藤田嗣治とエコール・ド・パリ



はじめに

 藤田嗣治(1886〜1968年)はフランスで活躍した日本人画家である。私と藤田の出会いは福岡市美術館の常設展示だった。作品は≪仰臥裸婦≫(1931年)。仰向けに横たわった裸婦を縁取る繊細な線とその肌に私は惹かれた。そして今、私はその画家をテーマに卒論を書こうとしている。

 今回の研究旅行ではフランスのパリ、ディナール(Dinard)、ランス(Reims)を訪れた。期間は8月23日〜31日、9日間の旅だった。目的として黒い輪郭線と乳白色を特徴とする藤田の作品を見るのはもちろんだが、フランスに行かないと分からない藤田嗣治を見たかった。パリでは美術館やモンパルナスの藤田に関係のある場所を回り、ディナールでは藤田の展覧会に行き、ランスでは藤田が建てた礼拝堂を訪れた。これからそれについて書きたいと思う。


パ リ

(1)モンパルナス地区

 パリに到着して次の日、最初はモンパルナスを歩くことから始めた。モンパルナスは藤田が最初にパリに足を踏み入れた場所であり、エコール・ド・パリの中心であり、藤田がとても愛した場所だった。

 現在のモンパルナスはモンパルナス駅を中心に近代的な建物が並ぶ。高層ビルのモンパルナスタワーもすぐ近くにある。しかし、ちょっと奥に進むと古い街並みを見ることができる。私はまず、エドガー・キネ通り、ドランブル通りを歩いた。この2つの通りは藤田関連の本でよく目にする名前だった。晩年には≪エドガー・キネ・ホテル≫という通りの一画を描いた風景画もある。真ん中に小さく少女と犬が描かれているが、全体的な色彩のせいか少し寂しげな印象を受ける作品だ。実際に歩いてみると、その雰囲気は少し分かるような気がした。その日は快晴で通りは太陽の光にあふれ、明るかったが、雨の日や冬などは絵のような雰囲気になるのではないかと感じた。というのも、エドガー・キネ通りに限らず、ドランブル通りもその近くの通りも静かで人通りが少なかった。私が行ったのは8月のちょうどバカンスの時期で朝早かったせいかもしれないが、その辺りの通りはそれほど大きくなく、こぢんまりとしたカフェがいくつかあるだけで特に目新しいものはない。藤田が描いた場所も探してみたが見つからなかった。描いてから54年も経つのでやはり少し変わってしまったのだろう。それは少し残念だったが、その日は本当に天気もよく、涼しくて快適だった。

(2)カフェ

 モンパルナスの中心、モンパルナス通りのヴァヴァン交差点付近はモンパルナスで最も賑わっている場所だが、そこに有名なカフェが4つある。それはル・ドーム、ラ・ロトンド、ラ・クーポール、ル・セレクトであるが、この4つのカフェは1920年代、モンパルナスにいた画家や詩人などがよく通ったカフェだった。藤田はもちろんエコール・ド・パリの画家、キスリング、パスキン、スーチン、モディリアニ、あるいはピカソ、コクトー、モデルのキキ、詩人のヴェルレーヌ、ボードレール、アポリネール等が常連だった。彼らは毎日のように通い、芸術論を戦わせたり、くつろいだりした。お金がなかった画家はコーヒー代の代わりに絵を置いていき、店長はそれを店に飾った。今でもカフェにはたくさんの絵や当時の写真が飾られている。私はそのことに興味を持ち、前から見てみたいと思っていた。4つの中では開業が1898年のル・ドームが一番古く、ラ・クーポールが最後にできた。どちらかというと画家はル・ドーム、ラ・ロトンドに行き、詩人、哲学者はル・セレクトに集まったようだ。私はル・ドームとラ・ロトンドに入ってみた。

 2つの店はカフェというよりレストランに近く、高級感あふれる内装で、豪華だった。本当にこのような店に貧乏画家たちが通ったのだろうかと少々疑いたくなるほどだ。ル・ドーム内部は当時のたくさんの写真であふれていてその中に藤田の写真もあった。ラ・ロトンドにはいくつか絵が飾ってあり、店の入口には常連だった画家の名前をデザインしたマットがひいてあった。ラ・クーポール、ル・セレクトは外側の写真を撮るにとどまったが、ここではずっと気になっていた4つのカフェを間近で見、当時の雰囲気を垣間見ることができたと思う。


