19世紀のパリについて簡単に言うと、1853年に、オスマン知事が大規模な再開発計画を発表し、パリは近代都市へと変貌していく。鉄筋建築が建ち、鉄道が縦横に走り、時代の祝祭としての万博がエッフェル塔を造った。「近代の到来」を敏感に受け止めた画家たちは、様変わりする日常風景を積極的に描いている。鉄道をテーマにした絵画には、すでにターナーの『雨・蒸気・速度』があるが、それを本格的に取り上げたのは、モネ、ピカソ、シスレーなどである。なかでも、モネはパリのサン=ラザール駅とその周辺を主題にした一連の作品を描いている。初めは連作の意図はなく、一点だけのつもりだったと言われているが、結局は12点も同じ物を題材に描き続けている。鉄骨とガラスでできた構内はモネが描いた19世紀後半のイメージそのもので、それほどまでに彼を魅了したことからも、鉄道の登場というものが当時の人々に大きな影響を与えたのではないかと考えられる。
モネと言えば、『日傘の女』や『青い睡蓮』が有名だが、このように蒸気機関車という鉄の塊を題材に描き、日常生活により密着したこの作品に注目した。マネやカイユボットも駅を描いているが、彼らが駅を見下ろした構図で描いているのに対し、モネはプラットホームと同じ高さに視点を置いていて、そこに興味を持った。絵は時代の証言と言うように、ここでは、このモネのサン=ラザール駅の絵をもとに、19世紀の「鉄道がもたらした都市パリへの影響」について研究したいと思う。
*『サン=ラザール駅』クロード・モネ
モネは外部の視線ではなく、プラットホームの最後まで、ほとんど線路まで行く旅行者そのものや、蒸気機関車や汽笛の常連や、絶え間ない交通の乗客の視線を取り入れている。駅は近代性の象徴であり、モネに与える主題である。躍動感やざわめき、ほとんど駅の騒音をよりよく再現するために、白と青の煙が建物や機関車のシルエットぼかしている。
第三回印象派展へ足を運んだエミール・ゾラは(自らも鉄道員の生活を小説に描いている)感動して、<< Le Semaphorede Marseille >> の中で次のように書いている。
<< Monet a expose cette annee des interieursde gares superbes. On y entend les trains qui s'engouffrent, ony voit des debordements de fumee qui roulent sous les vastes hangars.La est aujourd'hui la peinture, dans ces cadres modernes d'unesi belle largeur. Nos artistes doivent trouver la poesie des gares,comme leurs peres ont trouve celle des forets et des fleuves.>>
「モネは今年、すばらしい駅の内部を展示した。我々は列車が流れ込むのを耳にし、巨大な倉庫の下に転がっていく煙があふれるのを目にする。今日、絵画はここまで来たのだ、非常に大きな幅のこの現代の額縁の中に。我々の時代の芸術家は、かつて父親たちが森と小川に詩情を見出したように、駅に詩を発見しなければならない。」
*鉄道の登場
19世紀前半は産業革命の時代である。この時代に生み出されたさまざまな技術の中でも、とりわけ大きな影響を与えたのが蒸気機関であり、特にそれを利用した鉄道であった。蒸気機関を利用したのは鉄道だけではないが、その他の機械や設備、例えば工場の中の紡績機械などは、一般の人々の目からは隠されていた。それに対し、鉄道は誰の目にも触れうるオブジェとして日常の生活空間に登場してきたのである。それまで数千年ものあいだ陸上交通の手段と言えば馬、あるいは馬車ぐらいしかなかった。しかし、人や物や情報など、全てが流動性を増し、交通事情を改善することが何よりの急務となった。それまで経験しえなかったスピードで走る鉄道は、大量輸送を可能にし、それがもたらした技術的、経済的、社会的そして文化的な波及効果は、現代の私たちには想像することさえ難しいほど大きかったに違いない。フランスでは19世紀後半に、蒸気や圧縮空気を利用した路面電車のtramway、そして20世紀初頭のベル・エポック期になると自動車や地下鉄が登場してくるが、人々の生活様式を根本的に変えたという意味で鉄道に勝るものはないと言われている。
<< A ses debut, le train est destineau transport de marchandises plus qu'aux voyageurs et son developpementsuit donc les imperatifs de l'industrialisation et du commerce.L'Angleterre, qui precede la France dans la modernisation, devientle pays vers lequel on se tourne et sur lequel on prend modele.>>
鉄道先進国イギリスでは、1800年代初頭にすでに蒸気機関車が登場しているが、フランスで初めて蒸気機関車が走るのは1832年サン=テチエンヌとリヨンの間の56キロである。しかし、これはまだ実験的な段階に過ぎず、鉄道の主要な役割は原料や商品の運搬、すなわち産業振興の要請を満たすことにあった。近代化においてフランスより先行くイギリスは、フランスが向かう国であり、手本とする国となる。
