新聞記者になる夢を
夢のままで終わらせない。
 新聞記者になりたい─。それは大学生になったばかりの頃、自然と湧き起こった思いでした。ただ一方で、難関大学出身者などの〝選ばれし者〟だけが就ける職業だと思っていたため、当時は夢にすぎず、憧れに近い感情でもありました。その後、2年次に、当時開講されていた「マスメディア実践論」(現在は、「社会連携科目A(ジャーナリズム)(2)」)を受講。さまざまな分野の新聞記者の方から話を聞くうちに、記者の仕事の輪郭がはっきりとしてきました。おかしいと思ったことに声を上げること、社会が動く瞬間に立ち会えること。その時の私は、記者という仕事の面白さにどんどん引かれていきました。次第に、夢のままで終わらせたくないと感じ、3年次には沖縄県の地方紙「沖縄タイムス」のインターンシップに挑戦。初めて取材に立ち会い、記事にするまでの過程を経験したことで、記者への思いはさらに強まりました。就職活動では新聞社4社のみに絞って選考を受けることに。無謀ともいえる挑戦でしたが、これは目の前の4社に全力で臨みたかったからです。不安や焦りと戦いながら、最後まで諦めなかった自分を、今は誇らしく思います。
 新聞への特別な思いの背景には、中学時代の不登校の経験があります。当時、社会との接点は自宅に届く新聞だけでした。一度社会でドロップアウトした人が別の道で活躍する姿を紹介する紙面は、私に多様な生き方があることを教えてくれました。自分の力で人生をリスタートしたい。そう思わせてくれたのが、当時読んでいた毎日新聞でした。

取材の合間に原稿を執筆する木原さん。教育取材班では、文部科学大臣の会見への出席や、有識者会議の傍聴なども行う。

現場に足を運ぶだけでなく、電話で取材を行うことも多い。

社会の動きを伝える。
伝えることで社会が動く。
 毎日新聞社では多くの新聞社と同様、新入社員は研修を経て全国の支局に配属されます。私は和歌山支局で約4年間勤務しました。1年目は「サツ回り」と呼ばれる警察官への取材をはじめ、事件や事故の現場、高校野球など地元スポーツまで幅広く担当。2年目以降は和歌山市政をメインに、近隣市町村へも足を運びました。特に印象に残っているのは、ある地域の自治会長による慣例的な詐欺行為を追った取材です。行政も黙認し、被害相談も実質的に放置されていました。その癒着は何年も続いていたといいます。2019年に情報提供者から話を聞き、後輩と2人で半年にわたって地道に取材を実施。複数の関係者から証言を集めるなど丁寧に周辺取材を続け、タイミングを見て記事を出し続けました。結果、容疑者は逮捕され、関係者も処分、新たな規制も設けられることに。問題意識を持ち続け、おかしいと声を上げることの大切さを痛感しました。地元の方から「記事にしてくれてありがとう」と言われた時、伝えることで社会が動く実感を得ることができました。
 2021年には東京本社社会部へ異動。以降、警視庁で事件・事故、2024年開催のパリ五輪など多分野の取材を担当しました。2025年4月からは、念願だった教育取材班に配属。現在は大学や短期大学など高等教育を担当しています。目下の取材テーマは、急速な少子化を見据えた国公私立大学の規模や教育の質の在り方です。また、2023年度の文部科学省の調査で、小中高生の不登校の児童・生徒数が過去最多であることが分かっています。私自身の経験を生かし、不登校への対策や支援など、取材を通して新たな議論のきっかけにつなげていきたいです。
 新聞記者は、記事の書き方次第で誰かを救うこともあれば、逆もあります。だからこそ、声なき声を拾い、正確で公正な記事を届けることが私たちの責務。これからも、埋もれた事実を丁寧に掘り起こし、社会課題を提起し続けていきたいです。

木原さんが取材した記事。毎日新聞社は全国紙で初めて記事の原則署名化を実現。「記者個人を尊重する部分にも魅力を感じています」と木原さん。

選択に間違いはない。自分で選んだ道を、自分の力で正解にする。

人生の新たなステージに進む時、誰もが不安だと思います。就職活動では「この企業でいいのか」と戸惑うこともあるでしょう。しかし、選択に間違いはありません。自分で選んだ道を正解にしていくのです。私も不登校の経験を悔やむことがありました。しかし、その経験のおかげで新聞記者の夢が芽生え、今の自分がある。この心構えでいれば、一歩踏み出すことも怖くないはずです。

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