SIFA Forum 2002
「国際交流と交換留学 -- その動向と意義を考える --」
要 約

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講演「異文化協働」 文責:講師 藤島美哉氏
Ms. Miya FUJISHIMA
(Universite de Caen 1976-77)
 1976−77年に、今はもう交流していないフランスのカン大学へ留学させていただいた。当時80以上の異なる国籍の学生が学んでいるといわれており、小さいけれど国際的な大学だった。

 福岡市とボルドー市との姉妹都市提携の後転職し、福岡市国際交流課で15年以上仕事をしている。姉妹都市交流やいわゆる国際儀典、外国公館や関係団体との連絡調整、要人の受入れなどに携わっている。姉妹都市はボルドーとニュージーランドのオークランド、儀典や連絡調整はヨーロッパ、オセアニア、アフリカを担当。今年はボルドーと20周年、5月に大きな訪問団に随行したが、10月にはその関連事業に加えてニュージーランドフェアも開催予定で、忙しい毎日を送っている。

 外国人のパートナーをもって仕事をしている方々はよくご存知だろうが、食事の習慣、休暇の取り方、仕事の進め方、違うことがいっぱいある。自分たちのスタンダードがどこででも通用するわけではないことをお互いに自覚することが必要。月初めに聞いたユネスコ事務局長の話で、文化の多様性・文化の多元主義に随分触れられたが、とても共感した。ほぼ単一民族、単一言語、単一文化の日本社会は、表面的にはどうあれ、多様性・多元主義という感覚があまりないように思う。協働には、お互い違うんだというところから出発することが大切。恋人同士、夫婦、友人関係、何につけ同じだったら楽だが、違うからこそ、苦労も多い反面面白いといえる。

 留学の収穫は、語学の上達自体もさることながら、生活している国は勿論、そこで出会う様々な人々の社会や文化を知る異文化体験と、自分の文化や社会を外から見て考える機会であったこと。情報としてしか知らなかったたくさんのことを、それを実際に生きている人たちから直接聞くことは、発見でありショックでもある。自分が20年以上その中にいて当たり前以上だった色々なことを、周囲からの質問や疑問をきっかけに考えることになる。こういう体験を契機に、自分は日本人だとか、自分は福岡が好きだとかいうことを、意識するようになった気がする。この経験が、後に異文化の間で仕事をする時に、相手を理解しようとすること、自分の文化・アイデンティティをしっかりもつことの基になったと思う。

講演「大学での国際教育交流」 文責:講師 藤丸孝幸氏
Mr. Takayuki FUJIMARU
(西南学院大学国際センター事務室)
 当日は国際教育交流の現場の一員として、本学のこれまでの歩みと抱える課題、 将来の展望などをお話ししました。

◎ これまでの西南における国際交流の歩み

 ・ 70年〜73年=黎明期:交流推進委員会設置から別科開設まで 
 ・ 74年〜78年=発展期:交流校の拡大 毎年協定を締結 
 ・ 80年代  =安定期(停滞期):協定の締結は1件のみ 
 ・ 91年〜現在=改編・拡大期:吉林との協定から国際センター設置、交流校の拡大、語学研修の実施 

◎ 本学の国際交流の課題・問題点及び将来への展望

 ・ 学生、社会、時代のニーズに適応した制度になっているか
 ・ 本学の独自性は発揮できているか
 ・ 全学的効果の高い制度として学内の支持を得られているか

詳しくは添付の資料(文責:藤丸)をご参照ください。(Kojima> この資料は,Windows ユーザは Internet Explorer で,Macintosh ユーザーは Netscape でご覧になった方がいいかも知れません.同資料を Excel ファイルとしてご覧あるいはダウンロードされたい方はこちらでどうぞ.)

パネル・ディスカッション
「交換留学とその後」
全体要約
文責: コーディネーター 横溝紳一郎氏
Mr. Shinichiro YOKOMIZO
(San Diego State University, 1983-84)
 「交換留学とその後」とのテーマで開催されたパネル・ディスカッションは、SIFA の OB/OG である6名(桐明氏・田口氏・木村氏・内山 氏・田中氏・横溝)と、国際センターで交換留学生派遣を現在担当している1名(熊谷氏)により構成された。

 パネル・ディスカッション は、各自の留学体験談から始まった。「留学中のエピソードとその後の人生への影響」についてのSIFA OB/OG 6名の話はいずれも、持 ち時間5分ずつであったにもかかわらず、「留学体験が人生の節目となったこと」を聴衆に強く訴える内容であった。熊谷氏による派 遣業務体験談は、派遣を支える側の視点から、留学に伴う困難点と留学がもたらす派遣留学生の成長を具体的に伝えるものであった。

