MY ANSWER カワイイ × ? 社会や時事問題に関する素朴な疑問に、2人の教員が答えます。それぞれの専門領域から導き出された「マイアンサー」とは?きっとあなたの知の扉を開いてくれるはずです。

国際文化学部国際文化学科 柿木 伸之教授 上智大学大学院哲学研究科哲学専攻博士課程修了。研究分野は美学。「そのかわいさは何だろう?」と立ち止まって考えてみることで、愛おしさが深まるはずです。
コミュニケーションを
活性化する「カワイイ」という
言葉に潜む危うさとは。
 「カワイイ/kawaii」という言葉は、若い世代ではグローバルに用いられるようになりつつあります。動物やキャラクター、あるいは人やその特徴を「kawaii」と呼ぶことによって、海の向こう側の人と共通の話題を持つことができるでしょう。また、「カワイイ」という言葉は、特に女性のコミュニティにおいて独特の魔力を発揮しているように見えます。学生の皆さんも、「カワイイ」と連呼して友達と盛り上がったことがあるのではないでしょうか。
 一方、深海生物のダイオウグソクムシのように一見グロテスクな生き物も、「カワイイ」と形容されることがあります。このようにさまざまな事物が「カワイイ」と呼ばれるところには、多種多様なものに面白さを見出す„しなやかな感性が表れています。そして、こうした感性自体は、多様性に開かれた価値観が求められる今、存分に伸ばしていくべきでしょう。
 とはいえ、「カワイイ/kawaii!」と盛り上がっているうちに、どうしてそれがかわいいのか分からなくなってしまうことがあるかもしれません。あるいは、相づちを打つように「カワイイ」と言ってしまうこともあるのではないでしょうか。こうして確かな意味づけを欠いたまま用いられる場面には、片仮名で表記される「カワイイ」という語の特徴が表れています。それは、グロカワやキモカワといった派生語が示すように、何にでも用いられるのです。
 「カワイイ」という言葉が汎用性を示すとき、それは別の魔力を発揮します。民話に登場する恐ろしい妖怪も、「カワイイ」と呼ばれれば無害化され、愛すべき存在に変わるのです。さらに、「カワイイ」と呼ばれる対象が意外であればあるほど、SNSで「バズる」というように広い興味を引きつけます。ダイオウグソクムシの名もそうして知られるようになったわけですが、現代の広告産業は、この現象に目をつけて、グッズにも使われるようなキャラクターを作り出すのです。
 例えばこうしたキャラクターがSNSなどで「カワイイ」と言われていて、それに乗って自分も「カワイイ」と盛り上がっていると、どこが本当にかわいいのか分からないまま、皆と同じようにそのグッズを買わなければいけないような気分になっているかもしれません。いわゆる「推し活」にも同様の心理が働いていることでしょう。「カワイイ」イメージは、この心理に訴えて人を消費に駆り立てます。
 今日の「カワイイ」という言葉の使われ方には、人をある消費のパターンに組み込んでしまう危うさが潜んでいます。それに囚われ、狭い集団で「カワイイ」と言われているものだけを追いかけるようになってしまうと、それとは別の面白いものや心の底からかわいいと思えるものに出合えなくなっていきます。消費社会の中で「カワイイ」と言うことには、視野を狭め、感性を硬直させる危険が潜んでいるのです。
「カワイイ」をとことん味わうと
愛しさが深まり、感性が広がる。
 かわいいものは古くから人を引きつけてきました。現代の「かわいい」という語は、「うつくし」、「らうたし」といった古語から来たとされていますが、例えば「枕草子」では、眠りこけた子どもの様子が「いとらうたし」と言われています。小さい子どものいとしさが今も伝わってきます。ただしそのように弱いものを「かわいい」と呼ぶことは、「愛玩(あいがん)」という語が端的に示すように、それを支配できる対象と見るのと紙一重です。このことは今日、ジェンダーの視点からも顧みておかなければなりません。
 こうした危うさを踏まえながら、人がさまざまなものを「カワイイ」と言うときに感性が刺激されていることを重視すべきでしょう。その意味でも、「カワイイ!」と言って終わりにしてしまうのはもったいないことです。何かを「かわいい」と思ったなら、なぜそう思うのだろうと自問しながら、そのかわいさをとことん味わってみてはどうでしょう。そうすれば、かわいいと思うものを深く愛おしむようになるだけでなく、より多様なかわいいものに感性が開かれていくのではないでしょうか。
