2010年研究旅行

テーマ設定に至る経緯

 和菓子屋にアルバイトとして働いていた自分が、和菓子(ここでは上生菓子)とフランスのマカロン(ここではパリ風マカロン)には大きな色彩の差があると感じたことから。今回は島国として独特の文化を育んできた日本の上生菓子は、フランスのマカロンの色と比べてどのような異なりがあるか。文化背景に色彩は影響しているのか。その色彩を比較することによって何がわかるのか等、和菓子とマカロンカラーの背景にある日本とフランスの日仏の生活習慣の関係についても調べていきたい。

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日本の伝統的な和菓子を作られる和菓子職人さんへのインタビュー

 日本の伝統的な上生菓子を作られている和菓子職人さんに色彩についてのヒントを得るため、インタビューを行いました。(インタヴュー先:和菓子処吉蔵店主:溝口裕典さん)

1.日本の和菓子に使われている色は、日本の何を際立たせていると感じますか?
 日本の季節を想像し、かきたてると感じます。
2.和菓子の色使いを考える時、どのような事に気を配りますか?
 昔の茶室は薄暗くなっていて、お菓子も濃い目の色であったと言われていましたが、今は現物のよりも少し淡い色をしているので、そのことに気を使います。
3.和菓子の中に(一つの菓子の中に)複数の季節を織り込んだものはありますか?
 お菓子の目的に季節感の他に慶意弔意等は織り込むが、基本一つの菓子に複数の季節は表しません。菓子一つに一つの季節が基本です。
4.和菓子には “ぼかし”のような淡い色彩が用いられていますが、これにはどのような意味が込められていますか?
 奥ゆかしさ、景色だとすると広がりです。
5.パリ風マカロンの写真を見て、マカロンの色使いについて、和菓子とどのようなところに異なりを感じますか?
 欧米らしくカラフル、pop感があり、楽しそうです。
6.マカロンの色を見た時、四季や季節感は湧きますか?
 私自身に身についている色彩感がるので、(例えば春=ピンク 夏=青、紫 秋=黄、オレンジ、冬=茶、グレーなど)マカロンもその一色であれば想像できます。
7.もし、フランスの町並みで(石畳や、石造りのヨーロッパ風の建物があると想像してください)和菓子を販売しようと思った時、どのような色の和菓子を販売しようと思いますか ?
 和菓子も基本素材の色を生かすのが一番で、色を見て味が想像できるのが美味しさに繋がるし、色を見て食欲を増すようにしています。欧米と、日本、基本の食文化の違いで、日本は穀類主体で色はモノクロになりやすいのですが、その中で紅色の点一つで、華やかさが出たりするので、和菓子の演出としてそういうことに気を配りたいです。
8.日本の町並みや日本の風土だからこそ今の和菓子の色は生えると思いますか?
 上生菓子は特に、茶室や菓子器等で、色は生えます。和菓子の色や形は茶道具や茶室などと相互的で、切り離すことはできません。

 この溝口さんのインタヴューの中で主に注目できるのは、和菓子には一つの和菓子に多重の意味を含むことができず、必ず一つ一つに歳時が込められていること。そしてあらかじめ私たち日本人の中にも季節感の色彩意識が備わっていること、一点の紅に重きを置くことなどである。しかし西洋人にはこのような四季の色彩意識は備わっているのだろうか、虎屋のリーフレットの中に「クリストフル」という銀製品の名門の社長として活躍するティエリ・オリエツ氏という方のインタヴューが掲載されており、そこから引用すると、「日本には、自然や季節に対する洗練された強い感性があります。歳時記をテーマにしたお菓子の種類の多さを見ても、それは一目瞭然。フランスにはあまりない感性ですね」とある。やはりフランス人の色彩感覚は四季に対してはあまり敏感でないことが分かる。しかし、これは劣っているというのではなく、そもそも日本人とフランス人の美意識、遡れば四季を形成する風土からの異なりが我々の色彩に対しての意識に影響しているのではないだろうか。以下からは東洋と西洋の気候、風土からの美意識の形成について述べてみたいと思う。

