
音楽は、目に見えないものや
自分の内と外で過ぎ去っていく
さまざまな経験や感情を省みる
大切なひとときを与えてくれます。
自分の内と外で過ぎ去っていく
さまざまな経験や感情を省みる
大切なひとときを与えてくれます。
- 国際文化学部国際文化学科
- 西脇 純教授
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在トリーア教皇庁認可神学部博士後期課程修了。
研究分野はグレゴリオ聖歌の霊性、西方典礼史。

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聖歌を通して、
「私」と「私の物語」に触れ、
自己を見つめ直す。 -
キリスト教は聖書を聖典とする宗教ですが、キリスト教音楽もまた聖書を歌うことから始まったといわれています。
その1つである「グレゴリオ聖歌」は、もともと7世紀ごろまでにローマ教会で整えられた儀式のために作られた音楽に端を発するといわれています。8世紀後半には、フランク王国が自国の統一を図るため、ローマ教会の典礼と聖歌を導入し、王国内で独自の発展を遂げました。
このように、キリスト教音楽は聖書の教えを伝える手段、さらには共同体の調和や統治といった役割を果たしてきました。
では、その原点となる聖書には何が書かれているのでしょうか。もちろん神の教えや戒めが中心ですが、生身の人間のさまざまなドラマが描かれているという側面もあります。例えるならば、聖書は写真アルバムのようなもの。アブラハムやモーセなどの旧約聖書の人物をはじめ、イエスやその弟子のパウロやペトロなど新約聖書の人々が時に失敗したり叱られたりする。そんな人間模様を生き生きと見せてくれます。中には、写真を加工するかのように話を少しばかりデフォルメしたり、美化したりすることもあり、この点もアルバムのようです。
しかし、思い出を懐かしむ普通のアルバムと異なるのは、聖書を読む人々は、各々がそこに「今の私」と「私の物語」を発見するという点です。例えば、イエスが捕らえられた際、弟子のペトロは恐怖のあまり、尊敬する師であるイエスのことを「知らない」と3度否認し、深く後悔します。このペトロを自分と重ねて読んでみると、ペトロの後悔を通して、自分の弱さや自分自身を深く省みるきっかけになる。聖書を読むことは、目に見えないものや自分を振り返る大切なひとときを与えてくれるのです。そして、聖書を基本とする聖歌もまた、歌詞の中に「私」と「私の物語」を見つけ、内省へと導いてくれるのです。
さらに、聖書や聖歌がもたらす内省の時間は、「私」は何によって成り立っていて、何によって肯定され、何によって「良し」とされているのかに気付く時間でもあります。家族や友人という存在がいることに感謝し、自分が存在して良いことを自ら認め、肯定する。
加えて言えば、聖歌やゴスペルを通じて、一人ひとりの声は違うけれど、その存在を認め、声で手をつなぐことができる。音楽は何物にも代え難く尊いものです。 -
聖書に新たな解釈を与える、
「メロディー」という
音楽にしかない力。 -
キリスト教の祈りの中に、聖歌としても歌われる有名な「主の祈り」(マタイによる福音書6章9-13節)があります。これは、イエスがどのように祈るかを教えた言葉です。その中の「私たちの負い目をお赦しください。私たちも自分に負い目のある人を赦しましたように」と「私たちを試みに遭わせず、悪からお救いください」の2つのお祈りを、私は関連しないものだと考えていました。さらに後者の祈りに関しては、「『試み』とは何だろう」「どのような『悪』から救われなければならないのだろうか」という疑問を持っていました。
ところが、2つの祈りを1つの大きな旋律で歌うある現代作曲家の作品と出会い、新たな解釈が得られたのです。それは、関連がないと思っていた2つの祈りにはつながりがあるということ。そして、疑問に感じていた「試み(誘惑)」「悪」とは、1つ目の祈りで示されている「人を赦さない心」と気付いたのです。私自身、ふとした出来事から「あの人、あのことを赦さない」という誘惑に駆られることがあります。そのような固く閉じた心は、自分自身を縛り付けます。しかし、赦すことで自分自身も解放され、円滑な人間関係へと導かれてゆく。生き方のヒントを音楽から教わったような経験でした。
西南学院大学のチャペルには素晴らしいパイプオルガンがあります。また、4・5月のチャペルアワーでは、西南学院大学聖歌隊チャペルクワイアやハンドベルクワイアが歌や演奏を行います。ぜひ、ご自分の心を見つめ直すきっかけにしていただきたいと思います。
