| コレクション名 | 資料番号 | 表題 | 年代 | 内容 | 画像 |
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| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-001 | 白磁観音像 | 17世紀(あるいは18-19世紀) | 本資料は長崎の浦上村の潜伏キリシタンが所持していた「ハンタマルヤ像(マリア観音)」と同型の白磁観音像である。 本資料は多数の潜伏キリシタンが長崎奉行所から検挙された1867(慶応3)年の「浦上四番崩れ」の際に没収を逃れたものとして伝わるが、それを裏付ける史料は現在確認できていない。 | 画像 (4) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-002 | 魔鏡 | 明治時代以降 | 光を反射させると、磔刑図が浮かび上がる魔鏡。かくれキリシタンが実際に魔鏡を信仰具として使用した事実は確認できていない。かくれキリシタンの信仰と関係する魔鏡はおそらく存在しない。 | 画像 (3) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-003 | キリシタン制札 | 1682(天和2)年 | 法度や禁令を人々に提示した高札のうち、キリシタンの密告に対する褒賞を明記したもの。伴天連(司祭=神父)の訴人には銀500枚を与えるなど、このような訴人褒賞制は禁教初期から行われており、金額は時期によって変化するが江戸時代を通して続けられた。(天和2年) | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-004 | キリシタン制札 | 1682(天和2)年 | 法度や禁令を人々に提示した高札のうち、キリシタンの密告に対する褒賞を明記したもの。伴天連(司祭=神父)の訴人には銀500枚を与えるなど、このような訴人褒賞制は禁教初期から行われており、金額は時期によって変化するが江戸時代を通して続けられた。(天和2年) | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-005 | キリシタン制札 | 1711(正徳元)年 | 法度や禁令を人々に提示した高札のうち、キリシタンの密告に対する褒賞を明記したもの。伴天連(司祭=神父)の訴人には銀500枚を与えるなど、このような訴人褒賞制は禁教初期から行われており、金額は時期によって変化するが江戸時代を通して続けられた。(正徳元年) | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-006 | キリシタン制札 | 1711(正徳元)年 | 法度や禁令を人々に提示した高札のうち、キリシタンの密告に対する褒賞を明記したもの。伴天連(司祭=神父)の訴人には銀500枚を与えるなど、このような訴人褒賞制は禁教初期から行われており、金額は時期によって変化するが江戸時代を通して続けられた。(正徳元年) | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-007 | キリシタン制札 | 1868(慶応4)年 | 安政五ヵ国条約によって、来日する外国人には信仰の自由が認められたが、依然として日本人には禁止されていた。太政官が1868(慶応4)年に掲げた五榜の掲示のひとつ。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-008 | キリシタン制札 | 1868(慶応4)年 | 安政五ヵ国条約によって、来日する外国人には信仰の自由が認められたが、依然として日本人には禁止されていた。太政官が1868(慶応4)年に掲げた五榜の掲示のひとつ。 | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-009 | キリシタン制札 | 1868(慶応4)年 | 安政五ヵ国条約によって、来日する外国人には信仰の自由が認められたが、依然として日本人には禁止されていた。太政官が1868(慶応4)年に掲げた五榜の掲示のひとつ。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-010 | 踏絵(偽造品) | 明治時代後期か | 踏絵の偽造品は、明治時代後期頃から外国人用の土産物として制作されるようになった。東京国立博物館所蔵品の踏絵以外に、真正とされる踏絵は存在しない。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-011 | 板踏絵(偽造品) | 明治時代後期 | 踏絵の偽造品は、明治時代後期頃から外国人用の土産物として制作されるようになった。東京国立博物館所蔵品の踏絵以外に、真正とされる踏絵は存在しない。乙金村庄屋高原家収蔵品といわれる。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-012 | 染付「まるや」徳利 | 18世紀頃 | 「キリシタン壺」として収蔵されていた徳利。胴部分の弁財船の旗に、丸の中に「や」が記される。これを「まるや」すなわち、かくれキリシタンの間で信仰されていた聖母「ハンタマルヤ」と読み解かれ、「キリシタン壺」とされたか。実際のキリシタン・かくれキリシタンの信仰とは関係が無い。乙金村庄屋高原家収蔵品といわれる。 | 画像 (3) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-014 | 洋銀銭メダル | 18世紀 | 洋銭を模したメダル。「REX PHILIP・V・D・G HISPAN・ET・IND」の印字あり。 | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-015 | 紅毛人プラケット | 江戸時代 | 紅毛人をモチーフとした小型の壁掛けで、裏面には長崎八景のひとつ「神崎帰航」が描かれている。 | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-016 | 紅毛人硯屏 | 江戸時代後期 | 硯のほこりなどを防ぐ硯屏という道具。周囲には螺鈿細工が施されている。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-017 | 南蛮人行列奉納絵馬 | 江戸時代後期 | 珍しい文物を運んできた南蛮人たちは財をもたらす存在でもあり、蓄財を祈念して寺社に奉納されたものと思われる。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-018 | 南蛮船奉納絵馬 | 江戸時代後期 | 南蛮船は、日本に多くの文物をもたらした。「南蛮人行列奉納絵馬(N-a-017)」と同様に、蓄財を祈念したものと思われる。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-019 | お水瓶 | 18-19世紀 | 生月島のかくれキリシタンが使用していたもの。聖水「お水」を入れるための瓶であり、ご神体のひとつとして祀られる。「お授け」といわれる洗礼の儀式や、葬式の時の家の清め、信者の家を回ってお祓いをする「屋祓い」など、さまざまな行事の際に用いられた。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-020 | オテンペンシャ | 生月島のかくれキリシタンが使用していたもの。もともと懺悔の修行で用いられていた鞭が日本へ伝わり、「オテンペンシャ」「お道具」などと呼ばれた。語源はポルトガル語のPenitencia(悔悛)である。麻の縄紐からつくられており、ご神体とされた。 | 画像 (1) | |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-021 | 紅毛人饗宴図盆 | 江戸時代 | ポルトガル人やスペイン人のことを「南蛮人」といったことに対して、オランダ人のことを「紅毛人」という。本資料はオランダ商館員たちの宴会の様子を扇型の盆に描いたもの。上部には「HOLLANDER」(オランダ人)とある。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-022 | VOCコイン | 1746年 | オランダ東インド会社(Vereenigde Oost-Indische Compagnie)の社章であるVOCのモノグラムが刻印されたドイト銅貨。 | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-023 | 南蛮人文小切 | 明治時代以降 | 南蛮人を模った模様の小切れか。 | 画像 (4) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-024 | 観音像 | 18世紀 | 来歴不明。廃仏毀釈で破壊されたものか。 | 画像 (4) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-025 | 中川車紋軒丸瓦 | 17世紀 | 豊後国岡藩藩主・中川家の家紋があしらわれた軒丸瓦。 | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-026 | 仏像付き十字架 | 1945(昭和20)〜1950(昭和25)年頃 | 中央に仏像があしらわれた十字架。戦後、個人の手によって約300個鋳造されたもの。十字架の形が19世紀にヨーロッパで流行していた新ゴシック風であり、禁教期に制作されたものではない。実際の信仰とも関係が無い。 | 画像 (4) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-027 | 蓬莱文鏡と鏡箱 | 19世紀 | 水辺に鶴と亀・松の木をあしらった鏡。鏡箱付き。 | 画像 (3) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-028 | 鍔 | 制作年不詳 | 月と瓢箪の模様が金で描かれ、十字文が透かし彫りになっている。キリシタン・かくれキリシタンの信仰との関係を示す史料は確認されていない。 | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-029 | 鍔 | 江戸時代 | 十字形の鍔。江戸時代の刀鍔としては一般的なもの。キリシタン・かくれキリシタンの信仰との関係を示す史料は確認されていない。 | 画像 (0) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-030 | 白磁観音像 | 制作年不詳 | 「かくれキリシタンが使用していた」として伝わっていた観音像。来歴不明であり、実際のかくれキリシタンの信仰とは関係が無い。 | 画像 (4) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-031 | 白磁観音像 | 制作年不詳 | 「かくれキリシタンが使用していた」として伝わっていた観音像。来歴不明であり、実際のかくれキリシタンの信仰とは関係が無い。 | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-032 | 観音像 | 制作年不詳 | 「かくれキリシタンが使用していた」として伝わっていた観音像。来歴不明であり、実際のかくれキリシタンの信仰とは関係が無い。 | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-033 | 観音像 | 制作年不詳 | 「かくれキリシタンが使用していた」として伝わっていた観音像。来歴不明であり、実際のかくれキリシタンの信仰とは関係が無い。 | 画像 (4) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-034 | 十字文様壺 | 明治時代以降 | 十字文が入っている壺。来歴は不明。 | 画像 (4) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-035 | イエスの涙 | 2000年代 | 博多人形は、国指定の伝統工芸となっており、キリスト教を主題としたものも存在している。本資料は博多人形伝統工芸士の高山高夫氏(「高」は、はしごだか)によって製作されたもの。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-036 | マリアの涙 | 2000年代 | 博多人形は、国指定の伝統工芸となっており、キリスト教を主題としたものも存在している。本資料は博多人形伝統工芸士の高山高夫氏(「高」は、はしごだか)によって製作されたもの。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-037 | 最後の晩餐 | 2000年代 | 博多人形は、国指定の伝統工芸となっており、キリスト教を主題としたものも存在している。本資料は博多人形伝統工芸士の高山高夫氏(「高」は、はしごだか)によって製作されたもの。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-038 | 葦の海のモーセ | 2000年代 | 博多人形は、国指定の伝統工芸となっており、キリスト教を主題としたものも存在している。本資料は博多人形伝統工芸士の高山高夫氏(「高」は、はしごだか)によって製作されたもの。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-039 | 聖母マリアの聖心 | 1991年 | 博多織は、博多の地に受け継がれてきた重要な工芸であることから、国指定の伝統工芸となっている。その伝統工芸品の中には、キリスト教を主題としたものが存在している。本資料は博多織伝統工芸士の木村佐次男氏によって製作されたものである。 | 画像 (1) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-040 | ワインボトル | 18世紀 | オランダで製造されたガラス製のフラスコ形ワインボトル。当館所蔵「出島蘭館図巻(N-c-018)」に同様のものが描かれており、出島のオランダ人たちも使用していたことがわかる。 | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-041 | ジンボトル | 19世紀 | オランダで製造されたガラス製のジンボトル。当館所蔵「出島蘭館図巻(N-c-018)」に同様のものが描かれており、出島のオランダ人たちも使用していたことがわかる。ボトル上部に「AH」の刻印あり。 | 画像 (4) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-042 | ジンボトル(天保四年箱付き) | 18世紀 | オランダで製造されたガラス製のジンボトル。江戸時代にオランダから持ち込まれ、日本国内で伝世したもの。「天保四年巳十二月調之」と記された外箱を伴う。 | 画像 (10) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-043 | ワインボトル(銀化) | 18世紀 | 出土品と伝わる。土中の成分で表面が銀化している。 | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-044 | ボウル | 18世紀 | デルフトで生産された陶器。17世紀ごろから中国や日本で生産されていた磁器を模倣したものが生産されていた。 | 画像 (6) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-045 | 平皿 | 18世紀後半 | デルフトで18世紀後半ごろに生産された色絵皿。 | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-046 | スプーン(2客) | 19世紀 | 錫を主成分とした合金であるピューターで作られたスプーン。現在のような形のスプーンもあったが、このような形のスプーンも日常的に使用されていたと考えられている。 | 画像 (2) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-047 | 12角せっ器瓶 | 19世紀 | 塩釉を施したせっ器(ストーンウェア)の瓶。ガラス製のジンボトル以外にも、ジンを入れるための容器として、このようなせっ器の瓶が使用されていた。(「せっ」は火へんに石と書く) | 画像 (6) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-048 | クレーパイプ | 1690〜1740年ごろ | 粘土でつくられた素焼きのパイプ。壊れやすいが安価であったため広く使われていた。17世紀以降はオランダが生産地の中心であった。出島に滞在していたオランダ東インド会社の社員たちも日常的に使用していたことがわかっている。 | 画像 (3) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-049 | クレーパイプ | 1730〜1840年ごろ | 粘土でつくられた素焼きのパイプ。壊れやすいが安価であったため広く使われていた。17世紀以降はオランダが生産地の中心であった。出島に滞在していたオランダ東インド会社の社員たちも日常的に使用していたことがわかっている。N-a-048のものよりも型式が新しいもの。 | 画像 (4) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-050 | モーセ像 | 20世紀 | 本資料は博多人形伝統工芸士の高山高夫氏(「高」は、はしごだか)によって製作されたもの。 | 画像 (0) |
| 日本キリスト教史関連資料 | N-a-051 | 府内型メダイ(複製) | 現代(原資料:16世紀後半) | 大友府内(大分市中心部)で独自につくられていたメダイ。原資料は重要文化財で、大分県立埋蔵文化財センターが所蔵している。 | 画像 (0) |