- 英語の苦手意識を拭うため、
果敢に挑戦を続ける日々。 -
数多くの洋画に触れ、英語に興味を持ち始めた高校時代。「英語を話せるようになりたい!」と思いが募る一方、英語の成績はいまひとつでした。そこで大学進学後は、言語教育センターの「イングリッシュカフェ」で英会話に挑戦したり、SEINAN Global Society(SGS)の活動に参加して留学生と交流したりと、英語の猛特訓を始めました。そんな私の転機となったのは、1年次の後期に経験した、留学生バディ制度です。最初のバディとなったポーランド人の留学生との出会いを機に人脈が広がり、それから英語に触れる機会が一気に増えました。毎日のようにクロスプラザで留学生たちと昼食を食べ、拙い英語でコミュニケーションを重ねる日々。今では、彼らが母国に帰った後も連絡を取り合うほど友情が深まり、時の経過とともに英語力も自然と磨かれていきました。
英語を習得する際、「英語が下手な自分を見られるのが恥ずかしい…」と思う瞬間があるかもしれません。しかし、私は人にどう見られるかより、英語を話せる自分という“理想”に早く近づきたかった。成長のチャンスがあるなら全力でつかみにいきたい。成長への強い思いが私を留学へと突き動かしました。
- マイノリティーになることで
自分や周囲への理解が深まる。 -
クロアチアへの留学を決意した理由は、ヨーロッパの友人と再会したいという思いがあったから。そして、ヨーロッパにはさまざまな国の歴史や文化に触れる機会が豊富にあることです。さらに、私が留学する年からユライ・ドブリラ大学プーラが協定校に加わったことも何かの縁だと感じ、留学先に決めました。
留学に向けて掲げた目標は「挑戦」です。やってみたいと思ったことには、とにかくチャレンジ。例えば、授業に臨む姿勢。現地の学生が積極的に発言する中、今までの私だったら「発言したところで…」と言葉を飲み込んでいたものを、思い切って毎授業発言するように。一度トライしてみると気持ちに余裕が出て、授業に対する意欲が向上しました。授業に集中して臨めたことも良かったと思います。また、週末を利用して1人旅にも挑戦。念願だった友人が住むポーランドを訪れ、飛行機の手配やトラブルの対応などを通して英語力にも自信がつきました。
プーラの町では、日本人を含め東アジア人はほぼ見かけません。そのため、外見だけで良くも悪くも珍しがられました。時に好奇の眼差しを向けられる場面もありましたが、日本人だと伝えると、お店でサービスしてくれたり、食材を分けてくれたりと、誰もが好意的でした。自分のアイデンティティーをきちんと伝える大切さを実感しました。相手を型にはめず、人そのものを見ること。マイノリティーになってみて改めてその重要性に気付きました。
私が留学を経てより強く感じたことは、自分の意思の大切さです。例えば、就職活動で周りと違う動きや考え方をしていると、まるでそれが間違いかのように感じることがあります。しかし、枠にとらわれず、人と比べず、自分自身を大切にしていれば、おのずと将来が開けていくと今は信じています。自分の意思に従って、これからもマイペースに勉強を続け、いつかは日本と世界をつなげられるような存在になりたいです。
- 何を学びましたか?
- 英語学科、歴史学科、考古学学科から興味がある英語開講科目を履修。クロアチア歴史概論ではクロアチアの歴史について広く学び、現地の人々のアイデンティティーの一端に触れることができました。考古学学科のフィールドワークでは、2週間にわたってローマ帝国の遺跡発掘に挑戦。かつてローマ帝国の支配下だったプーラならではの体験でした。
- 大学がある街の雰囲気は
どんな感じですか? - 美しいアドリア海に面するプーラは、クロアチアの一大観光地。一年を通して気候が良く、空いた時間にビーチに行ってリフレッシュするのが好きでした。街の至る所に古代ローマの面影が感じられ、歴史と自然が美しく調和しています。
- 留学中の印象的な
エピソードはありますか? - 現地では学生3人で賃貸アパートをシェアしていました。観光地であるプーラでは、観光客用に部屋を貸し出すため、賃貸の場合はハイシーズンになる前に部屋を退去しなければなりません。地元ではごく当たり前のことのようですが、最初は驚きました。実は退去後、1科目の再試験を受けられず、泣く泣くクロアチアを去ることに。苦い経験も含めていい思い出となりました。