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気候からの色彩の違い

 日本人と西洋人の四季に対する捉え方は非常に異なることが菓子ひとつとってもわかることであるが、それには四季を生みだす日本を含むアジアの気候と、ヨーロッパの風土の違いも考慮しなくてはならない。和辻哲郎の「風土」の中で日本は、モンスーン(季節風)型と呼ばれる気候である。モンスーンがもたらす気候によって動植物が豊かに生育するが、日照り干ばつなどに服従することしかできない。その為自然に対して受容的であると述べられている。それに対し、牧場型と呼ばれる乾燥と湿潤の総合として規定されるヨーロッパは、夏の乾燥が雑草の繁茂を妨げ、冬の湿潤が柔らかな冬草を育てることによって自然が人間に従順である、と対照的である。日本人が四季の移ろいへの感動を抱いたり、自然に対して抗うような建築物などを造らなかったりするのはこの風土の違いがまず大前提なのである。逆に、自然と共生するというよりはむしろ自然をどのような形にでも手なづけられるという考えが強く表れた建築であるのが西洋である。自然を支配できるヨーロッパ諸国は庭園や建築物にいかんなくその考えを発揮し、それらは過剰な装飾性を帯びてビビットやトーンの強い色へと変わっていく。これらの気候風土からも、根本的な日本人と西洋人の色彩感覚は培われていると言えるのである。

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東洋美意識からくる色彩の違い

 気候の違いを踏まえた後で西洋人と日本人の美意識を比較すれば、西洋人は創造的な美を好み、日本人は自然的な美を愛好することが分かる。このことはよく西洋と東洋を比較する時に使われる大前提のようなものであるが、この考えを念頭におくことで、色彩に影響を及ぼしていることが分かるのである。「人間を考える」によると、「自我意識を発展させた西洋人は、個性あふれた「作品」を生みだす。それに対して、日本人は、自己を自然界と調和的に融合一体化することに美の極致を見いだす。結果として、西洋人の作品はどの展示場に出してもそれ自体立派な作品として鑑賞できるが、日本人の作品は、そのおかれている「場」との関係が大切である。あまりに深く「場」と融合一体化しているため、そこから取り出すとその作品は影を失い、その「場」も空しくなる。たとえば、バチカンのサン・ピエトロ寺院と苔寺、ミケランジェロの彫刻と日本の石仏、幾何学的に計画された噴水を持つ庭(ルーブル宮殿)と借景庭園や枯れた庭(三宝院)などは、人間と自然の関係のとらえ方がいかに異なっているかを明確に物語っているものである。」とある。このような美意識は「場」の調和を求める日本の菓子の色彩に、また、一つの作品として扱われるマカロンに通じるのではないだろうか。

