本を売り、本を書く。
兼業作家として活動中。
 私は書店員として働きながら、小説家としても活動しています。2つの肩書きは、どちらも現在の私を構成する重要な要素。相互に影響を与え合いながら、精進を重ねています。
 小説家を目指すようになったきっかけは、幼少期からの読書体験です。4歳頃から妖怪や怪談などあまたの本を読みあさり、妖怪の世界へまっしぐら。中でも、怪談「雪女」は大好きな話であり、大好きな妖怪でもありました。「雪女と結婚したい!」とまで(笑)。それほど本の世界に没頭していたのだと思います。市の図書館に通い詰めるなど、その読書習慣は大学生になってからも継続。大学2年次には小説の執筆を始めていました。しかし、淡い期待もむなしく、〝現役大学生が小説家デビュー〟という華々しい未来はそう簡単には訪れず、地道に執筆を続ける日々。卒業後は、本が好きだったことから、大手書店に就職し、空いた時間に執筆活動を続けることにしました。
 しかし、小説家への思いが強く、2年余りで書店を退職。短期アルバイトで食いつなぎながら、執筆活動に本腰を入れることにしました。時間の経過とともに、確実にキャリアアップしていく友人たちとの〝差〟に苦しみ、理想と現実の狭間で葛藤しました。時に自分が情けなくなることも…。くじけそうになったその時、文芸の新人賞に応募していたある出版社の方から携帯に着信が。受賞は逃したものの、小説出版の打診をいただきました。そして、念願かなって処女作を刊行。27歳のことでした。

お客さま対応と並行して、毎日届く新刊や補充の本を陳列したり、棚の整理をしたりと、業務は多岐にわたる

小説を書くときの主な流れはコンセプト、プロット、執筆の3工程。写真は『死に髪の棲む家』の手書き資料

諦めと奮起の繰り返し。
全ての経験を血肉にする。
 ついに小説家デビューを果たし、順風満帆な船出と思いきや、処女作の売れ行きが悪く、その後の企画が頓挫。待っていたのは厳しい現実でした。さらに、以前患った潰瘍性大腸炎という難病が再発。心身ともに疲弊し、作家業を諦めかけました。そんな時、小説を読んだ方からの感想を目にし、そこには私へのエールがつづられていました。虚飾ない言葉の数々。その励ましに背中を押され、再起を図ることを決心できました。その一歩として、作家業との両立ができる職場環境を探し、現在の積文館書店でお世話になることになりました。
 書店員の主な業務は、接客、仕入れ、棚づくりの3つ。接客ではレジ対応のほかに、在庫確認など迅速なお客さま対応が必須です。書籍の知識はもちろん、テレビやネットで話題の本などの情報収集は必要不可欠。仕入れでは、売上の推移を見ながら発注数を調整します。出版社から送っていただく出版前の本を読み、自分が面白いと感じた書籍は発注数を増やし、大々的に販売することも。このときに棚づくりの技量が問われます。POPを作成し、商品の魅力をどう訴求して、手に取ってもらうかを模索。お客さまと本との出合いを演出する。これも、書店員の大切な仕事であり、やりがいの1つです。
 20代の終わりに再び書店員となり、体調を見ながら執筆を続けてはや5年。その間も文学賞に応募を続けていました。そして、2024年4月、「第44回横溝正史ミステリ&ホラー大賞」の最終選考に残り、大賞は逃しましたが、読者賞を受賞。文庫本を出版できる権利を獲得しました。これまでの時間が少し報われたようで本当にうれしかったです。
 人生における苦悩はこれからも続くと思います。諦めは幾度となく襲い来る。しかし、書店員としての経験も含め、自分の目に映る全てが自分の血肉となり、その蓄積によって小説が生き生きと輝くはずです。40歳までには自分で書店を経営し、多くのお客さまに本との良い出合いを提供することが目標。そして、細く長く小説家を続け、文芸界の末席にしぶとく座り続けたいと思います。

積文館書店新天町本店の店頭には「第44回横溝正史ミステリ&ホラー大賞」受賞のPOPが掲示

対価を払ってでも、夢を追う覚悟はある?

夢を追う私が言うのも変な話ですが、夢を見続けることはまるでギャンブルです。時間という対価を常に払わされます。しかも、それは困難の道。明るい方へ上っていくというより、地獄への階段を下りていくようなものです。夢を口にすることは美しい。だからみんな言いたがります。ですが、輝かしいのは上部だけ。実態はもっと泥臭いのです。それでも良いなら、ともに地獄で踊りましょう。心から応援しています!

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