柳原 久美子
一般に、パリのマルシェは有名であるが、高級食材や有機野菜などを売る傾向がつよくなり、庶民向けとは言い難くなってきている。 私はベルギーの首都ブリュッセルのマルシェに焦点を当て、マルシェと市民との関係について実地調査を試みた。 ブリュッセルのマルシェは依然として庶民の生活と密接であると同時に、近年は欧州首都という背景から,フラマン系(オランダ系)及びワロン系(フランス系)ベルギー人に加え、EU加盟国及び欧米の駐在員、モロッコ人、トルコ人、コンゴ人などあらゆる人種が寄り添って生活しており、マルシェの様子も多様である。 私自身ブリュッセルでの生活ではマルシェの恩恵を多大に感じ、生活の一部となっていた。
2009年に農林水産省が始めた取り組みで、欧州のマルシェを見本とした経済活性化のための構想「マルシェ・ジャポン・プロジェクト」のことを知り、日本での欧州マルシェのスタイルとはどのようなものか興味をもち、東京、福岡のマルシェを訪ねてみた。それは現在各自治体が運営し、テーマは「大都市において生産者と消費者を直接結びつけること」であり、継続的な経済社会システムとして定着させようというのが狙いだが、尚「産直イベント」の印象がとても強く、自分の体験した地域にしっかり根付いているブリュッセルのマルシェの姿とは違っていた。この違いはどこからくるものなのか、改めて追求してみたいと感じた。ブリュッセルの約30のマルシェは地域によって運営され、それぞれ個性があるが、時間的制限や開かれる曜日の関係から、ブリュッセルでは特徴ある5カ所のマルシェを、パリでは2カ所のマルシェを訪れ、観察やインタビューによる考察に勉めた。
日頃は駐車場のPlace Dumonという広場で,火・金・土の7時から13時まで開催される。メトロ、バス、トラムに大変便利な場所に位置し、評判のフリッツ屋Charlesもここにある。
大きな店舗式トレーラーでフラマン地区からやって来る。ここの特徴はベルギー産物中心であり、必ずベルギーワッフルをその場で焼くホームメイドの菓子屋が出店すること、富裕層の住民も多く商人が外国語を勉強していること、薄切り肉・もも肉・大根など日本人対応も出来る店があること、週末には大道芸人や移民のミュージッシャンやグループもマルシェを盛り上げ、路上のホームレスにも人々はあたたかいことなど。
常時6人の警官とひとりのマルシェ保安官が安全を見守る。彼の役割は最低限の規則による商人への取り締まりと、争いごとの回避のみであり、それ以上の政治的目的は何もないという。最低限の規律とは、総合的に市のマルシェ全てを管理している行政機関の許可証所持と各コミューンの面接をパスしていること、そして度量衡違反である。保安官は業者間や顧客との間に揉め事のないよう、同業者間の間隔にも常に気を払うという。広場には電気・水道設備もあり、マルシェ終了後の清掃と速やかな搬出も業者に義務づけられている。
ソワーニュの森が広がるブリュッセル郊外の近くの自然豊かな地区にあるPlace Wienerで,毎週日曜日8時頃から14時まで開かれ、休日のブリュッセル市民生活の雰囲気を心ゆくまで楽しめる.
