オンラインでは
共有することが難しい

身体による非言語的な
コミュニケーション。
 新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)の流行によって、私たちは「対面で会う」という当たり前だったコミュニケーションの機会を多く奪われました。このような状況下、他者とのコミュニケーションツールとして活用されたのが、Zoomなどのオンライン会議システムです。
 では、「対面」と「オンライン」では、会話の質にどのような差異があるのでしょうか。身体の動きや感覚などを示す「身体性」という心理学のテーマから両者の違いを調査した研究によると、第一に「視線」の違いが挙げられます。対面では、誰が誰を見ているかを瞬時に共有することができるため、発話者を定める場面が構成されやすい一方、オンラインでは視線をキャッチしにくく、そうした場面をつくることが難しくなります。第二に、「身体的な同調、同期」の違いが挙げられます。例えば、うなずく動作によって相手との一体感が生まれるように、対面では身体的相互作用が起こりやすくなります。そのため、「場の共有」が意識化されやすく、発話内容が際立ちにくいと考えられます。逆に、身体的な同調や同期が起こりにくいオンラインでは、「場の共有」よりも「発話内容の共有」が意識化されやすくなります。そして第三に、視線、姿勢、距離の情報といった「非言語的な情報」に違いがあり、対面に比べてオンラインは非言語的な情報が少なくなります。そのため、「場」や「間」の形成が難しく、発言や退出のタイミングが難しいというのもこのことが関係しています。
 確かに、私たちの日々のコミュニケーションは、言葉の内容だけでなく、相手の身体の感覚に影響を受けながら、相手からの非言語的な情報を感じ取り、「場」や「間」を共有しながら会話を展開しています。こうした身体の感覚のレベルで„相手と共にいる"という実感を持つことは、オンラインのコミュニケーションでは限界があるといえるでしょう。
オンラインは新たな
対話ツールとして定着。
 身体の感覚のレベルでつながることが難しいオンラインですが、人間は新たな環境に適して順応していく生物です。オンラインツールの使い方が分かってくると、身体を調整してコミュニケーションの取り方を模索し、順応させてきました。例えば、オンラインで大事な話をする時、相手の非言語的なものを普段以上に画面上から感じ取ろうと五感を働かせ、自分の気持ちをいつも以上に言葉にして伝えようと努力したのではないでしょうか。一方、会議のように言語的な情報が重視される対話においては、相手から語られる発話内容に集中し、対面でないがゆえにつかめない情報を何とか補おうとします。
 そして、再び対面での会話が日常に戻りつつある現在もコロナ禍で獲得したコミュニケーションの取り方は消えることなく、選択肢の一つに加えられています。例えば、会議ではオンラインがコミュニケーションの手段として残っています。一方、身体レベルでの場の共有が必要な相手とは対面で会い、身体の動きを相手と同調・同期させながら対話します。そのように目的に応じて相手との関係性で必要とされるコミュニケーションの取り方をうまく選択し、多様なコミュニケーションが行われているのです。
 コロナ禍では、やりたいことに挑戦できず、悔しい思いをした人がたくさんいるでしょう。しかし、コロナで失われた期間が、実は大切な時間だったと意味付けできる時が来ると思います。そのためには、現在をいきいきと生きることが大切です。「現在」の生き方は、連続線上にある「過去」への意味付けを変え、さらに「未来」への向き合い方も変えることでしょう。ぜひ、現在の大学生活を大いに楽しみ、充実した日々を送ってほしいと思います。
良いものは売れる時代から
社会貢献なしでは
ものが売れない時代へ。
 私の専門分野である商学の視点から新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)の拡大前後の市場を比べてみると、「市場のゲームルール」の変化が急速に進んだように思います。
 市場のゲームルールとは、「どのような商品・サービスを売るのか」という企業の競争の軸や評価基準の軸のことを指します。具体的に言えば、企業に求められる役割には「経済活動」と「社会貢献活動」の2軸があり、従来は経済活動と社会貢献活動は独立したものとして捉えられ、利益を最大化する経済活動こそが企業の本業でした。そのため、社会貢献活動は余力で行う補完的な役割しかありませんでした。
 ところが、コロナを機に2軸のバランスが急激に変化し、社会貢献活動を通じてでしか経済的な成果が得られない社会へと変化したのです。その象徴的な事例が、スープストックトーキョーの「離乳食の無料提供」をめぐる騒動でしょう。当初、同社の「離乳食の無料提供」の告知に対して、SNS上で「既存顧客の軽視や差別ではないか」というネガティブな評価が数多く言及され、炎上騒ぎとなりました。しかし、これに対してスープストックトーキョーは謝罪をするのではなく、「自社が社会の中で何を実現しようとしているのか」「そのためになぜこの施策が必要なのか」「そのために人々とどのような共同・共創をしたいのか」を声明文で説明したのです。この毅然とした対応が大きな反響を呼び、多くの支持を集めました。
 かつては良いものを作れば売れる時代でしたが、コロナ禍を経た今、「商品やサービスを通じて、どのような課題を解決してくれるか」というところにまで消費者の意識は進んでいます。つまり、企業が果たす役割は„社会貢献しか"あり得ない時代へと突入したといえるでしょう。
コロナという難題に
社会全体で向き合う中で
高まった社会貢献意識。
 では、経済活動から社会貢献活動への変化に対して、コロナはどのような影響を与えたのでしょう。
 間違いなく言えることは、社会全体であれほど必死に一つの問題に向き合ったことは、この数十年を振り返ってもコロナしかないでしょう。それくらい企業も消費者も悩みを共有した数年間でした。だからこそ、マスクの無償配布や食料の無料提供など、企業の社会貢献活動は消費者にポジティブなインパクトを与え、社会的な責任を果たすことが企業の役割として求められるようになったのです。
 また、企業の社会貢献活動を後押しした背景としてMZ世代の存在が大きいでしょう。彼らはデジタルネイティブといわれ、それまでの世代と価値観や行動が大きく異なることが指摘されています。その特徴の一つとして、社会的価値の追求や社会貢献活動への積極的な参加があります。というのも、彼らはSNSなどを通じて、バブル崩壊後を生きてきた世代の苦労を耳にしてきました。その中で芽生えたのが、「自分たちで何かしないと、世の中は変わらない」という意識であり、社会貢献への強い関心につながったといえます。このMZ世代が10年後20年後、生活者としてはもちろん、ビジネスパーソンとして日本経済の中心となり、新しい世界をつくる側になります。その時はきっと企業の社会貢献活動への動きはさらに進んでいることでしょう。
 そして現在、大学で学んでいる学生の皆さんこそが、これから新しい世界をつくる人たちです。そんな皆さんに望むことは、さまざまな「経験」をして自分の世界を広げてほしい。普段の自分ならやらないようなことにどんどん挑戦してください。経験は、自らの思いを通す切り札になります。ぜひ異世界に転生するくらいの勢いで毎日を過ごしてください。
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