攻を決めず、前期は「英語ライティング」「世界史」「グローバル学」など、後期は「心理学」「メディア学」「SDGs」など、幅広い分野の講義を履修しました。中でも印象に残っているのが、「現代日本社会における女性の役割」という授業です。文化的背景や国籍の異なる学生たちとともに、自国の文化を客観的に分析し、議論するという経験は非常に新鮮で学びの多い時間でした。
大学がある街の雰囲気は
どんな感じですか?
 毎学期ごとに世界中から留学生が集まる多様性に富んだ環境です。滞在中、差別を感じるような経験は一度もなく、周囲の優しさに何度も助けられました。留学生も参加できる学内イベントが毎日のように開催され、学内はいつもにぎやか。スポーツも盛んで、バスケットボールやサッカー、野球など、全米トップクラスの試合を間近で観戦する機会にも恵まれました!
留学中の印象的な
エピソードはありますか?
 冬休み期間中、寮が改修工事を行うため、約1カ月閉鎖されることになり、退去を余儀なくされました。一時帰国の選択肢もありましたが、ピンチをチャンスと捉えて、長期の旅へ出ることに。フロリダからニューヨーク、そしてヨーロッパ各地を、同時期に留学していた友人を頼りに周遊しました。
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