阿部公彦先生の講演会が開催されました。
2025年6月26日、阿部公彦先生(東京大学大学院人文社会系研究科・文学部 教授)をお迎えし、「『事務の神秘』と文学者〜夏目漱石、ディケンズから三島由紀夫まで」と題してご講演いただきました。
阿部先生は事務について、「記号を使って世界を整理すること」であると定義します。一見、事務によって世の中がうまくまとめられるように聞こえますが、事務には肥大していくというデメリットもあります。物事を管理するためのエクセルといったシステムを例に挙げると、形式が見直されることなくそのまま引き継がれていくたびに、不要な制度が残ってしまうのです。
また学校は事務との相性が良く、大学入試ほど事務に依存しているものはないと言います。例えば、入試には合否が決定し受験者に通知が行くという一つの流れがあります。これは、記録を残して「決定事項」が生じるという事務の一つの要です。私たち大学生は事務の影響を受けて、事務とともにアカデミックな活動を行っているのです。
そもそも近代的事務が芽生えたきっかけの一つは、フランス革命と言われています。恐怖政治の下で多くの人がギロチンで処刑される中、ある事務職員は、処刑手続きのための書類、つまり訴追状を水に浸して原型をとどめない状態で川に捨てていました。彼が行った事務手続きの破棄という事務が権力に立ちはだかったのです。そして産業革命を経て人間は全体性を把握することが難しくなり、機械を通して人間が断片をチェックするようになりました。
最後に文学と事務についてお話がありました。事務的思考をする中で、注意の欠如や過大な注意によって引き起こされる「事故」がカギとなる文学作品が多く存在します。これは「あの時注意を払っていたらこうはならなかったのに」という事故的世界観が私たちの人生に絡んでいるということの表れと言えます。また、夏目漱石や三島由紀夫の事務に対する考え方についても述べられました。夏目漱石は事務的感性に優れており、人生のルーティン化を習得していた一方で、三島由紀夫は、時間に厳格な性格で普段から事務的思考の下で生活しており、究極の形式主義の果てに小説が成り立っていると、それぞれを評価しました。
この講演会では事務について理解を深めるきっかけになり、いかに私たちの生活に事務が関わっているかを知ることができました。単に仕事の一種だと思っていた事務が私たちの思考のベースにもなっていて、文学作品にもそれが反映されている。こういった事務の奥深さを知ることで、事務が欠かせないものとなった現代社会に生きる私たちも、事務とうまく付き合っていけるのではないでしょうか。
(法学部国際関係法学科3年 山下千晶)