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食卓の場におけるマカロンカラーのルーツの考察

 “マカロンカラー”と言われる鮮やかなマカロンのカラーの発祥は、現在のパリ風マカロンを生みだした洋菓子の老舗“ラデュレ”にある。しかしマカロンのカラーが形成されてきた背景には、フランスの歴史的な生活習慣が関わっているのではないだろうか。マカロンカラーに着目する中で、マカロンは本来菓子として、フランスのテーブルに上るものであるから、その食卓にもカラーを生みだすに至るきっかけがあるのではないかと考えた。そして独特の文化を持つフランスの食卓のセッティングが、マカロンに及ぼす影響を考察してみた。
 フランス料理におけるテーブルセッティングは、まず、すべてのサーヴィスに対して、中央に何かしらの盛り合わせや中央用の料理が存在する。「大規模なフランス式サーヴィスは、二層の輝かしい空間を作り出している。食卓は中央の皿を中心に構成されている。中央の皿は太陽を表し、その周囲に惑星であるポタージュと中型のアントレ、そして星座、無数の星星としてアントフィリオン(もてなす人)を中心とした円環を構成している。」食卓は料理のシンメトリカルな配置を楽しみ、視覚を重視したものである。フランスのテーブルセッティングは中央を中心としたシンメトリーのテーブルセッティングになるのだから、上記のサーヴィスのように必ず中心が居る。中心を際立たせ、はっきりと対称だと意識させるためには、中心が自然に溶け込むことのない、強く目立つ色を持った装飾性のあるものが必要になるのである。“対称”というフランスのテーブルセッティングは、日本の一つの盆の中に収まる配膳とは大きく異なり、必然的に強い色や目立つものを中心に持ってくる。つまりマカロンを積み重ねて作られるマカロンタワーなどは「中心」という役割を持つ為に華美な色彩になったと考えられるのである。
 その「中心」についての具体的な例をあげると、アントナン・カレームのピエスモンテと呼ばれる装飾菓子が近い例になるのでとりあげてみたい。アントナン・カレームとは19世紀の天才と言われる宮廷料理人である。彼は、ピエスモンテと呼ばれる装飾菓子を手掛け、マジパン(砂糖細工)でアテネの遺跡、ロシアの修道院、ローマの寺院、中国の仏塔などをつくりあげた。これは現在のマカロンタワーの原型になるほど菓子としての装飾性、建築性が高い。フランスのシンメトリーのテーブルセッティングはこの“中心”を際立たせる文化を生み、それに装飾性、建築性のあるものが造られていくのである。
 さて、この中心にあるピエスモンテは中心という文化だけで生み出されたのでは無い。ピエスモンテが作られてきた時代、人々はしっかりと整備されたフランス式庭園に飽きを覚え始めていた。以後パリの年の整備も手伝って元来のフランス式庭園は“人工的な自然”を生みだすイギリス式の庭園へとシフトしていった。そしてそのイギリス式の庭園は古城や洞窟などのつくられた“自然”の形となり、これがピエスモンテの元になると考えられるのである。(写真7)これはビュット・ショーモン公園というフランスの中にあるイギリス式の庭園で、広大な公園の敷地内に廃墟を模して造られた塔や、池、洞窟などが点在している。また、写真7にはショーモン公園の池の案内描きがあり、これはまるでフランスのテーブルセッティングのようである。この人工的な自然の建築物や洞窟などを真似てピエスモンテはますます華美となった。そしてフランスのテーブルセッティングの「中央」の役割の大きさと豪華さに拍車がかかり、マカロンの色彩の集合体を生む結果となったのである。

  • 写真7(1)写真7(1)
  • 写真7(2)写真7(2)

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フランス、パリで唯一の和菓子屋虎屋での現地調査

 今回フランスで唯一の和菓子屋である虎屋のパリ店において現地調査に赴くこととなり、現地に行くにあたり、「パリの和菓子屋の店内構造と和菓子の色彩の関係性」を調査する試みを得た。店内のフランス人店員と日本人スタッフに許可を得、店内とディスプレイを撮影し、現地での和菓子の色彩を調査した。
 上記で述べたとおり、和菓子は日本の茶室や茶器とは切り離せない関係ではあるが、その和菓子を異国のフランスに進出したのが虎屋である。洋風の街並みに和菓子の色合いをどのように溶け込ませているか、また現地の和菓子の色合いは日本のものと異なるのであろうか。