ル・ドーム内部
ル・ドーム内部
店内の写真
店内の写真


ラ・ロトンド
ラ・ロトンド
ラ・ロトンドの入口のマット
ラ・ロトンドの入口のマット

(3)ラ・リュシュ

 モンパルナスの外れにラ・リュシュ(蜂の巣)と名づけられた十二角形の建物がある。ここは芸術家の共同アトリエだった。藤田とは直接関係ないが、ここにはエコール・ド・パリの画家が何人か住んでいた。有名なところではシャガール、モディリアニだろう。私は外側の写真を撮った後、内部には入れないと聞いていたので、門の外で建物を眺めていた。すると建物の所有者らしき人が現れ、なんと中に入れてくれた!写真も許可してくださって、とても親切な方だった。まさか中には入れるとは思っていなかったので、このとき私は本当に感激した。

 内部は清潔感があり、とてもきれいだった。建物は3階建てで、1階はロビーのようになっていて、2階、3階がアトリエになっていた。中心には木製の螺旋階段があり、それを囲むように部屋がある。今でも人が住んでいるようだった。外側は建物を囲むように木が生い茂っていてちょっとした隠れ家のような雰囲気だった。明らかに周りの建物とは違う。ここは時間があれば行こうと思っていたが、前の日に時間を作り、予定に入れて本当に良かった。


ラ・リュシュ入口
ラ・リュシュ入口
ラ・リュシュの階段(1階)
ラ・リュシュの階段(1階)

(4)国際大学都市 日本館

 国際大学都市はパリの南、モンスーリ公園の近くにあり、内部には37の宿舎があって留学生がここで生活している。ギリシャ館、アメリカ館、オランダ館など国によって分かれていて、その中の一つが日本館である。ここには藤田の作品が2点あると知り、事前に連絡を取り、作品を見せていただくことになっていた。

 そして当日、到着すると館長が迎えて案内して下さった。藤田の作品は聞かずとも玄関を入ると正面の壁に飾ってあった。一つは≪馬の図≫。縦2メートル、横4メートル以上もある大作だ。キャンヴァスではなく、板を3枚つなげて金箔を張って描いてあった。相変わらず細い輪郭線が馬の形を縁取り、その線は決して途切れることはない。そしてここでも乳白色は顕在だった。館長も説明して下さったが、この作品ともう一つの≪欧人日本へ渡来の図≫は2000年に修復が行われた。ただ修復前後を見ていないのでどれほどきれいになったのかは分からない。もう一つの≪欧人日本へ渡来の図≫はホールのような部屋のステージに飾ってあった。普段はカーテンがかかっていて見られないようになっている。こちらの作品も235×462の大作で、板に金箔が張ってある。場所は長崎の出島で、数十人の男女が描かれている。こちらの作品も輪郭線が丁寧に描かれている。私は近くで細かい部分をじっくりと見ることができた。藤田はこれだけの大作を数ヶ月で書き上げたという。背景があまりなく、人物だけといっても早い。どれくらいの間見ることができるのかよく分からなかったが、館長が忙しそうだったので受付で絵葉書を買い、数十分で日本館を後にした。館長はとても親切な方で私のために時間を割いていただいてとても感謝している。


日本館
日本館
国際大学都市内の国際センター
国際大学都市内の国際センター

(5)モンパルナス美術館

 モンパルナス美術館はモンパルナス駅の近くにある小さな美術館で、1998年にオープンした。以前は藤田と同時代にパリに住んでいたマリー・ヴァシリエフというロシア人画家のアトリエだったところだ。彼女は第1次世界大戦中、そこで貧しい画家たちのために簡易食堂を開いていたというエピソードがある。ここでは企画展を年に数回、主にエコール・ド・パリの画家の展覧会を行っている。今年のディナールの藤田展もこの美術館が主催している。

