全国約100校のゼミを
束ねる経験から学んだ社会を生き抜く力。
 学生時代の思い出といえば、ゼミ活動です。「大学に入学したからには1つの学問を究めたい」と、ゼミ活動が活発な後藤泰二先生のゼミに入りました。後藤ゼミのテーマは、企業の組織形態を研究する「株式会社支配論」。同じテーマを研究する他大学のゼミと、論文発表やディスカッションを行う全国大会に毎年参加することがゼミの一大イベントでした。私は後藤先生から指名を受け、研究と並行して、ゼミの代表として3年次から大会を運営する実行委員会に参加することに。
 実行委員会は月1回、その年の当番校の大学に全国のおよそ100大学のゼミ代表が集まって会議を行います。私も毎月、新幹線で大阪の関西大学へ。ほとんどが男子学生という環境の中、生まれも育ちも異なる同世代の仲間との交流はとても新鮮で刺激的でした。意見をぶつけ合って大会を形にしていく過程や後藤ゼミの代表として他大学との橋渡し役をした経験は、リーダーシップやマネジメント力、大学卒業後の社会で生き抜くための土台を身に付ける機会になったと思います。

並大抵の努力では報われない。
努力でかなえたキャリアアップの道。
 卒業後は、西日本シティ銀行の前身である福岡シティ銀行に入行しました。当時はまだ社会全体が男性優位で、銀行業界も女性が活躍できる場は限られていたと感じます。そんな中、私は住宅ローンなど個人向けの商品を扱う貸付業務を入社1カ月目から担当。常時50件もの案件を抱えて多忙ながらも、銀行員としての成長を実感すると同時に、お客さまに信頼される喜びを感じていました。
 一方、同期の男性たちは企業向けの融資や渉外営業を任され、着実にキャリアをアップし昇格していました。このことが悔しくて、実力を示して現状を変えるために、人一倍の努力を重ねました。融資業務に関する専門知識を身に付け、お客さまのニーズを先回りした提案を行うことと、圧倒的な営業実績を上げることが唯一の方法と信じていました。努力を続けた結果、入行5年目に念願の企業向け融資担当に。8年目には本店営業部の貸付主任に昇格。着実に自分の道を切り開いている手応えがありました。
 それでも融資マネージャーを務めていた赤間支店では、お客さまから「男性か支店長に代わってほしい」と幾度となく言われ、悔しい思いをしました。しかし、その悔しさが困難を乗り越えるばねになりました。「与えられたチャンスは絶対にものにする」という覚悟で、全力で仕事に取り組み続けたからこそ、今の自分があり女性管理職登用の先駆けになったと思います。
今も昔も努力の先にあるのは、
お客さまのために、地域のために。
 長い銀行員人生で思い出深いのは、初めて支店長を務めた太宰府支店での経験です。「外国人観光客は日本円硬貨を持ちあわせてなく、梅ヶ枝餅を売りたくても売れない」という地域の悩みを解決するため、日本に数台しかない中国元や韓国ウォンなど外貨を円貨に交換する外貨両替機を太宰府支店に設置。また、支店の会議室を利用して中国語・韓国語セミナーを開催したことも。そのかいあって、外国人観光客が笑顔で梅ヶ枝餅を買う姿を目にするようになり、太宰府参道の店主やこの地域の役に立てたと実感できました。
 現在は、取締役常務執行役員として広報部門やリスク管理業務を統括するなど、銀行全体を俯瞰する立場で銀行を支えています。お客さまと直接向き合っていた頃と立場は異なりますが、「お客さまのために、地域のために」という思いが仕事の軸にあることは変わりません。
 また、性別に関係なく次の世代を育てていくことも私の役割です。部下には「失敗してもいいから、新しいことに挑戦しよう」と言っています。何もしないのは楽ですが、それでは何も生まれません。挑戦して失敗する方が得るものが大きいです。
 学生の皆さんも失敗を恐れずに、その時に与えられたチャンスに全力で立ち向かってください。そうすれば必ず道は開けます。
 “何事にも失敗を恐れず、挑戦あるのみです”。
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