メトロの父―フルジャンス・ビヤンブニュは、1852年1月27日に公証人の息子として、フランス北岸の小さな村、ユーゼルに生まれる。18歳の時、工業学校に入学し、2年後にアレンコンの橋梁道路課で3級技師として働き始める。1875年までに、彼は鉄道の建設に数多く携わっており、それから9年後、パリに出てくるころまでには熟練した鉄道技師になっていた。
パリ到着後まもなくのこと、彼は危うく事故で死ぬところであった。ある日の午後、公共事業資金の取得に関する問題を解決する委員会のために、ある駅の構内で視察団を案内していたところ、彼の後方で列車が突然動きだし、線路にはね飛ばされてしまう。救急処置が施されたが失敗に終わり、彼は左腕を切断しなければならなくなった。その後の彼の公式写真では、ビヤンヴニュはいつも右側を向いてポーズをとり、切断した腕を隠している。しかし彼はこの不運な出来事を「微用担当の一行の前で、自分自身の腕を微用しちまったんだよ。」と冗談の種にすることを好んでいた。1886年にはオーブ川とロワール川から市に水を引くための水路の設計及び建設監督、また共和国広場近くにケーブル電車の建設や、ビュット・ショーモン公園の建設など、パリの数多くの建設事業を手がけ、1891年、ついには技師としてはフランス全土で最も権威ある職務である橋梁及び道路の主任技師となった。よって、メトロの建設が差し迫った現実となったとき、市当局が彼に白羽の矢を立てたのは当然の成り行きだったのである。その後も、たくさんの建設事業に貢献し、ビヤンヴニュは現在でもパリの人々から“地下鉄の父”と讃えられている。
もうひとつ彼に関する面白いエピソードがある。パリにはモンパルナス(Montparnasse)という駅がある。この駅は西方面への郊外列車やボルドーへのTGVが出ている大きな駅だ。毎日パリ市民以外の、多くの旅行客たちによってにぎわっている駅である。実はこのモンパルナス駅の正式名は(MONTPARNASSE BIENVENUE)と、ビヤンブニュの名前が付いているのだ。というのもこの、モンパルナス駅が彼の故郷ブルターニュからやって来る列車の終着駅であるからだ。
しかし残念ながら多くの人たちはモンパルナス駅に書かれた彼の名前を誤って“MONTPARNASSE BIENVENUE―モンパルナスにようこそー”と勘違いしてしまう人が多いのだった。残念なことである・・・・。

4.メトロの父ーフルジャンス・ビヤンブニュ