謎に包まれたタヒチの食文化

MEMBER

  • ちぐさ

    西南学院大学文学部外国語学科フランス語専攻3年

  • ひな

    西南学院大学文学部外国語学科フランス語専攻3年

研究テーマ

謎に包まれたタヒチの食文化

問題提起

今日のタヒチにおける食文化とは何か?〜タヒチの食文化事情について〜  

下調べ

上記の疑問を明らかにするために日本でタヒチについての基本情報と有名な食材や料理について調べました。


〇場所 南太平洋のほぼ真ん中に位置しソシエテ諸島の一つ
〇正式国名 フランス領ポリネシア French Polynesia
〇タヒチの言語 フランス語・タヒチ語
〇民族構成 ポリネシア系・ヨーロッパ系・アジア系
〇宗教 プロテスタント約50%・カトリック約30%・その他20%
〇住民 総人口24万5,405人のうち、83%がポリネシア人、12%がヨーロッパ人、5%が東アジア人


〇タヒチの主食・有名食材 バニラ・バナナ・マグロ・ココナッツ・イモ・ウル・バゲッド・パイナップル
〇有名料理 ポワソンクリュ(生魚と野菜をココナッツミルクで和えたもの)
 ポエ(オーブン焼きプディングのココナッツクリームがけ)
〇伝統的な料理方法 アヒマア(かまどを使う蒸し焼き料理)・ツヌパペ(魚の水煮)
 フライパニ(フライパンを使い魚や肉を揚げ焼きする料理)
〇タヒチ料理の特徴 他国の食文化の影響を受けている。


〇歴史
1767年 英国海軍フリゲート艦ドルフィン号船長サミュエル・ウォリスが旅の途中でタヒチ島を発見、英国領であると宣言した。
1768年 そのあと間も無く、フランスの航海家ルイ・アン トワーヌ・ド・ブーガンヴィルがタヒチ島の反対側に上陸しフランス領であると宣言した。
1788年 英国海軍ウィリアム・ブライ船長が、パンノキの採取でタヒチを訪れた。その後、彼に反抗する乗組員による『バウンティ号の反乱』がおこった。 この事件から、ジェームズ・クック船長が持ち帰ったタヒチの動植物の図解や最初の地図によって、タヒチへの熱狂が広がっていった。
1800年代になると、英国の宣教師の来訪やフランス軍の遠征により、キリスト教が広まっていった。
1880年 フランスの説得に応じてポマレ王朝の国王ポマレ王5世がフレンチポリネシアの島々を支配していった。
1957年 フランスの海外領土となり、『フランス領ポリネシア』と改名された。
2004年 フランス共和国内の海外領邦となり、自治権を確立した。

調査概要

調査日→8月26日〜8月31日 
場所(詳細)→パペーテ市内のマルシェ、カフェなど
対象者→20代〜50代男女合わせて36人 
方式→アンケート

質問内容

(1) 今流行っている食べ物は何ですか?
(2) タヒチ料理の魅力は何ですか?
(3) 普段朝ごはんは何を食べていますか?
(4) 家でよく作る料理は何ですか?
(5) 行事のための特別な料理はありますか、またそれはどんなものですか? 
(6) タヒチの伝統料理は何ですか?

仮説

歴史的背景や観光業の影響によりさまざまな国から取り入れた料理をタヒチ風に組み合わせそれをさらに進化させることによって成り立った独特の食文化が見出されるのではないか。

調査結果

(1) 今流行っている食べ物は何ですか?
(2) タヒチ料理の魅力は何ですか?
(3) 普段朝ごはんは何を食べていますか?
(4) 家でよく作る料理は何ですか?
(5) 行事のための特別な料理はありますか、またそれはどんなものですか? 
(6) タヒチの伝統料理は何ですか?

考察

○どのアンケート結果にもポワソンクリュに多く票が集まっており、ポワソンクリュはタヒチの伝統料理・家庭料理・代表料理として多くの人に好まれていることがわかる。

○タヒチ料理の魅力についてアンケートをとったところ、「美味しい・素晴らしい」など簡単な回答が多かったため、口頭で質問を加えたが、 「あまり考えたことがない・おいしいくらいしか思いつかない」などと答える方が多く、あまり関心がないように感じた。 また、タヒチの伝統料理は何か?という質問に対し、タヒチ独自の料理ではなく中華料理と答えた方が複数いたのがとても興味深かった。 これらのことから、タヒチの人々は食に関して、伝統を大切にしているというより、外国からやってくる新しい料理や食材をどんどん吸収し、タヒチ流にアレンジして楽しむことを好んでいるように感じた。

結論

タヒチの食文化は、外国の様々な料理や食材を、タヒチの料理や食材と掛け合わせて発展してきたと考えられる。 タヒチの人々は伝統料理にこだわる様子がなく、どんどん新しい食を受け入れ、タヒチ流のアレンジを加え楽しんでいた。 これらはタヒチの歴史や人々の寛容な国民性が背景になっていると考えられる。

アンスティチュフランセのコメント

Travail sérieux en réponse à notre entretien avant le départ à Tahiti des étudiantes.
Les problématiques soulevées ont été traitées. Toutefois, l'échantillon de personnes interrogées peut être un problème pour la pertinence du résultat.
Un traitement de données des personnes interrogées aurait été intéressant pour mesurer en détail le « mystère de la cuisine tahitienne ».
Quelques fautes d'orthographe, de syntaxes et quelques difficultés pour comprendre le sens de quelques phrases mais rien d'insurmontable.
Ne pas hésiter à illustrer l'enquête de cartes et de photos.


学生たちがタヒチに発つ前の面談に答えて私たちの修正に対して真面目に取り組めています。
提起した問題は論じられています。しかし、インタビューした人々の回答には何ら特別に述べるべき結果がないことは残念です。
インタビューした人々の結果をももう少しうまく分析すれば、「タヒチ料理の謎」を詳細に推測するのに興味深かったかもしれません。
いくつかのスペルミス、文法ミスと文の意味が理解されていませんでしたが、克服できるでしょう。地図や写真を入れて調査を豊かにしてください。

謝辞

この度は、私たちの活動を支えていただき本当にありがとうございました。 ご指摘ありがとうございます。細かい部分の文法の間違いに気づくことが出来ました。 私たちが無事にこれらの活動を終えることが出来たのは、アンスティチュの先生方、サポータの方々、そして先生方のおかげです。 最初から最後までしっかりと細かく指摘やアドバイスをくださり、本当にありがとうございました。

活動を終えて

このプログラムに参加して、よかったと思う点は2つあります。
ひとつは自分の興味のあることを、あらかじめ調べるだけでなく実際に現地の人に直接話を聞くことができた点です。
インターネットの情報だけでは不十分だということがよく分かりました。そして、もうひとつは現地の人と関わることで人の優しさや繋がりの大切さを感じることができた点です。
反省した点は言語理解の少なさです。正直、私たちのフランス語や英語はとても拙いものでした。
それでも身振り手振りや表情でコミュニケーションを取ろうとしていると、現地の方々も必死に理解しようとしてくれていました。
もう少しコミュニケーションとしてのフランス語を勉強しておけばよかったと後悔しましたが、今後のモチベーションの向上につながりました。

参考文献

池田節雄著『タヒチ:謎の楽園の歴史と文化』彩流社,2005年
ポール・ゴーギャン著、岩切正一郎訳『ノアノア』筑摩書房,1999年
エマニュエル・ヴィニュロン著、菅哲二郎訳『フランス領ポリネシア』白水社,2006年

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