 モンパルナス美術館は注意深く探さないと見つからない。建物は草木で覆われていて、元はアトリエだったということもあり、やはり美術館という感じはしない。初めての人は本当にここでいいのだろうかと躊躇してしまうかもしれない。美術館は2階建てになっていて作品は主に2階に展示されていた。このときはディナールの藤田展に関連したエコール・ド・パリの画家の展覧会を開いていた。大きな作品はあまりなく、版画やデッサン中心で藤田の作品もいくつかあった。でも私はシャガールの水彩画が一番印象に残っている。シャガールもエコール・ド・パリの一員に数えられるのだが、よく知らない画家の作品が続いていた中でシャガールに出会えるとは思っていなかった。シャガールらしいパステルカラーのやさしい色彩でふんわりした感じの絵だった。ゆっくり回って20分ほどで見てしまえる美術館で、入場料は少し高めだったが、私はとても満足した。また行きたいと思わせるような居心地の良さがあった。


左側に美術館がある
左側に美術館がある
モンパルナス美術館入口
モンパルナス美術館入口

(6)フランス国立近代美術館・カルナヴァレ博物館

 フランス国立近代美術館はカラフルな鉄パイプの建物で有名なポンピドゥーセンターの5階、6階に位置する。巨大な美術館で全ての作品を見るのに数時間を要する。ここは藤田の作品を所蔵しているということで計画に入れたのだが、展覧会があるためおそらくそちらに移動しているだろうとは考えていた。ただ、今までに2回パリに来ていたが、この美術館は行ったことがなかったので予定通り行くことにしていた。

 ここには印象派以降の近代、現代美術が並んでいる。マティス、ピカソ、ブラック、シャガール、モンドリアン、バルテュスなど数えたらきりがないほど有名な画家の作品を堪能した。やはり藤田の作品はなかった。しかし、ミュージアムショップに全2巻の藤田の伝記があり、迷った末購入した。かなり高かったが、卒論の参考になると思う。


ポンピドゥーセンター
ポンピドゥーセンター
カルナヴァレ美術館・ルイ14世像
カルナヴァレ美術館・ルイ14世像

 カルナヴァレ博物館はマレ地区にあり、もとは貴族の館だったところを博物館にしている。ここには絵画、ルイ14世、15世の家具や調度品などパリの歴史資料が並んでいた。この博物館を選んだのも藤田の作品が所蔵されているという理由だったが、やはり展示されていなかった。しかし、美しく飾られた部屋、豪華な調度品の数々はかなり見応えがあった。中庭もきれいに手入れされている。ここは企画展以外が無料なのもうれしい。私が行ったときは企画展がなかったようで無料ではいることができた。


ディナール

(1) ディナール

 ディナールはブルターニュ地方にある都市で、海に面しているリゾート地である。パリ、モンパルナス駅からTGVに乗りレンヌ(Rennes)まで2時間、そこからサン・マロ(St Malo)まで国鉄SNCFで1時間、さらにサン・マロからバスに乗り20〜30分ほどでディナールに到着する。

 ディナールはもともと漁村だった。それが、19世紀にイギリス上流階級の人たちがこの地を訪れ始め、豪華な邸宅が次々と建ったという。今ではこの地はホテルやレストラン、カフェ、カジノなどが立ち並ぶ避暑地となり、長期滞在するたくさんのフランス人、イギリス人などが訪れている。

 私がディナールを訪れたのは藤田の展覧会が開かれているためだった。1泊の予定だったが、ここがそのような場所でないことはすぐ分かった。バスを降りると目の前に真っ青な海が広がり、ビーチでは多くの人がくつろいでいた。街中は本当にホテル、カフェが多く、普通に何か食べ物なりお土産なりを買うお店が見当たらない。ここはただのんびりと休息をとる地なのだ。それにここにいると何も考えられなくなる。私も街を散歩していると気持ちよくて何も考えられなくなってきた。このような状況で本当に展覧会を見られるのだろうかと少々不安になりながらも気を取り直して私は展覧会へ向かった。


