人生を変えた
国枝慎吾選手との出会い。
 私が車いすテニスと出合ったのは6歳の時。2010年に福岡県飯塚市で行われた「飯塚国際車いすテニス大会(ジャパンオープン)」を観戦したことがきっかけでした。その時は、新型インフルエンザの合併症で車いす生活となった直後。私は元々、サッカーをしていたため、「車いすでも何かスポーツに挑戦できるきっかけが見つかれば…」と、母が試合観戦に連れて行ってくれました。その時の大会で優勝したのが国枝慎吾選手。国枝さんは、世界ランキング1位のまま2023年に引退した、日本が世界に誇るトッププレーヤーです。6歳の私は、一瞬で国枝さんのプレーに目を奪われました。車いすでコートの隅々まで駆け回るチェアワークのスピード感、そしてあらゆる球を打ち返すフィジカルの強さ。車いすへ抱いていた固定概念が覆され、車いすテニスの世界に一気に引き込まれました。しかも、試合後に国枝さんと話す機会があり、幸運にもサインボールとリストバンドをいただくことができたのです。この時に感じた車いすテニスへの興味と高揚感をきっかけに、私の車いすテニス人生が始まりました。
小学生の頃から、吉永寛和コーチの指導のもと練習を行う高野さん。二人三脚でパラリンピック出場を目指す。
テニスは自分自身との戦い。
冷静な思考が功を奏す。
 国枝さんの試合を見てすぐに、車いすテニスの練習をスタート。最初は週に1回の練習から始めました。年齢が上がるにつれて練習量も増え、小学校高学年の頃には国際大会に出場。中でも印象に残っているのは2016年。12歳の時に、当時史上最年少で世界国別対抗戦のジュニア日本代表に選出されたことです。“まさか自分が!”という驚きと、憧れの国枝さんと同じ舞台に立てたことは、人生最高の瞬間でした。そして、2021年の世界国別対抗戦にもジュニア代表として選出され、念願だった優勝を果たし、世界一となりました。
 ジュニア時代を経て、2022年4月からは、かんぽ生命所属選手として活動。週3日、コーチの指導のもとコートで練習を行い、それ以外は自宅で筋力トレーニングを行っています。その他にも、国枝さんをはじめ、さまざまな世界トッププレーヤーの試合やインタビューなどを見て、技術や考え方などを学んで取り入れています。特に重視しているのは、メンタルケア。テニスはコートに立つと、頼れるのは自分だけです。しかし、同時にそれがテニスの魅力であるとも感じています。自分と対峙し、いかに体も心もコントロールできているかが勝利のカギを握っています。だからこそ私は、試合の日には鏡に映る自分に向かって心を落ち着かせる言葉をかけたり、試合直前は集中力を高めるために1人の時間を持ったりと、冷静さを大切にしています。とは言え、小さい頃はそんな冷静さはなく、試合後に悔しくて泣くこともよくありました…(笑)。
 また、それは練習も同じです。試合時期やコンディションを正しく把握し、課題を見つけ、目標から逆算して練習メニューを考えています。自分を一歩引いて見る。その“客観力”が私の強みだと感じています。
周りの支えあっての自分。
今後恩返しをしていきたい。
 これからはテニスと並行し、英語の勉強にもっと力を入れていくつもりです。世界のトッププレーヤーと対等に渡り歩くには、語学力がいかに重要であるかを痛感しています。一時はテニスと学業の両立に難しさを感じていました。しかし、その時期を乗り越え、今では頑張った先でどんな自分に出会えるかを楽しみにしています。この考えも、一歩引いて、冷静に状況を把握し、判断することに重きを置いた車いすテニスから得た学びの一つです。
 年々、スポンサーや応援してくださる方々と触れ合う機会が増え、改めて周りのサポートあっての自分だと、年齢を重ねるごとに強く感じています。将来は自分なりの方法で皆さんに恩返しをしていくつもりです。まずは、2028年に開催予定のパラリンピック出場を目指します!
学びを深め
アスリートとして
さらなる成長を。
テニスプレーヤーとしてもう一歩成長するために、語学力は必要不可欠。小さい頃から海外遠征で英語を話す機会が多く、語学力を磨きたいと外国語学部へ進学しました。外国語学部では、英語とフランス語の両方を広範に、かつ興味のある分野を体系的に学ぶことができます。大学の恵まれた環境をフルに活用し、車いすテニスと学業との両立にしっかりと取り組んでいきます。
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