田嶋 美希
テーマ設定の理由
私は以前授業でベルギーについて調べた際、ベルギーには地域によってフランス語を含め三つの公用語(オランダ語(フラマン語)、ドイツ語)があり、言語境界線が公式に設定されていること、そして教育システムやマスメディア、政治までも言語別に分かれていることを知りました。そこで私は、言語を軸に国全体が大きく分かれていて、且つ日本と様々な点で異なる状況であるベルギーで暮らす人々の現状・彼らの意識について興味を持ち、詳しく知りたいと考えました。
1830年に独立を果たしたベルギーであるが、19世紀にはフランス語が権威ある国際語、文明語であるとみなされており、公用語もフランス語のみであった。しかし、20世紀に入ると、オランダ語の地位向上が図られ、徐々に公的な場でのオランダ語使用が制度上認められていった。そして、状況は60年代に入り一変する。戦後のベビーブームのなかでフランデレン地域は急激に人口が増加し、逆にワロン地域の経済を支えていた石炭の需要が国際的に低下しつつあった。他方で、豊かな港をもつフランデレン地域に外資が集中してフランデレン地域の経済が急成長した。これらを背景に1960年代にはワロン優位の諸制度に対する見直し要求が高まっていった。こうして両言語・民族の間の対立が激しくなり、デモや暴動が頻発した。1963年には両地域を分ける言語境界線が公式に設定され、フランデレン地域ではオランダ語が公用語となった。ただし、首都ブリュッセルはフランデレン地域にありながらオランダ語とフランス語を公用語としている。
このように言葉も文化も異なる地域が合わさってひとつのベルギーという国を成しているので、国を統制するのはかなり困難なことと想像に難くないだろう。そこで、ベルギーでは1993年に連邦制を導入した。そして、3つの地域と3つの言語共同体に分け、計6つの地方行政区分と中央の連邦政府で構成されることになった。地域別の地方行政組織は、その地域全般の政経を、言語別の共同体は教育や文化などの分野を担当している。
ベルギーのフランス語圏、オランダ語圏にそれぞれ一都市ずつ行き、街の方にアンケートをとる。彼らがお互いの地域についてどれほど知っていて、どの程度関心を持っているのかを知る。また、お互いの地域へどれぐらいの頻度で行き来しているのか。そして、お互いの地域に対するイメージ、言語の違いから生じる問題などについてアンケート調査を行うことで調べた。
研究方法としては、それぞれの都市で15~20人にアンケート調査を行い、またベルギー出身の知人にも協力してもらい、意見を聞いた。
まず、私が訪れた町アントワープについて。首都ブリュッセルから約50㎞、汽車で30分。人口48万人のこの町はブリュッセルに次いで2番目に大きな町である。15世紀後半にブルージュを追い越してフランダースの毛織物交易の中心地となり、さらに16世紀にはスペインやポルトガルが植民地から仕入れた品物をさばいて隆盛をきわめた。現在は活気ある臨海工業地帯として、バロック芸術の花開いた芸術の都として、ダイヤモンドの町として、そしてファッションの町として国際的に知られている。また、日本人には、名作「フランダースの犬」の舞台の町としても有名である。
アントワープはオランダ語圏なので、アンケートは英語で作成した。ブリュッセルの次に大きな町だけあって、観光客も多かった。
まず、私はワロン地域へ今まで行ったことがあるかを尋ねた。その結果、86%の方が行ったことがあると回答した。やはり四国ほどの小さな国なので、言語は違っても、互いの地域へ行く機会は多いようだった。いいえと回答した人の理由としては、「まだ十代だから行ったことがないが今後行くと思う」などであった。「行きたくない」、「言葉が違うから行くのを躊躇っている」などといった理由もなく、ただ私たち日本人にもまだ行ったことのない都道府県があるのと同じような回答理由であった。
また、行ったことがあると回答した方は、「ワロン地域では何語で話しますか?」という質問に対して、なんと100%の方がフランス語を使うと答えた。中には、フランス語とオランダ語両方を使うと答えた方もいたが、それでも皆がフランス語を使うと答えたのには驚いた。
最後に、「ワロン地方に対するイメージや、あなたが知っていること」という問いには、多くの方が、「素晴らしい自然がたくさんある」「人々がとても気さくで、ホスピタリティーがある」「綺麗な所で、人々が温かい」などとの回答が主であった。これらの回答からも、多くのフランドル地方の方がワロン地方に対して、良いイメージを持っており、更に、多くの方がワロン地方へ行く目的を「観光」と回答していたことにも納得できた。
