ルソーは1890年建立されて間もないエッフェル塔を描き世に送りだしました。その当時エッフェル塔は数々の議論を醸し出し、識者達を賛否両論の渦の中の巻き込みんだ最中でした。モーパッサン(1850〜1893小説家)もそのようなひとりでした。
<J'ai quitte Paris et meme la Franceparce que la tour Eiffel commencait par m'ennuyer trop. Non seulementon la voyait partout, mais on la trouvait partout faites toutesles matieres connues, exposees toutes les vitres, cauchemer inevitableet torturant>
(私はパリ、そしてフランスさえも自分から遠ざけた。あの忌ま忌ましいエッフェル塔のためである。どこにいても目に入るあれは技術の粋をみだらに集めガラスで被われたこびりついてはなれない悪夢それにほかならない)
しかしルソーは一連のエッフェル塔に対する批判の中とりわけ抵抗感もなくそれを絵にあらわし心よくうけいれました。
1.Curiosite instinctive(根っから物好きルソー)
パリにおいて極貧きわまりない生活をしられ、あまりパリより外へ足をのばすことのほとんどなかったルソーには珍品、名品絶品の数々をあつめられた万国博覧会、新時代へのこけらおとしともなるエッフェル塔は特に興味をひいたはずです。また絵のなかにもその関心の高さや興味津々だったであろうルソーの気持ちうかがえてどこかないものねだりをするような雑然とした雰囲気が漂っています。
2.Amour-propre(揺るぎない自信)
ルソーは絵のなかで背景と比べてかなり大きく自分を描いています。なぜなら本格的に絵を描きはじめてまもない、かけだしのルソーではあるが(諸説はあるがだいたいルソーが絵を本腰入れて描いたのは1884年頃といわれるが初期の作品から画風がおおかた確立されているのをみるとそれ以前から相当量のデッサンや模写がくりかえしおこなわれていたとかんがえられる。)早く自分の絵をうけいれてほしい欲求のあらわれとともにそれにこたうる実力が自分にはあると疑わない自信のみなぎりが表現されています。くわえて、黒いスーツにみをかため、真直ぐに視線を見定める姿にはパリという芸術の激戦区のなかで失駄陶冶されても画家としていきていく強さにめざめた、確信の証拠にもなります。また、背後のエッフェル塔やパリの緑や万国博覧会はいささか暗くじみな印象をあたえるルソーの内面的な気概を代わりに体現してくれているのではないでしょうか。
3.Philanthrope nostalgique(故郷への回顧)
ルソーにとって、ふるさとはふるきよき物ではなかったのかも知れません。借金に追われた子供時代を送り、出来心からか窃盗の罪を犯し、成績もわるいさえない生徒だったルソーどこかどこか気のおいてしまう解放区とは程遠い存在ではなかったのではないでしょうか。しかし、かれの描いたパリの街並にとりいれられている『緑』はふるさとの木や森のみどりにおもいをかさねて描かれたものであるとされています。パリで絵かきとしての生涯の大半をおくりほとんど赴くことのなかったふるさとへのせめてもの恩返しなのではないでしょうか。
4.結び
自分で描く肖像画(自画像)の多くは室内で描かれたものが多いと思われるが、ルソーの場合、背景ににエッフェル塔、万国旗、パリの街があり、頭のてっぺんから足先の全身を描き、加えてパレットと筆を携え愛すべき人の名前まで記されている。(屋外で自画像を描いたとは考えにくいので、写真もしくは自画像に背景をかきいれたのか?)新入りの画家でも自分の作品を世界中に知らしめるチャンスでありたいと願うパリ万国博覧会を讃えたこの習作にも値しないとなじられたこの絵。従来から暗黙に求められてきた緻密な構図や遠近法、主題まで常軌を逸しているこの絵は、まだ見ぬ未来の成功はの憧れ、「異国風景」へと旅立つルソーの暗示かもしれない。
立田健太郎