私たちはフランス文明論の初回の授業で「地下鉄のザジ」のビデオを見た。
「地下鉄のザジ」はルイ・マル監督の作品である。母親が恋人と過ごすために、3日間パリのガブリエルおじさんのところへ預けられた主人公ザジはこの映画の最初から最後までメトロに乗りたがるが、ストライキのためメトロは動かない。結局、ザジはメトロに乗ることなくパリを後にする。この映画を見て、映画のなかで映し出される当時のパリの様子から、「そもそもパリジャンたちはなぜメトロを走らせようと思ったのだろうか、そして現在、メトロはどんな風に彼らの生活に根付いているのだろうか。」とメトロに強い興味を持ったため、今回はパリのメトロについてを詳しく調べてみることにした。
まず最初に、上の絵を見てもらいたい。これはカミーユ・ピサロの「テアトル・フランセー広場、雨のパリ」という作品である。この絵は19世紀当時のパリの交通事情をよくあらわしている作品であると思う。向こうへまっすぐ伸びている道のあちこちに馬や馬車が走っていて、歩行者たちは追いやられるようにしてわき道を歩いている。
この絵からわかるように当時のパリでは、町中のあちこちに馬や馬車、荷馬車が行き交う、統一性のない乗り物によって混乱した町であった。
では19世紀のパリの交通事情をもう少し詳しく見てみることにしよう。
乗合馬車 920台
馬 1500頭
辻馬車 10000台
路面電車 31本
セーヌ川の水上バス 20隻
19世紀のパリの交通事情を簡単な表にまとめてみた。
上の表から分かるように、当時のパリはあらゆる種類の乗り物が溢れた町であった。こういった統一性のない交通機関のために、市民たちの混乱や事故は大変多かったようだ。馬同士の引き具がぶつかり合い、列車の衝突事故、通行人が馬車とぶつかってケガをしたり、ときには死者も出るほど、町には多くの危険性があった。よくパリジャンたちは馬や馬車の上から怒鳴りあって喧嘩をしていたという。また、馬車や農作物やその他の商品を運搬する低速の荷馬車が落としていく馬糞やゴミの回収にあたる車もかなりの数であった。こうした市民を混乱させ、危険の多い交通機関見直しのため、市は徒歩、あるいは馬を引いて歩かない者以外は馬や馬車を没収、もしくは罰金を課すという法律までつくったが、少しも効果は上がらなかった。そこでパリ市は一日も早く市民の便利な足となるような交通機関を建設しようとしたが、なかなかすぐには実現しなかった。