




- Profile
- 2024年、外国語学部外国語学科卒業。大学4年生の時に「人にはどれほどの本がいるか」が第10回林芙美子文学賞の佳作に選ばれ、作家デビュー。2025年、2作目の「ゲーテはすべてを言った」で第172回芥川賞を受賞。現在、大学院でシェークスピアの研究に取り組みながら、作家としての活動も精力的に続けている。
- 従来のスタイルを捨て、新たな表現で挑んだ作家の道。
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子どもの頃から空想好きで、絵本を描いたり、漫画を描いたりして楽しんでいました。初めて小説を書いたのは小学6年生の時。福岡に転校するまで過ごしていた福島での思い出を残しておきたいという思いがきっかけでした。このときに感じた「小説を書く楽しさ」は、今も変わらず小説を書く支えになっています。
ただ、自分が求める小説の形が変化する過程で、小説への向き合い方は変わりました。かつては、物語や情景を「文字」で表現することが小説だと思っていました。しかし、大学入学後、日本文学を学ぶ中で、文学を構成する要素は「物語」だけではなく、「文体」も小説において重要であることに気付いたのです。大好きな小説を書き続けていくには、作家としてデビューすることが不可欠です。そのためには自分の「文体」をいかにして築くかが、私にとって大きな課題となりました。
私が作家として世に出るために意識したことが、もう1つあります。それは、自分と作品との間に距離を置くことでした。実は、自分が表現したいことを詰め込んだ作品を3年かけて書き続けていましたが、残念ながら完成させることができませんでした。この経験から学んだことは、表現者である自分を主体にするのではなく、自分自身を素材として客観的に分析し、作品に落とし込むことの重要性でした。この作業は決して容易ではありませんでしたが、これまでにないほど「小説を書いている」という実感を得ることができたのです。こうした課題に向き合う中で、「小説」という形態を深く理解できたことが、作家としての自分をつくったように思います。 -
- 表現することへのあらがい難い欲求が文学を生み出す原動力に。
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私は「表現すること」は、基本的に「罪」だと考えています。なぜなら、小説を書くという自分の「遊び」のために他者を創り出し、その他者の言葉や感情を勝手に代弁する行為だからです。これは、作者の越権行為といえるかもしれません。しかし、小説を書くためには、「他者」を書くことは避けられません。だからこそ、私はその罪悪感と常に対峙しながら、それでも表現したいという欲求にあらがえず書き続けていくことが重要であり、文学を生み出すことができると考えています。
また、小説を書く過程には、常に「生みの苦しみ」が伴います。物語を構想する段階や、物語の完成に向けて筆を進める過程には楽しさもありますが、その間、常に苦しさが付きまといます。それでも、作品を完成させた瞬間の喜びは、ほかでは味わえない感動があり、この喜びが小説を書き続ける原動力となっています。
ただ、全てが苦しいわけではありません。思いがけない喜びや発見もあります。執筆のためにさまざまな本を読む中で、ふと自分が求めていたピースが見つかる。そんな奇跡としか思えない出合いは、「この作品を完成することができる」という実感と自信を与えてくれます。
これから先、小説家として生きていくことに不安がないわけではありません。しかし、今のクオリティーを維持し、向上し続けることができれば、可能だと信じています。そのためには、もっと多くの本を読み、もっと学び続けなければなりません。何より、文学に誠実であり続けることが私の使命だと思っています。 -




- Profile
- 美術部所属。幼少期から絵に親しみ、空想の世界の人物を描いたイラストレーションを中心に制作している。水彩や油絵などのアナログ画材から、iPadを用いたデジタル表現まで幅広く取り組む。美術部主催の展示会や六大学合同展に向けて作品を制作し続けている。
- 心が「描きたい」と動く。その出合いを大切に、描き続けていく。
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幼い頃から本を読むことが大好きで、「本の世界を表現してみたい」と、物語の中に出てくる主人公の女の子を描き始めたことが、私のイラスト制作の原点です。
今でもよく描くのは、ファンタジーの世界の女の子です。ぱっちりとした大きな目、生活しづらいであろう長いドレスなど、現実ではあり得ない造形を自由に描けるのがイラストの面白さです。私にとってイラストは、私が「見てみたい」と思う世界を形にできる手段なのです。
私のモットーは、気楽に楽しみながら描くことです。「作品展に向けて良い作品を描こう」と意気込んだり、「テーマに沿って描かなければ」と考え過ぎたりすると、手が止まってしまうのです。だからこそ、何をどう描こうかと悩んだときは、とりあえず手を動かしてみる。すると、自然と「描きたいもの」が見えてくるのです。嫌なことがあったときも、手を動かせば、描くことに没頭し、リフレッシュできます。私にとってイラストを描くことは、仕事ではなく、趣味だからこそ、「私が楽しいと思えること」を何より大切にしています。
美術部で活動を始めて2年半。大きく変わったのは、「描きたい」と思う対象が増えたことです。私と異なるタッチや表現手法を持つ仲間の存在は大きな刺激になっています。
また、国際文化学部の学びも視野を広げるきっかけに。有名絵画の構図に込められた意味や時代背景の考察などを学ぶ中で、アイデアの引き出しが増えていることを実感します。
ただ、ずっと自分の好きなように描いてきたため、自分の表現の枠を超えられないことが現在の課題です。これを克服するために、まずは日々の練習に加え、さまざまな作品に触れてインプットを増やすことも心掛けています。また、思うように描けない時はあえて手を止め、作品と距離を置くことも。すると、しばらくして見返したとき、修正ポイントに気付くことがあります。こうした試行錯誤を重ねる中、自分の作品を「これ、いいかも!」と新鮮な気持ちで思えたときは、何よりもうれしい瞬間です。
私にとって「描くこと」は、ライフワークの1つ。「描いてみたい」と思えるものとの出合いを大切に、子どもの頃と同じように、自由に、のびのびと描くことをこれからも続けていきたいと思います。 -




