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始めたばかりの頃は
沖に出ることすら苦戦。 -
サーフィンとの出合いは、私が小学6年生の時。父に誘われ、福岡県糸島市でサーフィン体験をしたことがきっかけでした。当時は水泳を習っていたため、泳ぐことには慣れていたものの、サーフボードを持って海に入るのは初めて。慣れない動きに戸惑いながらも、ただただ楽しかったことを今でも覚えています。
その後、本格的にサーフィンを始めたのは中学1年生の春です。いつしか、良い波があると父と一緒に糸島市の野北や芥屋まで足を運び、波に乗るのが土日のルーティンに。始めてから1、2年のうちは波に乗るどころか、沖に出るだけでも大変でした。サーフィンでは沖に出るために、波が来たら「ドルフィンスルー(サーフボードを水面下に沈めて波をくぐり抜ける技術)」でかわさなければなりません。しかし、何度やってもうまくいかず、波が来るたびに岸へ押し戻され、体力だけが消耗。何度も心が折れそうになりましたが、サーフショップのコーチにアドバイスをもらいながらひたすら練習を重ね、徐々に克服。時に、大きな波が来て恐怖心を感じることもありましたが、自然の力や尊さを理解することで気持ちをプラスに変えてきました。そうして、少しずつ上達するにつれ、サーフィンの魅力にどんどんはまっていきました。
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全国のトップ選手が競う
全日本大会に出場を果たす。 -
サーフィンにさらに本腰を入れたのは大学入学のタイミングです。中学、高校と部活動をしていたため、サーフィンができるのは学校や部活動がない空き時間だけでした。しかし、大学に入り、何に打ち込みたいかと考えた時に、「サーフィンが好き」という強い思いから、競技としてサーフィンに挑戦しようと覚悟を決めました。
そして、2023年には全日本サーフィン選手権大会に初めて出場。この大会は、日本サーフィン連盟の全国70支部から選抜された代表選手だけが出場できる、トップレベルの大会です。私は幸運が重なり、福岡支部の代表選手に選出されました。それまで、地元の大会に出場した経験はありましたが、全国大会は初。トップレベルのサーファーが出場する選手権だけに、会場は闘志むき出しの張り詰めた雰囲気でした。
大会の基本ルールはというと、一度に3〜5人が海に入り、12分(または15分)で1人最大8本の波に乗ること。そのうち点数の高い2本の合計点で採点されます。中でも、サーフィンの戦略性を高めるルールが、優先権(優先的に波に乗れる権利)です。この優先権を巡る選手同士の駆け引きが試合の見どころの一つとなります。
結局私は、この全日本サーフィン選手権大会では、雰囲気にのまれてしまい、いつも通りのライディングができませんでした。焦りから波選びを誤り、優先権は次の人へ移ってしまい、ただ時間が過ぎていくという負のループに…。サーフィンを好きな気持ちはきっと負けていませんが、勝負に勝ちたいという思いの強さは、負けていたのかもしれません。1回戦敗退という悔しい結果は、次なる目標を私に与えてくれました。
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今の私の根幹を支える
サーフィンの経験と時間。 -
今練習しているのは、波が崩れる寸前の波のトップで90度クイックターンする「当て込み」という技術。簡単な技ではないですが、できなかったことができるようになった瞬間のうれしさは何物にも代え難いものです。あとは波を見る目を養い、来た波に対して、どんなライディングをするか、瞬時の判断力も鍛えていかなければならないと感じています。波は生き物。二つと同じ波はありません。2度目の出場となる今年の全日本サーフィン選手権大会では、次こそは納得のいくライディング、そして2回戦進出を目指します。
私はサーフィンを通して、コミュニケーション力も向上させることができました。小さい頃は人見知りでしたが、今では幅広い世代の方と臆せずに話せるようになったと思います。サーフィンで得た経験は、私の生き方の根幹を支えています。この経験は、将来の目標である小学校教員になった時にも、きっと生かされると信じています。
- 小学校教員になるべく今できることを模索中。
- 将来の目標は小学校教員になること。そのために、実際の現場を見るほか、子どもたちと接する機会を得るため、週に一度学生サポーターとして小学校の授業や学校生活の支援を行っています。実際の子どもたちの様子や先生の授業の進め方、さらには授業中の声の掛け方など、大学の授業だけでは知り得ない、本当に学びの多い時間です。