私が訪れた町リエージュについて。首都ブリュッセルから汽車で約1時間30分。ブルッセル、アントワープ、ゲント、シャルルロワに次いで、ベルギー国内第5番目の都市で、ワロン地方の中心地。人口は約20万人。リエージュは古くからヨーロッパ各地の交易の中継地として栄えてきた。また、中・近世においては欧州屈指の鉄砲の生産地として知られている。フランス語圏の中心地で、かつては強大な権力を持つ司教領首都として隆盛をきわめた宗教都市であった。
リエージュではフランス語でアンケート調査を行った。アントワープと同じように十代から五十代の15名の方々にアンケートをお願いした。町の中心地や有名な朝市、ラ・バット市にはたくさんの人がいた。
初めに、フランドル地域へ行ったことがあるかを尋ねた。その結果、アントワープでの結果と同じくほとんど全ての方が行ったことがあると回答した。また、行った回数も様々であったが、4.5回行ったことがあるという回答から多い方は50回、更に年に4度程度は行っていると回答した方もいた。回数が多い方に共通していたのは、やはりワロン地域に家族・親戚が住んでいるからという理由であった。
また、オランダ語を話せますか?という問いに対して、はいと答えた割合は55%と、フランドル地方のフランス語を話す割合よりも少し低かった。だがやはり、多くの方が「フランドル地方へ行く際には、オランダ語を使う」と回答した。
フランドル地方に対するイメージとしては、「とても綺麗な建物がたくさんある美しい都市」という回答が多かった。また、アンケートに答えて下さった方の中には、「生まれはフランドル地方だけど、今はリエージュ(ワロン地方)に住んでいる」という方もいて、非常に興味深かった。
このように、アントワープでのアンケート調査同様、ワロン地方の人々も、フランドル地方、フランドルの人々へ良い印象を持っているようで、言語の違いから生じる問題などは何も挙げられなかった。
リエージュとアントワープでそれぞれアンケート調査を行ってみて、2つの共同体に私が想像していた程の亀裂や対立は感じられなかった。また、アンケート結果からも分かるように、ほとんどの方が言語の違いはあるものの、お互いの共同体へ何度も足を運んでいる。またその理由も様々で、仕事の関係で行った人もいれば、休暇を過ごすためのバカンス地のひとつとして挙げた人もいた。他にも、家族や親戚が住んでいる為と答えた方も数名いた。このような回答から見ても、言語の壁はあっても、両共同体がまとまってベルギーというひとつの国として成り立っているというのを強く感じた。
また、それぞれの地域に行った際、何語を使いますか?という質問に対して、多くの方が行った先で使われている言語を使う(ワロン地域に行った際にはフランス語を使い、フランドル地域に行った際にはオランダ語を使う)と回答したのにはすごく驚いた。フランス語、オランダ語を話せると回答したのは5~6割程度の方のみであったが、完璧に話せなくても、なるべく他の共同体へ行った際にはそこの言語を使おうと心がけている姿勢が見られた。こういった点からも、両共同体がお互いを理解しようと歩み寄っているのが感じられた。
今回の研究旅行で、私はベルギーのフランス語圏とオランダ語圏に行ってきたが、オランダ語が全く分からない私にとっては、アントワープ(オランダ語圏にある都市)に着いてから、何もかも分からなくて不思議な感じだった。看板の文字も周りから聞こえてくる会話も全てオランダ語だったので、ホテルを見つけるのにも苦労した。
ところが、リエージュ(フランス語圏の都市)に着くと、全てがフランス語に変わっていた。1つの国の中を移動したとは思えない程、言語はもちろん町並みも違って驚いた。国内を電車で2時間移動しただけで、こんなにも違った世界になる国は珍しいし、他にないと思う。しかしそれぞれの都市に良さがあり、ベルギーは一言では言い表せない国だなと改めて感じた。短い滞在だったが、ベルギーの両地域を実際に訪れ、ベルギーの人々と交流し、彼らの生活を少しだが垣間見ることができ、とても良いに経験になった。また、今後もっと長期間ベルギーに滞在する機会を持てたら、日本では体験できないベルギーならではの体験がもっとできるのではないかと思った。
書 籍 : ベルギー・つくられた連邦国家
ベルギー分裂危機 その政治の起源
ホームページ: ベルギー・フランダース政府観光局 http://www.visitflanders.jp/link.html
ベルギー観光局ワロン・ブリュッセル http://www.belgium-travel.jp/