法学部法律学科 中野 万葉子准教授 慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。法学博士(ミュンヘン大学)。研究分野は西洋法制史。
中世ヨーロッパでは
エリートの象徴だった
"カワイイ"学問書。
 私の研究分野である「西洋法制史」は、日本法の近代化に際して模範となったヨーロッパの法の歴史を研究材料として、「法とは何か」という問題について考える学問です。
 そのため、私の研究室の机上には研究材料となる古書が何冊も並んでいます。それらは15〜17世紀にドイツやフランスなどで書かれた法律書や神学書、哲学書など、さまざまですが、非常にカワイイ装丁が施されているのです。表紙は革製で、タイトルや模様に凹凸の加工がされているものもあれば、四隅に金具が付くもの、本を閉じるリボンが付くものも。表紙を開けば、見返しに花柄や幾何学模様、各章の扉には内容を連想させるイラストが描かれ、本文中も挿絵が入っています。その見た目はまるでハリーポッターに出てくる本のよう。活字ばかりの六法や法学の専門書と全く異なり、手に取るだけで心躍るデザインなのです。
 では、現代の私たちの心を鷲掴みにするこの本を、当時の人たちはカワイイと思っていたのでしょうか。恐らく、そんなことは全く思っていなかったでしょう。なぜなら、学ぶことが難しかった当時の人たちにとって法律書の装丁はカワイイどころか、地位を表す象徴だったからです。当時の法律書はラテン語で書かれており、法学の教育を受けたエリートしか読むことができないものでした。
 歴史をさかのぼると、学問するということ自体が開かれていませんでした。「大学」という場所がない時代だったので、学問を究めたい若者は師を求めて門をたたくのです。そうして同じ志を持つ仲間が集まり、いつしかその集団を「大学」と呼ぶようになりました。その証拠に「university」の語源は、ラテン語で「団体」を意味する「universitas」といわれています。
 それほど当時において、法学を学ぶことは特別であり、カワイイとは無縁だったのです。
法の歴史から見えてきた
法学と神学とカワイイの関係。
 では、なぜ地位の象徴である法律書に、カワイイ挿絵が描かれていたのでしょう。その一つの理由は、法律の成り立ちに神学の影響があったからではないかと考えます。
 中世ヨーロッパの法律書は、現在の六法のように体系化されておらず、さまざまな日常の困り事がまとまりなく記されていました。そこで、法学者たちはもっと分かりやすい法律書や法典を作ろうとしたのですが、その際にベースにしたのが神学でした。
 例えば、当時は契約の概念が希薄だったため、契約がなし崩しになることも少なくありませんでした。そこで、「契約は守るべきもの」ということを市民に説明するために示したのが、「約束は守らなければならない」という神学の考えでした。
 このように今では当たり前の法の概念も、昔は一から構築しなければならず、その上で神学は重要な学問だったのです。そう考えると、法律書の挿絵は聖書に散りばめられている絵画的表現が影響していると考えることは、あながち的外れではないような気がします。
 法律が確立した今は、問題解決のツールとして法律が当たり前のように使われています。一方で、昔の人たちは日々の困り事をどう解決すれば良いかを必死に考え、神学などを用いながら、民を導くことのできる法律を作りました。もしかすると、今を生きる私たちよりも世の中を良くしたい思いが強かったのかもしれません。
 「カワイイ」と法の歴史は無関係と思っていましたが、「カワイイ」の視点を通して、法律のあるべき姿が見えてきました。皆さんも「なぜ、ここにカワイイものがあるのだろうか?」と違和感を感じたら、立ち止まって考えてみませんか。目の前にあるモノを当たり前にせず、「なぜ?」と考えてみることで世界は広がります。「カワイイ」はそのきっかけになるかもしれません。
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