宗教において
「幸せ」を考えることは、生き方を問うこと。
 旧約聖書の「創世記」によると、神がこの世界や人間を創造した時、神はそれらを祝福したと記されています。人間は本来、幸せになるものとして造られたと考えられます。
 では、私たちにとって「幸せ」とはどのようなものでしょう。どうすれば「幸せ」を手にすることができるのでしょう。
 1960年代から1970年代にかけての高度経済成長期、多くの人が経済的に豊かになれば、幸せになれると信じて懸命に努力していました。ところが、物質的な豊かさが手に入っても生活満足度が向上することはありませんでした。
 それから40年以上たち、情報過多社会の今、私たちの周りは欲望や快楽を刺激するものであふれていますが、人々は欲求不満で不安に駆られているように見えます。
 その一方、「ウェルビーイング」という言葉が浸透し、「幸福」や「生活満足度」への関心が高まっています。もちろん、お金などの物質的充足は大切ですが、家族や友達との信頼関係や好きなことに熱中する時間など、手に触れることができない精神的な満足こそが人生を豊かにしてくれる。「モノの豊かさ(経済成長)」から「心の豊かさ(心の成長)」へ「幸せ」の物差しが大きく変化しつつあるのです。
 そして、「幸せ」にはその人の人生観や価値観、人生の目的や意味などが大きく関わっています。「なぜ生きるのか」「人としてどう生きるのか」。宗教は、古来よりこうしたことを考え続けてきた人間の営みそのものであり、人々が「幸せ」を見つけるための導きになっているといえます。
人は1人では幸せになれないからこそ、
他者の喜びに幸せを感じる。
 学生の皆さんが「幸せ」について真剣に考える時、それは就職活動に取り組む中で自身の将来を想像した時ではないでしょうか。「自分にとっての『天職』は何だろうか」と。
 実は、キリスト教にも「天職」という言葉があります。日本語の「天職」は、個人の能力や性質にふさわしい職業を指し、「天から与えられた仕事」を意味します。では、キリスト教の「天職」はどういうものでしょうか。中世までの西欧では、聖職者に限って「天職」という言葉が使われ、神父などの聖職者は「神から呼ばれた人々」と考えられていました。しかし、16世紀の宗教改革の中心人物マルティン・ルターによってその解釈が広げられると、世俗の職業も神聖なものとされ、パン屋や靴屋なども仕事を通して神の呼びかけに応える「天職」と見なされるようになりました。
 また、キリスト教で「天職」という場合は、単に仕事やキャリアに限らず、家族生活、恋愛、創造的活動など日々の生活の全てを指します。そのため、家庭での家事や子育ても重要な天職になるのです。つまり、キリスト教で「天職に生きる」とは、「何を仕事にするか」だけでなく、「どのように生きようとしているか」にまで及ぶのです。
 そして、英語で天職を意味する「vocation」は、ラテン語の「vocare(呼ぶ)」と「vox(声)」に由来します。その意味を鑑みると、神から私たちの「魂に語りかけられる声」こそ、「vocation」が本来意味するものであり、私たちが耳を傾けるべき「呼び声」なのです。「自分は何を大切にして生きていくのか」、「自分が何に使命を感じるのか」を見極めることが「天職」を見つける鍵といえるかもしれません。
 ただ、人は1人では生きていけません。1人で幸せになることは難しいでしょう。「天職は、自分の魂のニーズが社会のニーズと出合う場所に見出される」という言葉があります。自分の喜びがほかの誰かの喜びと重なる。それがたとえ小さな働きだったとしても、心からの深い満足感と幸せを覚えると思うのです。それは、決して大きなことを成し遂げる、賞賛される人生を送るということではありません。目立たない人生でも、神の前で自分が納得できる人生を選ぶということです。学生の皆さんには、「自分の幸せな人生とは何か」を考え続け、試行錯誤しながら幸せな人生を自らでつくっていくことを願います。
知識を詰め込む学びから、
知識を社会に生かす学びへ。
 近年、これからの時代に向けた新たな教育が進められようとしています。
 かつて日本の教育は、子どもの自己実現のために、知識や技能を習得させ、入試を突破させることを目的とした「知識偏重型」の教育指導が行われてきました。
 しかし、社会はこれから予測不可能な時代に直面します。経済界では、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取って、「VUCA」の時代と表現されます。教育の現場では、これからの社会を「知識基盤型社会」と呼び、教育で習得した知識が活用され、人々の幸せを支える社会になることを目指しています。
 いずれの呼び方にしても、困難な時代にふさわしい人の育成が喫緊の課題であることは間違いなく、早い段階での育成として学校教育の在り方が問われているのです。
 こうした状況の中、日本の教育現場では授業改善が進められています。その一つが「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)です。他者と意見を交換する中で自身の考えを表現し、論理性を高めていく。さらに、今学んでいることが社会とどのようにつながっているのかを考え、社会に内在する問題を見つけ出し、主体的に解決へ導いていく。ゼミ活動はまさにアクティブ・ラーニングそのものであり、大学で学ぶことの意義を再認識し、より良い社会のために自ら行動する力を身に付けてほしいと願います。
社会の中で自らを生かすことが
個の幸せにつながっていく。
 では、私が担当する理科教育は、「幸せ」と関わりがあるのでしょうか。
 最近、子どもたちの理科離れがよく話題になります。しかし、理科や科学技術は自然の営みやインフラ形成に深く関わる学問です。災害対策やエネルギー問題の解決に科学的知識が求められるように、理科教育は現代社会の課題解決に必要な知識を育んでいます。
 そこで、子どもの理科や科学技術への関心を高める施策として「STEAM教育」が注目を集めています。STEAM教育とは、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Art(芸術)、Mathematics(数学)の5つの分野を統合した教育アプローチのこと。理科を他教科と関連付けながら、社会の中にある問題を解決する経験をすることで、社会に貢献できる人を育成することが期待されています。
 最新のPISA2022(国際的な学習到達度に関する調査)では、日本は科学技術の知識を正しく運用する能力を示す科学的リテラシーの得点が世界トップレベルで、OECD(経済協力開発機構)加盟国の中で1位。TIMSS2019(国際数学・理科教育動向調査)によれば、小学校理科は58カ国中4位、中学校理科は39カ国中3位と上位を誇ります。
 ところが、国別幸福度ランキング(2024)では、日本は143の国や地域の中で51位と、知識や能力はあっても充足感のある日々を過ごせていない日本の現状が浮き彫りになりました。
 こうした現状を踏まえ、これからの教育の羅針盤となる次期教育振興基本計画では、「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」が盛り込まれました。「ウェルビーイング」とは、個人の自己肯定感や地域・社会の幸せ・豊かさが感じられる状態のこと。今後、ウェルビーイングな社会の実現に向けた教育が展開・実践されると考えられます。子どもたちが自己実現を追求しながら、誰もが幸せと感じられる社会をつくる一員として活躍するために、教育に何ができるのか。「幸せ」×「教育」が問われているのです。
 みなさんは卒業後、より良い社会をつくる担い手となります。ただし、自分に何ができるかはその時の置かれた立場によって変わります。大切なのは、自分にできることで社会に貢献することです。そして、その経験を通して、自分自身も幸せを感じられる。そんな好循環が生まれると素晴らしいですよね。このためには、自ら問題を見つけ出し、その解決に向けて奮闘する経験をしてほしいと思います。勉強や部活動、アルバイト、留学など何でもいいので、皆さんの挑戦を期待します。
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