パリ・都市論
研究発表リスト・講評

発表順に並んでいます。

02-2502 立田 健太郎 アンリ・ルソーとパリ

 「ドウワニエ」(税官吏)と呼ばれた収税吏Henri Rousseau (1844-1910)の描いた万博に沸くパリを背景にしたエッフェル塔から、「素朴派」といわれる「素人」画家がいかにパリを眺めたか、を読み解きました。この不思議な感覚の絵は、芸術を見る私たち鑑賞者の、「素人」amateurの眼が、この時代に大きく変わったことをも知らせていることを、立田君は見逃しませんでした。

01-2531 北條 明日香 モーパッサンの馬車

 Guy de Maupassant(1850-93) が1883年に書いた短編小説<<A cheval>>は、馬車が Image-clef、キー・イメージとなっています。1853年から始まるオスマンのパリ大改造によって、パリは近代都市へと変貌していきます。セーヌ河のボート遊びを趣味にしていたモーパッサンが、「乗り物」を主題にしていかにパリを捉えたか?小説から都市を読む意欲作です。

02-2514 稲富 悦子 ボードレール・白鳥

 Charles Baudelaire(1821-67)は、まさにパリの詩人です。浄化され、新たに舗石が敷き詰められていくパリは、「永遠に孤独な運命を負わされている」詩人にとっては、「いまわしい」ものでしかありませんでした。「カルーゼル広場はもうない...」消えゆこうとしている旧いパリと生まれつつある近代都市との狭間を生きたボードレールの肉声を聞き取った興味深い発表でした。

02-2566 若杉 さなえ モネ・都市改造後のパリ空間

 第1回印象派展が開かれたとき、パリは空前の大工事の最中でした。中世そのままに狭い道の中央を悪臭を放つ下水溝が通る一帯は、取り壊され、大型馬車がすれ違えるほど広々とした、まっすぐ伸びる大通りが続々生み出されました。ClaudeMonet はそんなパリの姿を「キャプシーヌ大通りのカーニバル」(1877)や「公園」(1867)などの絵画で描いたのです。暗いじめじめした「湿気」を追い払う「光」をことさら愛するモネの視線。光の都パリを造った視線の数々を紹介してくれた、示唆に富む発表でした。

02-2513 礎 明日香 ヴェルレーヌ--パリ・スケッチ

 Paul Verlaine (1844-96) が音楽性豊かに処女詩集「パリ・スケッチ」(1865)で歌ったパリの情景は、プロシャとの開戦後、国民軍に編入され、そのままコミューヌに荷担し、酒浸りになり、ランボーと放浪生活へ入っていく彼の心象風景へと繋がっていきます。時代背景と心の風景との重なり合いが好奇心をそそります。

02-2511 朝来野 広子 ランボー・戦争の歌

 ヴェルレーヌより10歳年下のArthur Rimbaud (1854-91)は、1870年に普仏戦争が勃発すると、敗戦の混乱がもたらした長い夏休みを利用して家出し、歩いてベルギーの近くからパリまでやって来ます。コミューヌに参加して、Chantde guerre parisienne を書きました。生の現実の反映をまだ残しているランボー作品として、とても面白く味わいました。

02-2561 毛利 梓 モネ・サン・ラザール駅

 鉄道の駅という近代的な主題のもとに、印象派を代表する画家Claude Monet(1840-1926)は、1877年にLagare de St. Lazareという作品を描きました。1837年に完成したパリで最も古いこの駅で、出発を控えた蒸気機関車が旅愁を誘っています。鉄道が切り開く、鉄とガラスの新しい時代の到来を、この絵画は明確に伝えています。鉄道によって、都市と地方との関係も、都市の持つ意味も、がらりと変化します。社会論的な視点からのアプローチがなかなか鋭い発表でした。

01-2627 萩原 雅子 トリュフォー・大人は判ってくれない

 Francois Truffaut の1959年の作品Les quatre centscoupsは、完璧な私小説的な映画です。家出して一夜を過ごした翌朝、ミルクを盗んでパリの路上で一気に飲み干すシーンは忘れられません。ラストシーンはパリではなく、海辺を走り、何かを言おうとするかのようにこちらを見つめる少年の顔のストップ・モーションでした。アントワーヌ少年の心と神経を持って、私たちは50年代のパリを生き、そして大きな世界への不安と、自由への憧れを、彼と共有する。映画体験の醍醐味を思い出させてくれるすてきな発表でした。

02-2567 和田 佳寿巳 ピサロ・オペラ座--パリの交通機関

 Camille Pissaro(1830-1903)もまた、鉄道網がフランスに張り巡らされるようになった19世紀後半の時代、気軽に田舎に遠出しては自然に親しみ、光に溢れたその風景を描く一方で、パリを回る交通機関としてすでに普及していた乗合馬車を愛用しながら、スケッチ感覚でパリの情景を写し取っていました。1853年のパリ万国博覧会第1回の見物客は、歩かずにあちこち見て回れる交通手段はないものかと思ったものでしたが、1889年、ついにエッフェルらによって地下鉄網の構想ができあがったのです。都市と娯楽のテーマに引きつけられた印象派の画家たちが、近代都市パリ成立の貴重な証言者であることを明示した好発表でした。

02-2551 福井 陽子 ピサロ・ポン・ヌフ

 ピサロは1901年に、パリにある最古の石造りの橋ポン・ヌフを描いています。ルノワールも1872年に同じ主題で絵を描きました。パリ万国博覧会の時には、アレクサンドル3世橋がアンヴァリッドとグラン・パレ、プチ・パレをつなぐために建設されました。近代都市において、橋が果たす機能は何でしょうか。橋の上を行き交う人々や乗り物のなかに、その答えの一端が見出せそうです。面白いテーマを提供してくれた発表でした。