- Profile
- 香港出身。小学生の頃、日本に関心を寄せ、高校2年生のときに来日。大分県の高校で学び直し、西南学院大学へ進学。中学1年生のとき、部活動の一環でカメラに触れたことで写真に興味を持ち、現在もカメラクラブで積極的に活動している。来年3月の引退までの期間、新たな作品にチャレンジすべく、その技術を磨いている。
- 写真だけが持つ「伝える力」が人と人をつなぐ。
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香港で通っていた中学校では、必ず部活動に入らなければならないというルールがありました。入学後、いくつもの部活動を見て回る中、私の興味を引いたのが写真部でした。そこで初めて一眼レフカメラを触らせてもらったのです。「カシャ」というシャッター音は、何とも耳に心地良く、今もシャッターを切ると、当時のことをふと思い出します。このことがきっかけで、私は写真部に入部することを決めました。あれから9年。まさかこんなにもカメラにのめり込むとは思ってもいませんでした。
現在は、カメラクラブに所属。週1回、約30名の仲間と活動しています。テーマを決めて学内や百道浜などで撮影したり、小物を持ち寄ってシチュエーションを作って撮影したり。写真は個人活動と思われがちですが、仲間と共に楽しみながら、技術を高め合うのが、カメラクラブの良さです。
私が感じる写真の面白さは、「頭の中のイメージを、いかにカメラを通して再現するか」にあります。オート機能には頼らず、明るさやピント、シャッタースピードをマニュアルで調整し、何度も撮影を重ねながら、精度を上げていきます。イメージ通りに撮れたときはもちろんうれしいですが、いまひとつと思っていた写真に、「この写真、いいね!」と評価をもらえたときも喜びを感じます。これをきっかけに自然と会話が始まります。こんなふうに写真を通じて、コミュニケーションが生まれる。写真は、私にとって人と人をつなぐきっかけなのだと感じます。
私がよく撮るのは、日常の風景です。毎日同じように見える街の雑踏や見慣れた場所も、ふとした瞬間に美しく感じることがあります。その「今しかない一瞬」を逃さずに写し撮る。二度と同じものは撮れないからこそ、写真には「伝える力」があるのだと思います。
これから挑戦したいのは、夜空の撮影です。香港は街が明る過ぎて、星をはっきり撮影できそうにないので、撮るなら福岡の夜空かな。また、今年は写真コンテストにも応募したいと考えています。自分の技術をどこまで伸ばせるか。どれだけ表現の幅を広げられるか。今の私の目標です。
そして、来年3月の引退までにサークルの仲間との思い出を、できるだけたくさん写真に残したいと思っています。10年後、20年後、その写真を見ながら、どんなことを感じるのか。仲間と語り合う日が今から楽しみです。 -