音楽デバイス・サービスを利用した
ユーザーの日常がどのように変わるのか。
その洞察こそが、音楽における
イノベーションを生むカギとなります。
ユーザーの日常がどのように変わるのか。
その洞察こそが、音楽における
イノベーションを生むカギとなります。
- 商学部経営学科
- 工藤 秀雄教授
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神戸大学大学院経営学研究科博士課程卒業。
研究分野はイノベーション・マネジメント。

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時代の潜在的ニーズを
的確に捉え大ヒットした
2つの革新的音楽デバイス。 -
イノベーションは、「発明プラスアルファ」の経済的成果のことをいい、それによって社会の文化が変わることを指します。音楽におけるイノベーションといえば、1979年発売のSONY「ウォークマン」と、2001年発売のApple「iPod」でしょう。
ウォークマンは、「音楽を持ち運ぶ」というスタイルを可能にし、いつでもどこでも好きな音楽を楽しめるという体験を提供しました。iPodは、数千曲の音楽を小さなデバイスに収め、聞きたい曲にすぐにアクセスできるという利便性を実現しました。これら2つのデバイスは従来の音楽生活を一変させました。
しかし、これらのイノベーションは、何かしらの使命感から生まれたわけではありません。
ウォークマンはエンジニアがラジカセを遊びで分解し、スピーカーやアンプなどの部品を取り外して作った最小単位のモノが原型です。そのエンジニアが作った“おもちゃ”にSONY創業者の盛田昭夫氏はアメリカの若者の潜在的ニーズを重ね合わせたのです。当時、アメリカはベトナム戦争の敗戦による深い失望感に包まれ、政府や政治家への不信感が社会全体に広がっていました。特に若者の間では権威に対する反発が大きくなり、「個」を重視する価値観を強めていました。世の中の雑音をシャットアウトし、好きな音楽を聞きながら街を歩きたい—。そのような当時の若者たちの潜在的ニーズを盛田氏は感じ取り、エンジニアが作ったおもちゃが社会を変えると直感的に予測したのです。そして、その読み通り、若者の深層心理に訴えたウォークマンは革命的音楽プレーヤーとして世界中で大ブームとなったのです。
スティーブ・ジョブズも、iPodが「あの時の気持ちを感じられる曲を聴きたい」という潜在的ニーズに応えられると予想していたのでしょう。その結果、iPodはウォークマン以来の個人的音楽体験を一変させる新たなデバイスとして世界を魅了しました。
このことから分かるように、ユーザーの日常の「世界」がどのように変わるかを洞察する感性なくして、音楽におけるイノベーションは起こらないといえるでしょう。 -
人並み外れた欲求なくして
イノベーションは
実現しない。 -
ひときわ優れた感覚を持つ経営者によって開発されたウォークマンとiPodですが、今後、音楽におけるイノベーションは起こるでしょうか。
音楽の魅力は個人で自由に楽しみ方を作り出せることにあります。その魅力を最大限に生かし、例えば、アイドルグループの映像を視聴するとき、センターを自分の推しに変更できるような、個人レベルで音楽をカスタマイズでき、さらに安価もかなえられたら、音楽におけるイノベーションの伸びしろがあるといえるでしょう。
では、音楽のようなイノベーションを生み出すものはほかにあるのでしょうか。その1つに「教育」が考えられます。現在の大講義室での指導では個々の学生の課題にアプローチすることは難しいですが、イノベーションによって大勢の中にいても個人に合わせて指導を提供できるとなれば、それは教育や社会を大きく変えるでしょう。
しかし、それを実現するにはアイデアだけではかないません。イノベーションを起こすには、周囲の批判や嘲笑をものともしない並外れた欲求が必要なのです。月面探索を推し進めるイーロン・マスクはまさにそうでしょう。
学生の皆さんはどのような欲求を持っていますか。自由な時間がたっぷりあり、心身ともにエネルギーに満ちている学生時代こそ、寝食を忘れるくらいにやりたいことを見つけ、あなたの中でのイノベーションを起こしてほしい。そして、その欲求を共有できる仲間を見つけることができれば、学生生活は100点満点です。