2010年研究旅行

フランスで働く日本人

久保山 裕香

私はフランスで働く日本人について調べるためにフランス語圏研究旅行に参加した。この研究テーマを設定した理由は、フランスで働いてみたいが、そのためにどうすればいいのか分からなかったからである。例えば、具体的に何が必要なのか、どのような職業があるのか、どのように仕事を探すのか、採用のために何をすればいいのかなどである。また、授業でフランスの労働事情やフランス人の仕事に対する考え方を学び、とても興味を持ったことも大きく影響して、私は実際にフランスに行って現地で働いている日本人にインタビューすることにした。T・Kさん、江草由香さん、青木千映さん、渡辺和子さんの4人に直接お会いし、取材することができた。

T・Kさんへの取材

 T・KさんはRELAYというフランス中にある売店の店員として働いている。私立女子短大国文科を卒業後、大手企業で販売の仕事をしていたが、26歳で退職し、半年間アルバイトすると同時にヘルパー1級を取得する。それから1年間ワーキングホリデーを利用して、フランスにホームステイしながら、半年は語学学校に通い、残り半年は日本企業のフランス支社で働く。帰国後は福祉施設で正社員として再就職し、2年半多忙に働いたのち、有給のインターンシップを利用して、英語と介護の勉強をするため、イギリスに渡り介護の国家資格をとる。翌年フランスに行き、1年目は語学学校の文明講座、2年目、3年目はパリ第5大学で高齢者心理学を学び、4年目の現在は語学学校に通っている。3年目からRELAYで働いているが、学生ビザであるため週20時間まで、また SMIC(最低賃金)、CDD(期間制限あり)という労働条件だという。T・KさんはONVI(パリ発行日本語新聞)で求人を見つけて履歴書を送り、面接という流れで採用される。オーナーが日本人は仕事に責任感がある、きれい好き、従順、時間厳守というイメージを持っていたこと、またオペラ地区で日本人観光客が多いということで、T・Kさんの採用を決めたようだ。幼いころからベルサイユのバラやレ・ミゼラブルが好きだったというT・Kさんは、いつかフランスに住んでみたい、また人や文化、歴史を肌で感じたいという遠い夢が、フランスと自分をつなげるきっかけになったのではと振り返っていた。フランスで働くために大切なことを聞いたところ、行動力がある人、気をつける人、意志を伝えられる人だと教えてくれた。また、就職して日本で3年ほど働いて社会というものを知る、それでもフランスに行きたいと思えばそれから考えればいいともアドバイスしてくれた。SMIC(最低賃金)ではあるが、今の仕事場は働きやすい環境で、何よりフランスに住むという希望が叶っているので満足だというT・Kさんの言葉には説得力があり、頼もしく思えた。

  • T・KさんT・Kさん
  • RELAY(売店)の入り口RELAY(売店)の入り口
  • RELAYの商品RELAYの商品
  • RELAYの商品RELAYの商品

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江草由香さんへの取材

 江草由香さんはフリーの編集ライターをしている。フランス文学科の学生時代には、3年生の時1ヶ月間のホームステイ、4年生の時1週間の旅行でフランスに行ったという。
 大学卒業後、商社に勤めるが元々マスコミ志望だったため、1年余りで退社し、出版社や新聞社、広告代理店のアルバイトを転々とする。シナリオも書いていたし、映像も撮っていたという江草さんは、技術を身につけたのち、フリーの編集ライター兼ビデオライターとして日本で働く。商社を辞めて8年後、大学2年の時からはまっているフランス映画を学ぶためにフランスへ渡る。1年目は週2~3で語学学校に、2年目にパリ第1大学に学部入学して1年間通い、この間日本向けの記事を書くアルバイトをする。しかしここに来て、日本で4年大学を卒業し10年のキャリアがあるものの、帰国しても日本はひどい不況が続いているし、一方フランス語は仕事に使えるレベルではないと思い、2年間のブランクを埋めるため1年間フランス語をやり直し、日本に帰ろうと考える。それまで、3カ月間語学学校に登録し、その後はパリ第3大学のフランス語コースに登録して、映画学科も聴講するつもりだったという。ところが、1年以上付き合っていたフランス人の彼氏との結婚の話が出てくる。年齢のこと、フランスに残ること、仕事のことも考えて、結婚を決意する。その後、パリ発情報誌「ビズ」を創刊し、現在、日本の雑誌やWebにフランスの情報記事やコラムなどを寄稿しながら、「ビズ・ジャポン」の編集長をしている。結婚がなければ、残るつもりはなかったと言い切る江草さんには、人生の可能性が感じられた。20歳のころには、本気でドラマーになりたいとプロのオーディションを受けたり、日本文化に興味のあるフランス人と知り合うために留学する前に剣道を始めたりと、夢中になったり、ユニークな発想をもち何でもやってみることが、可能性を広げることにつながっているように思えた。芝山由美のペンネームで書いた「夢は待ってくれるー女32才厄年 フランスに渡る」には、結婚相手との出会いも含めて、退職からフランスで仕事をすることになるまでの様々な体験や心境が描かれている。本人に薦められ、滞在中本屋に行き9ユーロで購入したが、本当におもしろくて読み出したら止まらないので、ぜひお勧めしたい。江草さんにもフランスで求められる人材について聞くと、日本の会社のルールを知っている人、優秀な人、能力のある人であると答えてくれた。就職して経験を積んで、人間関係を学ぶこと、3年くらいは死ぬほど仕事をすることが大切だという。どんな仕事にも関わらず、若いうちにコミュニケーションや苦労を知ることが必要だと感じた。

