バレンタインデーの
“チョコレート”は、
ビジネス戦略の賜物。
 「恋愛」をはじめ、「恋愛」に関連する「結婚」や「独身」は、文化人類学や社会学の世界において、極めて重要な社会的営為です。これらの社会的営為をビジネスに用いた場合、社会にどのような影響があるのでしょうか。
 皆さんになじみ深い「恋愛」を活用したビジネスといえば、2月14日のバレンタインデーでしょう。日本では、女性が恋人や意中の相手にチョコレートを贈ることが慣習となっています。バレンタインデー直前の百貨店に行けば、さまざまな種類のチョコレートがかわいくラッピングされ、バレンタインデーを盛り上げます。
 バレンタインデー発祥地のヨーロッパを見てみると、2月14日は「恋愛を祝う日」とされ、恋人同士がプレゼントを贈り合います。その内容は花やケーキ、手紙などさまざまで、チョコレートに限りません。つまり、チョコレートを贈るのは、日本特有の慣習といえます。また、職場の人や友人にチョコレートを贈るのも日本ならでは。「恋愛を祝う」という本来の意味に加え、「人間関係を維持・改善する」という意味が日本のバレンタインデーには存在しています。
 しかし、こうした慣習は日本にバレンタインデーが伝わった当初からあったわけではありません。きっかけは、1950年代頃、洋菓子メーカーがバレンタインデーにチョコレートを贈るキャンペーンを実施したことにありました。その後、他の洋菓子メーカーや百貨店などがバレンタインデーにビジネスチャンスがあると目を付け、次々とチョコレートと組み合わせた販促キャンペーンを展開。その結果、「バレンタインデー=チョコレート」というイメージが強く印象付けられたのです。そのため、1年の中でチョコレートが最も売れるのがバレンタインデーの時期とされ、「恋愛」という要素はビジネスを活性化する力があるといえます。
恋愛にもビジネスにも
喜びと悩みがつきもの。
 日本のバレンタインデーと同様の事例は海外にもあります。1930年代、大恐慌による不景気が続くアメリカでは、ジュエリー業界がダイヤモンドを売るアイデアとして、婚約時にダイヤモンドの指輪を贈る販促活動を展開したところ、これがアメリカの若者に大流行。ダイヤモンドの婚約指輪の慣習は世界中に浸透し、ビジネスを通じて指輪に「結婚記念」と「愛」を強く印象付けました。また、結婚式の定番となっている指輪交換の慣習が一般化したきっかけにもなりました。それに付随して、ブライダル雑誌の創刊やウェディングドレスをデザイン・販売する企業も登場しました。
 私の故郷である中国でも、世界的なIT企業のアリババグループが2009年から毎年11月11日、「独身の日」と題したセールイベントを開催したところ、中国全土をあげての販促イベントに拡大。その結果、「独身を祝う日」であった11月11日が中国人にとって「買い物の日」にすっかり変わりました。
 このように「恋愛」や「結婚」など社会的営為がビジネスに活用されることでモノが売れるだけではなく、新しい慣習や文化、産業を生み出すきっかけとなっているのです。
 一方、企業や経営者たちは恋愛を絡めたビジネスを展開し、「利益」を上げるために、販売戦略で苦労していることも事実です。これはある意味、好きな人へのアピールに頭を悩ます恋愛と似ているかもしれません。
 恋愛は喜びもあれば、苦しみもあります。しかし、辛いことも人生の一部です。機会があれば、恋愛に一歩踏み出してみましょう。何事も経験が大切です。
思うようにいかない。
失敗もある恋愛は、
“めんどくさい”の王道。
 世界一有名な絵画「モナリザ」は、その微妙な表情を表現するために、薄く溶いた油絵具が十数回にわたって塗り重ねられています。なぜ、このような面倒なことをダヴィンチはしたのでしょうか。それは、面倒なことの先に“欲しいもの”があったからです。ダヴィンチはこの技法で、輪郭線のない新しい絵画を発明しました。
 近頃話題の「若者の恋愛離れ」は“めんどくさい”が理由の一つだそうです。確かに、私が担当する造形の授業では、絵の具よりマーカー、ノリよりテープと、手間を省ける方を選ぶ学生の姿を見かけます。些細なことですが、“めんどくさい”を避けているように感じます。
 これは学生に限りません。人は誰しも“めんどくさい”ことが嫌いです。ここ数十年で世の中から“めんどくさい”をどんどん駆逐していきました。家事も移動もコミュニケーションも私が学生の頃とは比べものにならないほど便利になりました。そんな中を生きている若い人たちですから、“めんどくさい”に対する耐性が弱いのは、当然なのかもしれません。
 そのように世の中がどんどん便利になっていく中、“めんどくさい”ままなのが「恋愛」です。四六時中、脳の一部を占拠され、たまに夢に出てくることもあるでしょう。先に進めようと思えば、手探りでやってみるしかなく、しかも自分の思い通りに行くとは限りません。それどころか、失敗して傷を負うこともあります。これはまさしく、“めんどくさい”の王道と言えるでしょう。
20代は挑戦する時期。
恋愛に向き合ってみよう。
 実は、恋愛の“めんどくさい”は絵を描くことに似ています。絵を描いている最中は、脳の中が絵のことで占拠されます。制作期間が1年に及べば、1年間占拠されます。思うように描けない時は、作戦を練って、試して、砕けてへこむことの連続です。このループから抜け出し、思うような絵が描ければ良いですが、うまくいかないこともあります。その場合は、キャンバスを真っ黒に塗りつぶして振り出しに戻ります。これが、絵画制作のリアルな姿です。私はこんなことを40年以上続けています。
 なぜ、こんな“めんどくさい”ことを続けているのか。それは、“欲しいもの”がその先にしかないからです。私にとって“欲しいもの”とは、新しい絵です。美術史に残るような斬新な絵という意味ではありません。これまで描いたことがない絵や、描けないと思っていた絵に挑戦することでのみたどり着ける“自分の可能性の広がりを実感できる絵”のことです。
 恋愛の場合も、“めんどくさい”の先にしか“欲しいもの”はないように思います。ここでの“欲しいもの”とは、親子とも兄弟とも友人とも異なる人間関係でしょう。この人間関係は強烈に新鮮で、しかも自分の可能性の広がりを実感させてくれるものです。“めんどくさい”を補って余りあるものです。やってみる価値は十分にあります。
 しかし、その結果、“欲しいもの”が獲得できなかったとしても、それはそれで良いと思うのです。恋愛にしかできない経験があり、失敗も時が経てば、良い思い出になることも多くあります。
 また、10代から20代、30代は、人生の中でエネルギーに満ちている時です。何にでも挑戦できる時こそ、人生を豊かにする一つの要素として恋愛に向き合ってみてほしいと思います。人生に無駄なことなど何一つありません。すべての経験はいつか必ず役に立ちます。
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