名物のエスカルゴスープのスタンドはいつも白ワイン片手に談笑する都会人で溢れているし、チキンの丸焼きがグルグル廻っているトレーラーの前は子供連れが行列をつくる。車を小さな店舗に変身させた羊の乳製品専門店や小さな幌付きスペースで,露天の口上さながら薀蓄を述べるキノコ専門店など,小さな劇場の集まりのようだ。商人が気さくに質問に応じてくれた。家庭内暴力による生活困難児童を受け入れている団体が活動のアピールを兼ねて寄付金集めをしていた。ガールスカウトも旅行資金集めに手作りのお菓子を売っていた。
ベルギーの伝統的なハム、テリーヌなど手作りしている店では訪ねてきた他のマルシェでの仕事仲間達に裏でそっとパンに挟んだものを渡していた。パリから移ってきたという椅子の張り替え職人が言った。「ここにはうちとけた和やかさがある」と。そして隣の靴屋もパリから移ってきたそうだ。丘になっていて売り手は駐車が困難だ。眠る為のキャビンを牽引している車もあった。
ブリュッセル中心部から南へ下ったメトロHorta駅の近くのサン・ジルの市庁舎の下の広場で毎週月曜日の13時から19時30まで開かれる。
食料など日用品の他、レストランの屋台出店が唯一許可されているマルシェでタイ料理やクスクスなどエスニック料理やワインなどを屋台で味わえる。移民を含め様々な国の人々を受け入れ、リラックスさせるマルシェで*マグリブの商人も多い。ベルギーに昔からあるマトンというお菓子を売る青年から日本の福島への心配と関心を寄せられた。お菓子が売れなくても情報交換出来ただけで喜ばれた。
<gardien de la paix>というユニホームを着たコミューンの女性保安官と話が出来た。マルシェではいくら写真をとっても構わない。逆に写真を拒否することは奇妙だそうだ。
ブリュッセルのマルシェ周辺には必ず数件のカフェがある。カフェといってもパリとは違い小さなビア酒場のようなものだが、マルシェと密接な関係があることは確かだ。このマルシェに面したカフェの主人はここに来る商人達とは古くからの馴染みで、今どの店がどんな事情で休みをとっているかも知っている.お互いに葬式にも出席する仲だという。マルシェの日は仕事も増えるし楽しいという。コミューンの重厚な建物はまるでマルシェを抱きかかえてぃるように見えた。*日の沈む西の意味.アフリカ北西部
イクセル地区にあるChâtelain広場に毎週水曜日の午後1時から冬場は19時30分、夏場は20時頃まで開かれるマルシェで、ルイーズ通りから西に入ったアールヌーボー建築が多く見られる地区にあり、オルタ美術館も近い.
昔ながらの伝統を残した洗練された雰囲気があり、夕方になるとワイン片手に語り合うコスモポリタンの男女で辺り一帯が驚くほどの賑わいをみせる。これはユニークさを越えた驚異的現象であり、他のクラシックなマルシェ以上に人々の出会いの場になっている。水曜の午後は学校が休みになるので午後は子供連れでも賑わう。
夜になるにつれ大人のアペリティフの場へと変化する光景はまるで祭りのようだ。家路を急がずに立ち寄る健全なオアシスであり,ジャンルを越えた人々の出会いの場となっている.商人達も本来の役割以上の仕事をしていることを自覚しているかのようだ。
ワインは2ユーロで質は高い。軽食もすべて小銭で味わえるし美味しい。コートジボアールのスタンドで初めてアフリカ食を経験,店の人が料理作りを止めて,知り合いの商人からワインを買ってきてくれた.マルシェの終わる時間、屋台の裏側で学生が残り物を分けてもらっていた。毎回この時間に来て無償でもらっているという。『学生はお金がないからね。』というと、胸をはって『学生はお金が必要ないんだ。』と答えてきた。なんだか恥ずかしい気持ちになった。パリの人にこのことを話すと驚いていた。パリの商人は廃棄処分したほうが簡単と思う人が多いそうだ。
ブリュッセルの旧貧民街で、現在は多くの芸術家の住むマロル地区にあるJeu de Balle広場で365日開催されているブロカント。
このマルシェの保存協会の責任者と会うことができた。ブリュッセルの典型的な伝統あるマルシェであり、観光スポットや週末の息抜きとしてだけでなく、庶民の生活に根ざしている。貧しい人から趣味の人まで生活必需品、部品、衣類、食器、リネン類、飾り物、昔の写真からレコードまで
エコサイクルなだけでなく、懐かしいもの、大切にしておきたいものに出会える。故人の魂や歴史と会話のできるマルシェだ。周りのカフェには過ぎ去った昔の写真が飾られ、週末には昔からの達磨ストーブの側でアコーデオン弾きが懐かしいシャンソンを弾き語る。この広場は昔の機関車工場の跡地であり、そこで働く人々に温かいスープを供給したことの名残から今でもこの界隈のカフェでは来る人に手作りスープを安く提供している。この市は1870年に中心地で起こったあらゆる人々の古着交換から始まった。工場跡地広場に教会が建てられ蚤の市はここへ場を移した。戦前このあたりには120ものカフェがあり貧しい人々に暖をとらせ、水が汚染されていたのでビールを供給した。
25年前に<Les Amis du Vieux Marché>という古物マルシェの保存教会がブロカント商人によって設置された。目的はこのマルシェの経済的、絵画的、民族芸能的、歴史的な保存であり、運営は彼らの支払う場所代としての税金で賄われ、売買される商品は20年以上経過したものに限られる。70%はモロッコなどマグリブ人種であり<Vide grenier>や<Vide maison>のような仕事の場を与えられているのだ。いづれにせよ、このマルシェはブリュッセルに於いて唯一の伝統あるリサイクルの場としての価値を持ち、それは移民対策として,又社会互助の良い循環の場ともなっている.