 続いて、留学中に派遣留学生が体験するであろう5段階(「ホームシック期」「現地否定期」「日本否定期」「アンバランス期」「安定期」)が紹介され、各自の留学体験と比較対照された。

 その後、「留学の意義について考える」と題して、パネラー同士の意見交換 へと進んだ。「語学能力に関する,西南の交換留学制度の寛容さは継続すべきかどうか」についての意見交換では、「寛容でなけれ ば、留学できる学生の幅が狭くなる」「語学力は、現地に行けば何とかなる」「留学の目的によって、制度の寛容さは決定されるべきだ」などの意見に加えて、「語学力と関係のないクラスを履修できるような独自のプログラムが用意されるべきだ」という提案もなさ れた。

 ここから、フロアの聴衆を交えての質疑応答・意見交換へと移ったのであるが、「留学によって得た貴重な経験は、大学へ最大限 に還元されるべきだ」「留学する前の事前サポートがもっと必要ではないか」「海外から受け入れた留学生との交流はこのままでいい のか」「今や『国際交流』として、大上段に構えている時代ではないのではないか」「西南学院大学の授業やカリキュラムには改革が必要ではないか」「西南スピリットそして建学の精神に立ち返って、西南はどうすべきかを考え、もっと独自色を打ち出していくべきではないか」等、活発な意見が数多く飛び交った。

 活発な意見交換が会場を熱くし、まだまだ継続を望む雰囲気ではあったが、制限時間の こともあり、西南の国際交流と交換留学の今後の発展へのサポートをコーディネーターが会場全体に依頼し、90分強のパネル・ディス カッションは終了した。

パネル・ディスカッション
「交換留学とその後」
各パネリスト要旨
文責: パネリスト 桐明幸弘氏
Mr. Yukihiro KIRIAKE
(Ouachita Baptist University, 1978-79)
 私にとって、留学体験はその後の人生をすべて決めてしまうようなものでした。結局、今の嫁さんをもらうきっかけにもなりましたし、職業も英語や米国の文化の理解なしには通用しない職ですし、なにより、ものの考え方が自然にグローバルになっているのも全ては留学体験がもたらしてくれたものです。

 なにしろ、福岡以外で生活するのが初めての青年が現地で生活を始めた当初は、すごく後悔をしましたし、ひどいホームシックにもなりました。現代と違って、電話一本かけるのにすごい費用と緊張を強いられたものですから、当時イーメイルがあればかなり状況は違っていたでしょうね。南部のアーカンソー州というのは日本人もほとんどおらず、米国のなかでも未だ人種偏見も残っていましたし、ちょっと変わった地域でした。まあ、それだけ普通の人と違う体験ができのたのも今となっては良い思いでですが、当時はつらい日々でもあったのです。南部訛りの英語はゆっくりなのに、全く理解できず、特に農家の人と話すのは苦労しました。旦那さんと話すのに、奥さんに通訳してもらっていたのですもの、英語をしゃべっていたつもりなのですが。

 しかし、後半になって南部訛りにも慣れ、隣の州立大学に日本人の遊び仲間ができると少し様子が変わりました。バイクを購入して、ようやく人間らしい生活ができるようになったのです。米国は車社会ですから、足がなければ日曜の朝ご飯さえ食べにいけないのです。 安い州立公園のゴルフ場で毎週ゴルフを楽しめたのも、米国ならではといえるでしょう。音信不通だった昔の彼女(今の嫁さんです。)と文通ができたのも、心の支えとなりました。こうして、米国での生活に慣れ、楽しさがわかったときに留学期間が終わってしまいました。ちょっと残念だったけれど、やはり日本に帰ることのほうが嬉しかったのですから仕方ありません。

 その後、卒業して東京に出て働きはじめましたが、留学経験のおかげで何でも一人で考え、決断する習慣がつき、時代の流れにも流されず、自己を保つことができていると思われます。米国で生活すると個人がどう生きたいのかはその人がしっかりした考えをもっているのが当たり前なのですが、どうも、日本人は一人で生きていくことの覚悟がないような気がしてなりません。一人で生きていく覚悟、それを教わった留学経験だったような気がします。

