バレエの歴史は、伝達・表現するための根源といえる身体への挑戦ではないかと思う。
誰もが生まれながらにして持つ身体を如何に駆使し、身体で如何に訴えるかをバレエは追及し続け現代に至る。
バレエの起源
イタリア・ルネサンス期に、貴族が盛んに舞踏会を催す中で人々が歌い踊っているものだった。
特徴重層に歩みを進めることを主としたバス・ダンスが中心。
それに加えて、もう少し速いリズムを用い飛躍も混じっていた。
宮廷バレエ
1533年イタリア・フィレンツェのメディチ家からフランス王室に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスがバレエを大変好み、宮廷でバレエが盛んに踊られた。イタリアからフランスへバレエが普及。
1572年 「楽園の守り」当時進行していたカトリックとプロテスタントとの和解を演出。
1573年 「ポーランドのバレエ」カトリーヌ・ド・メディシスの息子をポーランド王に迎え入れるために訪れたポーランドの使節をもてなすために上演。
1581年 「王妃のバレエ・コミーク」王族の結婚を祝うために上演。結婚の儀式をバレエによって演出した。
フランス、ルイ14世はバレエを大変好み自身もバレエを踊った。ルイ14世の舞踊教師によってポジションが定められバレエがダンスとして体系づく。
ルイ14世が舞台から引退するとバレエは宮廷から劇場へ移り、職業として成り立つようになる。
1671年にオペラ座が設立されバレエが踊られる。
バレエのために音楽を特別に作曲し、セリフや朗詠は一切取り入れず身振り・踊りのみのバレエを上演した。これが、大成功を収め、バレエがオペラから独立しセリフのない身振りと踊りによる舞台演劇として確立した。
バレエが独立して舞台演劇として認められると、バレエについての研究が進められていく。バレエの技術がますます複雑になり、その技術の教則本が多数出版された。
バレエ・ダクシオンの時代には何よりも演技力が要求されていたと言われている。というのは、バレエがオペラから独立しセリフや朗詠がなくなることで身体を駆使し観客に訴える必要が出てきたからだ。
18c フランス革命が起こると、伝統や権威に反発し、自由で神秘的なもの絵男重んじるロマン主義がヨーロッパ全土に広まった。バレエ界でもその影響を受け、妖精や悪魔が登場する幻想的なものが多く踊られるようになる。
ロマン主義の衰退とともにロマンティック・バレエも衰退しフランスではバレエそのものが演じられなくなる。が、ロシアではフランスの宮廷バレエが伝わって以来、ロマンティック・バレエが踊り続けられていた。
ロシアで踊られていたロマンティック・バレエがロシアで独自に発展しクラシック・バレエとなる。特徴はストーリー性のあるロマンティック・バレエに物語とは無関係の踊りを取り入れたことである。
特徴技術の進歩→女性のポワント技の発展
ロマンティック・バレエの時代では1回まわるのがやっとだったがクラシック・バレエでは32回転も出現。
衣装の変化→動きやすいようチュチュの丈がさらに短くなる。演出の仕方→ストーリー性を排除するため、わずか数分の踊りにドラマを凝縮した。このクラシック・バレエが今日のバレエの基礎となった。
バレエの歴史を見て分かるように、かつてバレエは事件や祝い事を再現するものだった。しかし、オペラから独立し朗詠やセリフがなくなり、さらにロマンティック・バレエ、クラシック・バレエへと移りストーリー性が失われたとき、表現する手段は身体のみに任された。バレエは現在も多くの観客を引き寄せ、実際にバレエを習う人も増えている。この事実は、身体に訴える力や人を感動させる力が備わっている表れであり、バレエが芸術として成り立つ証拠である。伝達・表現する手段が発達し簡素化する現代であるが、生物の根源である身体を使い、伝えたいという行為にこそ私達は心を動かされるのだということをバレエを通じて学ばされるのである。
演習2006