週末の午前中、[AB]ラベルの商品を扱うビオマルシェとして知られる,バティニョールのマルシェを訪れた。無農薬及び有機野菜、BIO化粧品、オイル、チーズ、肉など、こだわりの良品を求めるグルメが集まるファッショナブルなマルシェだ。
大きな楽器を背負って黒いつば帽子を被り、肩からのマルシェバスケットをしっかりつかんだ若い女学生が颯爽と向かっていた。午後、リヨン駅からほど近いアリーグル広場のマルシェを訪れ、広場だけでなく通りにまでスタンドが立ち並ぶスケールの大きさに圧倒された。
先ず気づいたブリュッセルとの違いは,マグリブの野菜売りが『1ユーロ、1ユーロ!』と声を枯らしてしきりに叫び続けていることだ。BIOの店は何も叫んでいないのに客で一杯。隣接するマルシェ・ボーという屋内常設市場はパリ最古の建物で、老舗的専門店が高品質のものを売っている。壁には証明書や賞状がならび、こだわりの美食愛好家が集まっている。オールドファッションの下着や寝間着、靴などはない。グリーンのユニホームの若いマルシェ掃除人に清掃がまかされている。消防士が歳末資金の為,来年のカレンダーを2ユーロで売るが誰も見向きもしない。
パリでは、かつて生鮮食品を扱う市で賑わっていた通りや地区がアパレル街に姿を変えており,マルシェはカフェと同じように代表的な社交場であり生活術のシンボルである。しかしそれは富裕層が行くバカンスのようなゆとりある時間の楽しみであり、新鮮で質の高い食材を求めるグルメのものであり美食市の要素が強い。こうしたフランス人固有の生活スタイルが、大型マーケットや冷凍食品の時代でも生きる喜びの表現方法として、マルシェを存続させる要因となっているのではないかと感じる。
ここまでブリュッセルやパリのマルシェを見てきて、そもそもヨーロッパのマルシェとはどのような発生の仕方で、どのように発展していったのか、疑問に感じて調べてみた。
BC6世紀、古代ギリシャで「広場」を意味するアゴラという都市施設が政治や経済、哲学の議論に花を咲かせる市民生活の中心地だった。そこでは食物を扱うカペーロスという小売商のような仕事をする女性がおり、異国からの交易商人とは区別され生鮮食品や調理品を売っていたのがヨーロッパでのマルシェの始まりと考えられている。
それ以降中世ヨーロッパでは、人々に「貧困こそ積極的に求めるべき価値」という理想が根付いており、個人の利益に走らず、全ての人に十分な供給をという奉仕の精神のもと、マルシェも発展していったと思われる。
伝統を受け継ぐ市場も,時代の流れとともに様変わりしている。
現在のブリュッセルに残るマルシェをみて、この人々の奉仕の精神こそ、ブリュッセルのマルシェを形作る重要な要素となっていると私は感じた。
パリのマルシェではこの精神が失われたとは言わないが、商売色を強く感じ、価格、出店料ともに高騰し、地元住民への奉仕という意味合いは形を変えてしまったように思う。
ブリュッセルはベルギー王国という権威のもとで中世ヨーロッパの時代に人々に根付いた博愛・平等・奉仕の精神、個の命の尊厳優先というモラルが大きなバックボーンとして守られ続けていると感じる。今回垣間みたマルシェでの細かな実像と保安官の話などからそれを窺い知ることができた。ブリュッセルに於けるマルシェの基本的目的は、季節の旬の地産地消の場及び最低生活必需品供給の場の提供であり,定期的に決められた日に開催することで信頼と生活のリズムを生み出すことである.又古き良き地域生活文化の保存と地域結束の要となっている。蚤の市に関しては失業・移民者対策としてモラル教育と仕事の場と機会を提供している。マルシェは過大に利潤をあげない奉仕活動として崇高な精神と肉体を備えた商人にのみ許される非政治的ビジネスである。そこでは安価で温かい食事と飲み物の提供や善良な社会活動PR、そして一定の規律のもとで警察やコミューンによる商人と買い手の安全の保証が仕組みとして組み込まれている.そこでは市民にも商人にも温かいコミュニケーションの場が生まれ、弱者にも優しく社会的孤独からも救われるセーフティネットの役目が実現している。この研究から、現在の商業のルーツとも言えるマルシェ商人のエスプリの崇高さに気づかされた。
【参考文献】
(1) Bruxelles… Les marche’s : Julie Grégoire ,Carine Anselme
(2) Les Cite’s Obscures Ⅱ : Benoit Peeters, François Schuiten