  • 江草由香さん江草由香さん

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青木千映さんへの取材

 青木千映さんはアートエイジェント・コーディネーターの仕事をしている。アートエイジェント・コーディネーターの仕事とは、日本のクリエーターの作品について、日本にいながら海外に発信するしくみを提供し、フランスでのPR活動を代行して、パリデビューさせることだという。青木さんは、フランス語学科の学生時代に夏と冬の2回、1ヶ月半の短期留学をする。そして2年生の時、卒業後フランスに行こうと決心し、大学卒業後、パリ郊外のLycee(高校)でインターン講師として、外国人に日本語を教える仕事をする。午前は学費を払ってもらい大学に通い、午後は日本語講師として授業をするという契約で、1年半働く。その後、3年間日仏系企業で輸出入業の仕事をしたのち、転職して広告代理店でイベント企画の仕事をする。それまで、そろそろ日本に帰ろうかと考えていたが、独立し、フランスで働くことを決意する。まずフランスの国家資格をとろうと、エステの専門学校に通い、エステの国家資格を取得する。そして出張エステから始め、そのうちサロンも開く。この時の経験はのちに本格的に独立し経営するのに役に立ったという。エステティシャンを辞めたころ、知り合いから展示会を開くことを頼まれる。このような依頼が少しずつ増えていき、その延長として今の仕事につながっている。青木さん自身、日本の伝統工芸を紹介したい、日本のクリエーターたちが作品を海外に発信する手助けをしたいという強い思いを抱いている。それに対して、日本に住んでいながらフランスで作品を売りたい、自分の才能を試したいというクリエーターもたくさんいる。そんな両者の気持ちが一致して、新しいビジネスが始まった。取材中もオペラ地区のパッサージュCHOISEULで行われていたJipango 展示・販売会 Expo-Atelier "Idees Japon"の開催に携わっていた。フランスで働くきっかけは、大学でフランス語を選んだからには、使えるフランス語を身につけたいと思ったこと、そして1人で海外生活をしてみたいと思っていてパリに魅力を感じたことが大きいという。この2点に私はとても共感している。なぜなら、私も海外に行きたいという気持ちをずっと持っていて、またフランス語を専攻するにあたり、4年間学ぶからにはマスターしたいと願っているからだ。そして青木さんにもフランスで働くことに必要なことを聞くと、行動力と楽観主義と忍耐だと教えてくれた。なるほど海外で働くには行動力に加えて、様々な困難に対応するために、楽観的な考え方や忍耐強い性格も大切になってくるようだ。また、今と3年後のことを考えるようにしているという言葉が印象的だった。