- Profile
- 応援指導部吹奏楽団に所属し、トロンボーンを担当。中学・高校・大学と一貫してトロンボーンに情熱を注ぐ。現在は、5名のトロンボーン奏者をまとめるパートリーダーを務める。夏の吹奏楽コンクールで金賞および九州大会出場を目指し、日々練習に励んでいる。
- 吹奏楽の醍醐味は、心をひとつに、音を重ねること。
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トロンボーンとの出合いは、中学生のとき。入部した吹奏楽部で割り当てられたのが、第8希望のトロンボーンでした。第1希望の楽器ではありませんでしたが、練習を重ねるうちに演奏する楽しさを知り、高校・大学と9年間、トロンボーンと共に吹奏楽に打ち込んできました。
トロンボーンの魅力は、その豊かな音色にあります。柔らかい音を出すこともできれば、「ここぞ」というときには力強い音も出せる。場面に応じて多彩に表現できます。また、音程を調整するスライドの動きは、トロンボーンにしかない見せ場でもあります。
しかし、吹奏楽は1人では成り立ちません。楽器それぞれに音の特性があり、独りよがりの演奏では美しいハーモニーは生まれません。大切なのは、互いの音を聴き合い、音色や響きをそろえる工夫を重ねることです。そのためには、各自が楽曲や旋律に対して抱いているイメージを共有することが欠かせません。例えば、「この旋律は明るい音をイメージする」というように、イメージを擦り合わせていく中で次第に音が溶け合い、調和が生まれます。そして、1つの楽曲として完成した瞬間は、何度経験しても大きな喜びがあり、吹奏楽の醍醐味を実感します。
また、イメージや感情という抽象的なものを試行錯誤しながら楽器で形にしていく過程は、「表現すること」の本質だと感じています。自分の感性を大切にしながら音作りに没頭する時間は充足感に満ちあふれています。
もちろん、思い通りの音が出ずに悩むこともあります。そんなときこそ、日々の基礎練習に真摯に向き合うことが大切です。少しずつ理想の音に近づいている感覚を感じながら、練習を積み重ねます。時には、仲間に音を聴いてもらい、客観的な意見をもらうことで新たな気付きが得られることもあります。こうした地道な積み重ねが自信と確かな成長をもたらし、結果として9年間も吹奏楽を続けることができたのだと思います。
吹奏楽は、私にとって単なる演奏活動ではなく、自分を表現する手段です。「音」を通じて自分を表現する楽しさを知り、仲間との対話を通して自分の考えを伝える力を養うことができました。将来はこの経験を生かし、自分の気持ちを表現することが苦手な子どもたちに、音楽を通して自分を表現する場を提供することが目標です。 -




- Profile
- 中学生の頃から映画好きだったことをきっかけに、大学では演劇部に入部。裏方として舞台を支えていたが、1年次の冬に人員不足を理由に初めて役者として舞台に立つ。今年4月の新入生歓迎公演では、オリジナル脚本「とまり木」で“楽器オタク”の青年役として3度目の舞台に挑んだ。
- 自分とかけ離れた人物を演じる難しさの中に、楽しさがある。
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映画好きが高じて、「チームで1つの物語を形作ることがしてみたい」という思いから、演劇部に入部しました。
入部当初は裏方を希望していたため、音響や照明など舞台を陰で支える役割を担当していました。ところが、1年生の冬の定期公演で人手が足りず、役者として舞台に立つことになったのです。稽古を重ねて本番に臨みましたが、やはり「観る」と「演じる」はまったくの別物。セリフの抑揚や動きの大きさなど、実際に観客の目の前に立って初めて気付くことが多く、反省だらけの初舞台となりました。それでも、人前で演じる面白さを肌で感じる貴重な体験に。一方で、自分には裏方が向いていることを再認識する機会にもなりました。
その後、裏方に専念する中、興味があった演出を担当することに。しかし、自分の考える動きや仕草を役者にうまく伝えられず、演出家としての力不足を痛感。この経験から、演出の力を高めるには演じる側に立ち、役者の視点を知る必要があると考えるようになりました。
そこで、2度目に挑戦したのが、「ロミオとジュリエット」です。領主と召し使いという対照的な2役を担当。時代や背景が異なる人物を演じる難しさはありましたが、それ以上に自分とまったく異なる人物を演じる面白さを体感することができました。また、演技指導を受けたことで、役者が求めていることを肌で感じ、「演出とは何か」を自分なりにつかめたと思います。
現在、3作品目の稽古中で、”無類の楽器好き“という未来人を演じています。演出家との対話を通じて、役に対する解釈を擦り合わせていく過程は非常に刺激的で発見が多い作業です。また、裏方を務めてきたことで培われた「観客目線での舞台の見え方」は演技に生きています。舞台に立つのは役者だけですが、その背後には音響や照明、衣装メイク、道具製作、演出がそれぞれに自分の領域でベストを尽くし、物語をより魅力的に表現するために工夫を凝らしています。演じるということは、それら全てがひとつになり、役者の表現を何倍にも輝かせてくれていることを改めて実感しています。
私の最終的な目標は、長編のオリジナル脚本を執筆し、自ら演出することです。そのために、今後も役者としての経験を重ね、演技の引き出しを増やしていきたいと考えています。そうすることで、役者に信頼される演出家に一歩ずつ近づけると信じています。 -