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能登半島地震の現状を
多くの人に伝えたい。
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2024年元旦に発生した「令和6年能登半島地震」。テレビで伝えられる甚大な被害状況を目にし、居ても立ってもいられない気持ちに襲われました。「すぐに現地に駆け付けたい!」と思う一方で、「受け入れ体制が整っていないと迷惑がかかる」と自分の衝動にブレーキをかけることの繰り返し。何か被災地の力になれる方法はないかと模索していた時に、学内で能登半島地震の災害ボランティアの募集要項を見つけ、すぐに応募しました。期間は7日間で、10名の学生が参加。「能登地震キリスト災害支援会(能登ヘルプ)」の協力の下、甚大な被害を受けた石川県輪島市と珠洲市に赴きました。被災された個人宅で、家財や衣類の片付けのお手伝いや、損壊したブロック塀の解体・撤去、津波で被災した側溝の土砂かきなどを実施。被災者の方々はまだ十分に心の傷が癒えていない中でも、被災した時の状況や思いを私たちに話してくださいました。その言葉の端々には、「この震災を忘れないでほしい」という切なる願いが込められていました。しかし、その思いとは裏腹に、復興の道半ばにもかかわらず、能登半島地震に関する報道は日に日に減少。この状況に強い焦りを感じ、「福岡で実情を伝えていかなければ」と強く心に決めました。
能登半島の災害支援の様子。公費解体前の建物やお宅に伺い、家財の分別や処分を行う。休憩時間には海へ!
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被災者の方の感謝の言葉に
逆にパワーをもらう。
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活動の第一歩として、昨年の災害ボランティアの参加者を中心に、数年間活動を休止していたボランティア団体「いと」を再始動させました。今年9月にはメンバー8人で能登半島へ2度目のボランティアに。今年は、石川県七尾市で被災した家を1軒ずつ訪問し、生活状況や復旧状況を確認する、ローラー訪問を主に行いました。被災された方の中には、ボランティアには頼らず、自分たちの力で何とかしたいと考えている方、他方で誰かに頼りたいが、頼り方が分からない方など、状況や考えはさまざまでした。そんな状況下で、被災者の心に寄り添い、お話をしたり、ニーズを聞き出したりすることの難しさを痛いほど実感。その際に心掛けていたことは、相手の目をちゃんと見て話をすることです。会話を丁寧に重ねていく中で、世間話ができるようになるなど少しずつ距離が縮まり、困りごとを伝えてくれることがありました。相手の気持ちを100%理解することはほぼ不可能です。しかし、理解しようとする気持ちを持つことは誰にでもできます。私は、ボランティア活動を通して、寄り添う力を培うことができたと感じています。そして、現地の方からの「ありがとう」という言葉には何度もパワーをもらいました。気付けば、私たちの方が元気や勇気をたくさんいただき、「今後も『いと』の活動を続けていきたい」という強い気持ちが湧き起こりました。
現在、被災地に足を運ぶ災害支援のほか、災害ボランティアの活動報告会の開催やSNSで能登半島の現状を発信するなど、地道に活動を続けています。今年8月に豪雨被害に遭った福岡県宮若市へも災害支援に赴き、土砂のかき出しやがれきの撤去などを行いました。今後も少しずつ活動の幅を広げていき、災害ボランティアに少しでも興味がある西南生にとって、私たち「いと」がその入口の役割を担えるようになりたいです。
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「困っている人の力に」が、
あらゆる行動の原点に。
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私のボランティア活動に対する思いの原点は、小学1年生の時に発生した東日本大震災です。テレビに映る地震の被害は現実のものとは思えず、とても衝撃的でした。幼かった私は、苦しんでいる人や困っている人に対して何もできず、その時の無力感から、「大きくなったら困っている人の力になりたい」と決意。父が地元鹿児島で公務員として働いており、地域柄、台風被害に見舞われることが多いため、避難所を開設したり、災害状況を調査したりと、災害対応を行う姿をよく見ていました。そんな父の影響もあり、私も困っている人に手を差し伸べられるようになりたいと思うようになったのです。
そして、来年は私も社会人となり、国土交通省九州地方整備局に入省します。災害発生時の対応や、災害対策を通して、1人でも多くの人が安心して暮らせる地域づくりを目指します。そのときはきっと、「いと」での経験が大いに生きるはずです!
- 働きながらもボランティアを続けたい!
- 大学を卒業し、社会人になってからも災害ボランティアの活動を続けたいと思っています。これまで私たちが被災地を訪れた際、「若い人が来てくれるだけで明るくなる」という声をよく耳にしました。志を同じくする仲間を見つけ、若い世代が被災地に関心を向け続けることの大切さをこれからも訴えていきたいです。