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挫折から這い上がるべく、
語学留学へ挑戦。
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1年次に、外国語学部独自の留学プログラムを利用して、アメリカ・デラウェア大学への約4カ月間の交換留学に挑戦しました。その後、2年次の9月には外国語学部の課外プログラムの一環で、国際交流基金関西国際センターでの2週間のインターンシップに参加。留学を通して挑戦へのハードルが下がり、インターンシップでその経験を生かせたことが自信につながりました。しかし、それらの経験を積むまでには、私の中で悩みや葛藤、そして大きな挫折がありました。
落胆とともに始まった学生生活。高校時代、東京の私学への進学を目指していた私は、3年間誰にも負けないくらいに必死に勉強しました。しかし、第1志望校に合格できず、努力が足りなかったのかと自分を責める日々。落ち込む一方で、次の目標を見つけなければ貴重な4年間を無駄にしてしまうという焦りもありました。そこで自分を奮い立たせ、一度は諦めていた留学を志すことに。東京の大学に進学した場合は、一人暮らしをすることになるため、経済的な理由で留学を諦めざるを得ませんでしたが、地元の大学ならかなえられるかもと留学への思いが再燃。なるべく早く挑戦したいと、1年次の後期に留学しました。
「留学で出会った友人からの寄せ書きのTシャツや、世界各国のお土産を見るたびに、当時の楽しい思い出が蘇ります」と浅野さん
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英語力が向上するにつれ、
徐々に自信を取り戻す。
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私は幼い頃から異国の文化に触れることが好きでした。アメリカはさまざまな人種からなる多文化社会。英語力を身に付けたいという気持ちも強く、留学が決まってからは出発が楽しみになりました。しかし、実際に留学が始まると、あらゆることに完璧を求めてしまい1人で苦悩。私は昔から考え方が極端で、物事を0か100かで考えてしまい、もう二度と挫折したくないとの思いから、留学での失敗は許されないと思っていたのです。しかし、根底にその思いがあったからこそ、与えられた環境を最大限に生かし、英語の勉強に没頭できたと今は感じています。授業終わりにはチューターの先生のもとに通い、毎日4時間ほど会話を楽しんだり、英語で書いた日記を添削してもらったりしていました。放課後は遊びに出掛ける人が多く、うらやましく思うこともありましたが、時間は有限だと言い聞かせ、コツコツと勉強。すると、自分でも成長を実感できるほどスピーキング力が向上し、留学終盤には少しずつ自信を取り戻すことができました。留学前は600点だったTOEICのスコアも、帰国後には870点に。数値化することで客観的にも成長を感じることができました。
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43カ国の友人との出会いが
人生の夢を確固たるものに。
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デラウェア大学で仲良くなった友人が昨年8月には西南学院大学へ交換留学に。現地で築いた交友関係がその後も続いていることがうれしく、改めて国や文化を超えてつながりを持つことの楽しさを感じています。その経験もあり、2年次の国際交流基金関西国際センターのインターンシップは、就職活動のためではなく、純粋に活動内容に引かれ挑戦しました。このインターンシップは、日本語の成績が優秀な大学生を世界43カ国から1名ずつ招待し、日本をより深く学んでもらうプログラムの補佐役を担うというもの。国内研修旅行の随行や国際交流基金の運営業務などを行いました。その時に採用されたインターン生は私1人。参考にできる前例もほとんどなく、最初は自分の行動に自信が持てませんでした。しかし、またとない貴重な機会。43名の研修生にとって何でも相談できる存在になることを目指し、積極的に話し掛け、一緒に出掛けたり、悩みを聞いたりと、関係性を築く努力をしました。研修生のリクエストで東京のコンセプトカフェに行ったことはいい思い出です(笑)。2週間という短い期間でしたが、43カ国に友人ができるという何物にも代え難い経験と縁を得ました。
将来は外務省をはじめとした国際機関で働き、世界中で苦しんでいる人を助けられる仕事に就きたいです。イランやウクライナなど、これまでに出会った友人たちの中にも戦争や核におびえて毎日を過ごす人がいます。自分が日本で安全に楽しく生活できているからこそ、苦しい状況下の人々を支えられるようになりたい。そのためにも、見識を深められるように幅広い分野の勉強を今後も根気よく続けていきます。
- 国際機関に勤めるため、海外の大学院への進学も視野に。
- 大学卒業後の具体的な進路はまだ決めていませんが、国際機関への就職を目指し、海外の大学院進学も視野に入れています。そのためにも、英語力向上に向けて定期的に試験を受けるほか、成績評価ではGPA3.5以上を目標に講義の勉強も頑張っています。