 1.店はパリの10番地St-florentin(サンフロランタン)通りにあり、外観はヨーロッパ特有の石造りの灰色の建物である。大きなショーウィンドウが埋め込まれ、季節が九月の前半であった為、ショーウィンドウには秋の装いがなされていた。(写真1、2)店内には日本の茶室を感じさせない、モダンな雰囲気があった。椅子と机は洋風の造りではあるが、派手な装飾はされておらず、明るいオレンジ色の椅子を除けば「控えめ」である。しかし店内は日本人が入っても全く気にならないほど自然と溶け込んでおり、マカロンと異なる淡い色の上生菓子が出されても違和感がなかった。これについては虎屋パリ店30周年記念のホームページの「店舗の内外装は、のれんを除いてすべてフランス風にした。パリにたくさんある日本料理店はたいてい内部を日本風にしているが、いずれも“まがいもの”の感をぬぐえない。(中略)そこで私は中途半端な日本風をやめて、虎屋の基本色である黒と白を基調に一部赤を取り入れた近代的なものにした」という記述があり、完全な日本感を出さず、店内外がフランスに溶け込むようになされていることが分かる。先ほど取り上げた日本人の「場」と融合一体化する美意識が現れているとも言える。
 2.(写真3)はショーケースの中の写真である。これは日本の上生菓子(あんで形を造った細工菓子)であるが、ショーケースの中には一つの黒の台座に一つの上生菓子が添えられ、それぞれにひとつずつ説明が加えられていた。ここでこの和菓子はマカロンのように一種類をたくさん並べたり、数種類を重ねたりすることはなく、必ず一つの皿に一つの配置であった。虎屋はマカロンも出しているが、それらは4,5の色に抑えられ、箱に整前と配置されており、色彩が表立って強調されてはいなかった。現地での和菓子の色合いは日本の上生菓子とはほとんど変わりなく、そのままの状態であった。

  • 写真1写真1
  • 写真2写真2
  • 写真3(1)写真3(1)
  • 写真3(2)写真3(2)

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西洋人と日本人の個の思想による和菓子とマカロンの色彩の形成

 風土、美意識、食事環境と様々な文化の異なりを経てきたが、次は古来からの西洋人の考える「個」の捉え方と日本人の「個」の捉え方の違いから生まれる色彩のルーツについての考察をしていきたい。古来の基本的な個の思想について、西洋人は「私」と「対象物」という考え方を持ち、個というものは「私」と「見られるもの」の二つが存在する考え方であった。これを「私」と「自然」という風に捉えれば、人間と自然はまったく別の物として切り離され、人間が自然を「見るもの」として庭や公園が整備されていった。これは庭園が造られる際に「見られるもの」として造られ、その見られる庭園の一部として「マカロンカラー」が存在するということである。つまりマカロンカラーは絵画や家具の装飾品と同じように「私」と「マカロンカラー」という見られる モノ で、絵画などと同じ様に装飾性が求められるのである。
 これに対し、日本人は「自然と一体化すること」のように自然信仰が強く、自然を神のように捉え、それに抗うことのないような考え方を持ってきた。これは先ほどの気候や美意識で述べてきたことにも通ずる。「私」と「自然」の関係は「見る者」と「見られるもの」の二つではなく、それらが同化する一体である。日本における上生菓子は、まずその一つ一つが小宇宙であり、季節を巧みに和菓子の中に表現する。季節の移ろいはその色彩の輪郭を “ぼかす”ことにより表現され、花であれば花弁の色が少しずつ変わる部分を色の境目を曖昧にし、自然の美を表現する。つまり装飾品としての「見られる」ものではなくそれ自体に自然を感じ、己が同化できるような菓子である。色彩もまた、四季を感じさせ移ろいを感じさせる色にしなければならないのである。和菓子の色彩はそれ自体が季節や歳時を模倣し、複雑な形である自然を思い起こさせるようにする為に淡かったり濃かったり、はたまたコントラストがついていたりとその色彩は多様である。これは和菓子 が自然と同化するという“一点”が強く強調される、一点の美である。