  • 青木千映さん青木千映さん
  • PASSAGE CHOISEUL入り口PASSAGE CHOISEUL入り口
  • 展示会のポスター展示会のポスター

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渡辺和子さんへの取材

 渡辺和子さんはヴェルリー城でレセプショニストとして働いている。フランス語との出会いは高校2年の第二外国語で、大学で仏文学科を選ぶきっかけとなる。大学2年の夏休み、1ヶ月間ホームステイをしながら語学学校に通うが、クラス分けで上級クラスに入ったため会話についていけず、憧れていた1年の交換留学は自分には程遠いと思ったそうだ。
 卒業後は保険会社に就職するが、趣味としてフランス語を続けようと週1で語学学校に通う。2年通う間に夏休みを利用して、1人で1週間ほどパリを旅行したり、プロヴァンスにホームステイして語学学校に通ったりする。4年間働いた後、当時の生活、仕事とフランスでの楽しく濃い生活を比較するようになり、学生時代から温めていた留学したい気持ちが強くなる。そして26歳の時追い風が吹き、退職して1年間の予定でエクサンプロヴァンスに留学する。私立の語学学校や大学付属の語学学校で学び、1年が経とうとしていて帰りの航空機の予約もしていたという。しかし、フランスに残りたいという気持ちが強まって、アルバイトが見つかったら残ろうと決める。そして4つ星ホテルの「ヴィラ・ガレッジ」でのルームメイドのアルバイトが決まり、2週間前に帰国をキャンセルする。アルバイトをしながら、エクス・マルセイユ大学の英語学科で半年、語学学校で半年、翌年中国語学科に変更して1年が過ぎて、まだフランスにいたいと思い、仕事を探し始める。そこで見つけたのがヴェルリー城の求人情報で、応募書類を送ると城主から直々に電話があり、面接を受け、すぐに採用が決まる。40通ほどの応募から渡辺さんが選ばれたのには、アルバイトしていたホテルのディレクターの推薦状が良かったおかげだという。当時ヴェルリー城で働いていた日本人男性が日本に急きょ帰国するということで、その後任として2週間みっちり引き継ぎをすることになる。1年目は住み込みで忙しく覚えることがいっぱいだったが、渡辺さんは試行錯誤を繰り返しながら、ウェディングのヘアメイクや結婚証明書の形式を変えるなど、よりよいサービスを目指して向上させていく。またレセプショニスト以外にも、要求があれば朝食の準備やサービス、客室の掃除やベッドメイキングもする。大変な仕事ではあるが、とてもやりがいのある仕事だという。労働条件としては、労働ビザ(サラリエ)でCDD(期間制限あり)である。基本的にCDD(期間制限あり)は4年目からCDI(期間制限なし)という契約だが、日本人の客の需要があるから渡辺さんが必要だというようにホテル業界には特別なルールがあるようだ。しかし、外国人を雇うのに雇用主は多大な税金を払わなければならないので、城主のサポートは大きいという。私は3泊4日ほとんど渡辺さんに密着していて、一番心に響いたことは「人生には必要なことしか起きない」という言葉だった。日本で4年間働いたことは、ジャパンデスクの仕事として、日本の取引先とのやりとりにおいて、とても役に立っている。留学を決意して退職したことも、アルバイト時代に死に物狂いで働いたことも、全てが今につながっている。渡辺さんは、この先もフランスにいられる間はいようと思っているそうだ。

  • 渡辺和子さん渡辺和子さん
  • ヴェルリー城ヴェルリー城
  • ヴェルリー城入り口ヴェルリー城入り口
  • 結婚式が行われるチャペル結婚式が行われるチャペル

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まとめ

 4人の方々のインタビューを終えて、私はとてもわくわくしている。正直なところ、フランスで仕事ができるような人は、きっと学生時代から格別にフランス語ができて、フランスで働くという明確な目標を持っていたのではないかと気後れしていた。しかし大変驚いたことに、フランス語を仕事に生かそうなんて思ってもみなかった、自分がフランスに住むことさえも想像できなかったという意見が多かった。またフランス語を選んだ理由やきっかけも、推薦枠があったから、その大学に行きたかったからというように、特にフランス語にこだわっていたわけではないことも意外だった。さらに、現在は流暢にフランス語を使っていた4人であるが、学生時代は全然喋れなかった、そんなにできなかったということだ。少なからず謙遜しているとは思うが、実際にフランスに来て、語学学校に通って、フランスに住んで、身に付いたという部分は大きいようだ。このことは、努力を継続すれば私にも可能性があるということを意味し、留学への意欲をより高めた。
 4人の方々の仕事やそれまでの人生は様々であるが、共通していると思ったことは、見た目が実年齢より若いこと、逆に心構えや考え方がとてもしっかりしていること、そして謙虚であることだ。取材して年齢がわかったが、本当の年齢よりもずっと若く見え、いきいきとされていた。フランスに住んでいるというのも一理あると思うが、やはり目標を持って、やりがいを感じて仕事をしているからではないかと感じた。次に、フランスで働くことを決心し、様々な苦労を乗り越えながら実際に働いていることで、意志が強くて、度胸があるなあという印象を受けた。取材をしていても、たくさんの経験をしているので、いろいろな話が出てきて話がふくらむが、それらの経験が今の4人を形成しているのだと思った。そして何より、聞いていてすごいと思うような体験をさらさらと話してくれた。私の小さな疑問や不安にも親身になってアドバイスしてくれた。第一、フランスで忙しく活躍している方々が、日本の福岡県から1人でやって来た私のような学生のために、会う時間をつくってくれたこと自体に感動しているし、感謝の気持ちでいっぱいだ。自分の仕事と生き方に自信を持っているからこそ、そのようなことができるのだと思った。
 日本人がフランスで働くことは容易ではないし、取材した4人がフランスに渡った時代も様々で、それはまた現在と違う。しかし4人の方々からのアドバイスによって、留学やワーキングホリデーを利用して、フランスで生活してみるとよいとわかった。またこれから実際に学生ビザを取得したり、ワーキングホリデービザの申請が2011年度から変更されたり、自分で調べていくことが大切だと思った。なぜなら、アンテナをはって行動していくことで、チャンスを掴むことができると感じたからだ。
 実際に働いている方々に、直接話を聞くことができたことは、それぞれの仕事に関することだけでなく、その人の人生そのものを学ぶことができて本当にすばらしい経験だった。この研究を通しての出会いをこれからも大切にして、自分のやりたいことを探り、常に目標を持って努力していきたい。

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