パネル・ディスカッション
「交換留学とその後」
各パネリスト要旨
文責: パネリスト 田口佳代氏
Ms. Kayo TAGUCHI
(Ouachita Baptist University, 1984-85)
 アーカンソー州といえば今ではクリントン大統領で有名になりましたが、私が留学した1984年頃はアーカンソー州ってどこ?というくらい誰も知りませんでした。Ouachita Baptist大学に日本人は西南からの3人だけで、アジア人も数えるほどしかいませんでした。当然、現地の人から見れば日本人は非常に珍しいわけです。ですから、常に交換留学生として変なことはできないというプレッシャーがありました。

 私が留学によって得たものは基礎的な英会話力は勿論ですが、一番に挙げたいのは忍耐力です。留学中に外国人として注目を浴びること、ホームシック、英語で自分の意志を思うように伝えられないもどかしさ、ルームメイトとの関係など耐えなければならないことがたくさんありました。元々、忍耐力はある方でしたが、留学によってさらにそれが強くなりました。今の職場では忍耐力が必要とされているので、この時に得たことが大変役立っていると思います。

 また、留学中は私の人生の中で一番勉強しました。帰国後に換算してもらう単位を取得しようと、ルームメイトが寝る時間になると寮のロビーで勉強しました。けれど、交換留学生はアメリカの生活・文化を体験し、アメリカ人に日本を知ってもらうという役割もあります。留学中に出来た友達の一人は、日本に大変興味を持ってくれ、大学卒業後に来日し福岡で4年ほど働きました。そしてアメリカへ帰ってからも外国人に英語を教える仕事をしています。私達が留学生としてアーカンソーへ行ったことから、一人のアメリカ人の女の子が日本に興味を持ち、その輪が広がっていったことが嬉しく感じられます。勉強も大切ですが、交換留学生として留学される方には、現地で多くの人と交流し、勉強からは得られないことも経験していただきたいと思います。

 最後に、私の仕事上一般の留学希望者によく申し上げることですが、留学する理由として、単に英語を話せるようになりたいではなく、英語を話せるようになって英語を使って何をしたいのかを考えてください。具体的な目標を持つことで、より充実した留学をすることができると思います。

パネル・ディスカッション
「交換留学とその後」
各パネリスト要旨
文責: パネリスト 田中倫子氏
Ms. Rinko TANAKA
(Bordeaux Ecole de Management (Bordeaux Business School), 2001-02)
■私にとって留学の意義■
 2002年10月16日、西南学院大学本館4階。卒業式が静かに行われる中、私は、 自然と4年半の大学生活を回想していた。 中学生の頃から抱いていた海外進出の夢を叶えるべく、交換派遣留学の実現に 向けて努力していた1、2年次。2年次に受けた最初の交換派遣留学生選考試験は、 英語力不足で玉砕。どうしても英国留学を、と考えていたため、交換留学が だめならせめて短期の語学留学だけでも、と翌春マンチェスターでの語学研修に参 加。 現地では家族、先生、友達に恵まれ充実した日々を送りながらも限られた時間に多大 な 物足りなさ感を持って1ヵ月後に帰国。

 その後海外熱はさらに高まり、4ヵ月後には、 マンチェスターでお世話になった先生と家族に再会するべく再度欧州へ。1ヶ月かけ て 欧州5カ国をひとり放浪。

 帰国後、やはり留学したい、という思いは冷めず、3年次の 秋に もう一度交換派遣留学試験を受験し合格。ちょうどその年、Bordeaux Business School との提携が始まり、英国に行きたかった、という思いを残したまましかし隣国なの で、 という妥協のもとに第1期生として、4年次9月、ボルドー生活がスタート。 直前の2ヶ月間を語学力向上のため英国で過ごす。 ボルドー滞在の1年間は、慣れない第3言語に囲まれた中で当然苦労も多かったけれど も、 総括的に、大声で“幸せ”だったと宣言できる。

 このように、私の大学生活の主要部分を占めた“海外熱”は、国境・文化・世代等の 枠を 外した人とのコミュニケーション、新しいことに挑戦することの楽しさを教えてく れ、 困難に負けないタフな精神を育んでくれた。数々の異文化体験を通して視野を広げ、 人脈を広げ、無二の親友を得られたこと、これが、私が留学で得た最も貴重な宝 ではないかと思うのです。

パネル・ディスカッション
「交換留学とその後」
各パネリスト要旨
文責: コーディネーター(兼パネリスト) 横溝紳一郎氏
Mr. Shinichiro YOKOMIZO
(San Diego State University, 1983-84)
(パネリストの立場で)私が当日お話したことのほとんどは "My Experiences and Thoughts" ページに掲載されていますので、それをご覧ください("Mr. Shinichiro Yokomizo; Seinan to San Diego State University, 1983-84; April 6, 2002")


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