*鉄道の影響
フランスで最初の近代的鉄道が敷設されたのは、首都パリではなく、そこから500キロほど離れた地方都市であった。パリに乗り入れる旅客列車としては1837年にパリ=サンジェルマン間に開通したのが最初で、パリ市民から大好評をもって迎えられた。しかし、当時の世論や国会は鉄道に対して厳しく鉄道網建設法案を廃案に追い込んでしまった。そのためフランスの鉄道の整備はイギリスやベルギーに比べて大幅に遅れることになるが、その後次々と開通した。フランスの鉄道建設は急ピッチで進められ、1840年代に入ってから急速に鉄道網を整えていき、第二帝政期(1852―1870年)には、パリと地方都市をつなぐ幹線がほぼ完成する。パリと地方都市を結ぶ新しい鉄道路線の開通は、当時国家的大事件とも言えた。それは、新聞にとっては見逃せない話題であり、大々的に取り上げられたことからもわかる。この第二帝政期末には、鉄道はフランス人たちの意識を一変させるほどまでに広く発達していた。当時の社会を襲った鉄道建設の熱狂は、産業のあらゆる分野を巻き込んで、人々のメンタリティそのものをも変化させた。
*サン=ラザール駅
1851年から52年にかけて、アルマンによってサン=ラザール駅は鉄骨建築の駅として建設された。初めこのサン=ラザール駅は西駅と呼ばれ、パリ=サンジェルマン線が開通したときに造られたパリ最古の駅であり、フランス西部鉄道会社の拠点駅である。その後拡張工事を繰り返し、1866年の工事に至る。1855年の統計によると、1年間にサン=ラザール駅を利用した人の総数は2400万人で、これはパリの駅、つまりフランスの駅の中でもっとも大きな数字である。パリのその他の駅は、北駅670万人、東駅650万人、リヨン駅370万人、オルレアン駅(現在のオーストリッツ駅)230万人、そしてモンパルナス駅380万人ということで、サン=ラザール駅の利用者が文字通り桁違いに多いと言うことがわかる。このように主要な幹線が乗り入れている駅よりも、むしろ首都パリとその近郊を結ぶ路線を確保している駅の方が乗降客が多かった。
パリと地方の主要都市を結ぶ幹線が次々と建設されたことで地方からパリへ、パリから地方へと移動する人の数が激増した。1867年、ちょうどパリが万博の人気で沸き返っている時で、フランス各地から見物にやって来た大勢の人々や、今やフランスのみならず国際的な近代都市となったパリを一目でも見たいという観光客のために、鉄道は大きな力を発揮した。しかし、一方で急速に肥大化してすでに様々な社会問題(新しい都市への集中現象、労働階級や新しい社会の階層の出現、鉄道建設が風景に及ぼした影響、などではないだろうか)も抱えるようになったパリの住人たちは、失われた楽園を求め、昔のままの自然に憧れて、地方を訪れるようになった。そしてほかに何も目的をもたない旅、レジャーとしての旅行がこの時代から生まれてきた。鉄道はパリ人たちの視野・行動半径を広げたのである。
<< La gare, image emblematique, passageoblige pour d'autres destinations, porte ouvrant sur l'exterieurde la ville.
Au XIX siecle, la gare s'eleve au milieu de la ville tel un nouveaumonument, le temple d'une nouvelle religion, celle du voyage,qui permet aux citadins d'elargir leur horizon jusqu'alors bornepar des moyens de transports lents et malcommodes. A Pais, lagare Saint-Lazare est le symbole par excellence de la vie moderne.>>
*都市の産業化
フランス産業の構造を最も大きく変革させたのは、やはり鉄道である。19世紀、特にその後半は鉄道の世紀と呼んで差し支えないほどである。鉄道交通発展に伴って、商品の流通・循環が円滑に行われ、誰もがより多く生産し、より多く消費する時代が始まった。また、鉄道のレール、機関車、鉄橋、駅などに利用するための鉄の需要が急激に増加したおかげで、製鉄会社は第二帝政の間に、生産高を数倍にして、イギリスに負けない強国な産業的基盤を築きあげた。鉄道の普及によって、フランスの産業は一気に「鉄」と「蒸気」を中心とする重厚長大型の構造へと変化を遂げた。
絵画は、画家の目を通して都市がどのように変容したかを知ることができる。モネの鉄道への執着心や彼の作品がすぐに衆目の的となったことからも、鉄道の登場は衝撃的だったのだろう。鉄道は、産業革命の象徴であり、近代的な都市文明の到来を人々に印象づけた。蒸気のテクノロジーが鉄道という交通革命をもたらし、商品の流通・循環速度を飛躍的に高めることで、都市の産業化を推進させた。そして、人々の大量輸送を可能にし、人々の行動半径を広げ、旅を民主化し、「レジャー」を大衆化したのである。車両ごとの等級や孤立した車室内での殺人や暴行など問題はあったものの、鉄道は大きな役割を果たしたと言える。
仏文引用
<< PLEINE AIR les impressionnistes dans les paysage >>HAZAN, Stephanie Gregoire