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一点の美の日本と集合体の美のフランスの色彩感

 では、最後に<一点物の美の日本>と<複数の集合体の美のフランス>という個人的な考察を述べることにする。 和菓子の色は上記に述べたとおり、まず季節の色、木々や水、風、花の自然の形を模倣して造られた為の色である。一点として造られる和菓子は、漆の器に一つ盛るだけで、存在感があり、そこに空間として形成される。しかしこれに対して装飾品のように造られたマカロンは、それ一点では存在が薄く、一点のものとしては存在が難しい。そこで、一つのビビットカラーのマカロンを複数箱に詰める、器に並べる、タワーとして形成する。これによって色彩として弱かったマカロンは一気にその装飾性と存在感を増し、「マカロンカラー」として一つの空間となるのである。つまり、マカロンの色が余りにも華やかなのは、それ一つとしての存在というよりも、複数の集合体としての美を表すためにあのようなカラーが生み出されているのではないだろうか。日本は一点の物を淡い色から濃い色にグラデーションしたり、複数の色で彩りながら一つの菓子としての存在感を見せつける。そしてマカロンは集合体として初めて存在する。確かに根拠の深いものではないが、この考えは和菓子とマカロ ンだけに通ずるものでは決してない。和菓子と同じようにフランスへと進出してきた日本料理についても同じことが言える。パリの街中にあった日本寿司店を見てみると、(写真)寿司を一点として捉えず、全体で一つのアートのように寿司を配置し、寿司を美術品として広告している。一貫ずつ皿の上に乗せる日本の広告と比べてみてもやはりフランス人は集合体の美を好むのである。そして、(写真4)はマカロン売り場と隣接していたチョコレートショップの写真であるが、まさにこれは色彩の層のようであり、マカロンカラーと同じようなビビット感が現れ、全体の美を醸し出している。これは、やはりフランスには色彩に集合の美が、日本には一点の色彩の美が、それぞれあるように思えて仕方ないのである。

  • 写真写真
  • 写真4(1)写真4(1)
  • 写真4(2)写真4(2)
  • 写真5写真5

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まとめと感想

 今回、学内GPを利用し、和菓子の色彩とマカロンカラーの日仏比較についての研究テーマを元にフランスに赴いた。
 今回の調査では大まかにではあるが、フランスの風土、美意識、食卓、色彩感覚の違いを調査し、それに沿う文章を引用しながら研究にあたった。風土に関しては現在と過去ではかなり差が生じてくるため正確とは言いにくいが、風土が日仏のある程度基本的な色彩意識を育んでいたものとして考えることとした。
 現地での虎屋の調査では、日本の菓子がどのようにパリの街並みに溶け込んでいるかを調査したかったため、日本の菓子屋と同じように一点ずつを基調としながらもそれをうまく配置し、色彩感を壊さずにディスプレイをしていることに感動した。“一点”という日本の特徴をそこに見出せた気もし、そこから日本の色彩とは何かを考察することもできた。
 また、マカロンの色彩を調べるに辺り、装飾菓子としてのマカロンの色彩を生みだすきっかけになったのではないかというマカロンタワーの存在にも注目した。そしてさらにマカロンタワーが置かれるフランスのテーブルセッティングを調べることによって、フランスには対称の文化が根強く「中央」という存在が大きいこと、それが華美になるのは当時の庭園などのフランス人をとりまく環境が変化してきたことなどが判明した。その為ビュット・ショーモン公園に赴き、“人の手を加えた自然”を見ることとなった。これらの人工的な自然はマカロンの人工的な色みを生むきっかけになったと考えられる為、訪れることができていっそうマカロンの色彩に関する解釈が深まったと思う。
 これらのことから、マカロンと和菓子はその作られる材質の違いだけが色の違いを作るのではなく、異なったこれらの美意識と生活、風土背景が違いを生みだしていることが、自身の調査ではっきりと感じることができ、それを今回のまとめとしたい。

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参考図書

 和辻哲郎:「風土」
 中尾真理:「自然は直線を好まない」講談社選書メチェ1999
 虎屋:「とらやパリ店30年のあゆみ」リーフレット
 ガエタノ・コンプリ:「人間を考える」ドン・ボスコ社
 虎屋:「パリ30周年記念ホームページ特設ページ」
 イアン・ケリー:「宮廷料理人アントナン・カレーム」ランダムハウス講談社
 千趣会:「にほんのにほん伝統ヴィジュアルブック・和菓子」
 千趣会:「にほんのにほん伝統ヴィジュアルブック・お庭と和室」
 エドモンド・ネランク+ジャン=ピエール・ブーラン「よくわかるフランス料理の歴史」同朋社出版

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