ディナールのビーチ
ディナールのビーチ
ディナールから見るサン・マロ・船で10分の距離
ディナールから見るサン・マロ

(2)展覧会 ―Foujita, Le maître Japonais de Montparnasse―

 展覧会はPalais des Arts et du Festival という会場で、6月27日〜9月25日まで開かれていた。Palaisという名が付いている会場なので一体どのようなところかと思っていたが、行ってみると海のそばの普通のコンクリートの建物だった。中に入ると展覧会が大盛況であることが分かった。藤田に興味を持っていて来た人もいると思うが、おそらくディナールは上に述べたとおりの状況なので他に行くところがなくて来た人もいるだろう。最初の作品を前にすると私は目が覚めた。展覧会は年代順に作品が展示してあったが、最初は水彩画だった。藤田はフランスに来てからしばらくは油絵を描かずに水彩画ばかりを描いていた。パリで開かれた彼の最初の個展も水彩画のみだった。私は画集に数点しか載っていない初期の水彩画を目の前にしていた。そして展覧会には全く見たことのない水彩画がいくつも展示されていた。私はすでに感激していた。最初の部屋には水彩画のほかに藤田の身の回りの品も展示されていた。その次は油彩画が展示してあった。藤田絶頂期のエコール・ド・パリ時代の裸婦がいくつも並び、当時の写真も多く展示されていた。そして第2次世界大戦後の作品、子供の絵や宗教画が並び、最後には藤田を紹介する映像も流れていた。

 この展覧会はキャプションにフランス語版と日本語版の2種類が作られていたり、時代ごとの説明が障子に書かれてあったりしていろいろと工夫している点が見受けられた。とても充実した展覧会だったと思う。作品も100点を超えていたと思う。そうでなくても私にとっては日本でなかなか見ることのできない写真やデッサンを見ることができ、カタログも購入し大収穫だったと思っている。私はそれまで正直に言って、藤田の作品に魅せられていてその人物にはそれほど興味がなかった。しかし、この展覧会の藤田嗣治という人物はとても魅力的だった。加えて言うと、私はフランスに来てからすでに藤田という人物に興味を持ち始めていた。私は藤田が少し好きになった。日本に帰り、卒論を書く際には作品ばかりでなくきちんと藤田嗣治という人物に向き合おうと決意した。

 ディナールでは以前にもモンパルナス美術館主催で展覧会が開かれていた。それはジュール・ベルヌやピカソだったが、今年藤田の展覧会が開かれたのは理由があった。フランスで藤田は巨匠の一人とみなされている。しかしその展覧会はあまり開かれていない。前回はパリのモンパルナス美術館で1985年に開催され、それから20年間、彼の展覧会はなかった。しかし、今年は藤田と3番目の奥さん、君代さんとの結婚50年目に当たる年であった。そして藤田はかつてディナールで展覧会を開いたことがあり、それ以来避暑地としてディナールやブルターニュ地方のその他の都市を訪れていた。またその海から発想を得て作品を描いたこともあった。そのようなことが重なって今年ディナールで藤田の展覧会を開くということになったらしい。

 私はこれを知ったとき、一生分の運を使い果たしてしまったのではないかと思った。まさか今年の展覧会が20年ぶりだとも思わなかったし、研究旅行に合格しなければ私はフランスに行かなかっただろう。本当に私を選んでくださった選考委員の方々に感謝したいと思う。


展覧会会場
展覧会会場


ランス

(1)ランス

 ランスはシャンパーニュ地方の都市で、パリ東駅からSNCFで約1時間30分の距離にある。パリから日帰りでも可能な範囲だが、私はこの都市をよく見てみたかったので1泊することにした。ランスに来たのは藤田の建てた礼拝堂を見学するためである。

 この都市は歴史的に由緒ある都市で、市内中心に位置するノートル=ダム大聖堂ではクローヴィス以来、歴代国王の戴冠式が行われた。私もノートル=ダム大聖堂に行ったが、とてつもなく広かった。それに、パリのノートル=ダム聖堂より装飾がより豪華に感じられた。内部にはジャンヌ・ダルクの像があり、長い歴史を感じさせた。有名な「微笑む天使」の像も見ることができた。でも特に目を引いたのが、シャガールの青いステンドグラスでこれはとても美しかった。


ノートル=ダム大聖堂の内部
ノートル=ダム大聖堂の内部
シャガールのステンドグラス
シャガールのステンドグラス

(2)ノートル=ダム・ド・ラ・ぺ礼拝堂

 日本語で「平和の聖母」と名づけられたこの礼拝堂は1965年から計画され、1966年10月に完成し、一般公開された。そのデザイン、ステンドグラス、彫刻など全て藤田が計画し、自身は内装を手掛けた。内部はそれほど広くない四方の壁一面にフレスコでキリストの誕生から十字架に架かるまでの歴史が描かれ、藤田はそれを3ヶ月で仕上げたという。そして藤田はその仕事を最後に、1年と数ヶ月後に亡くなった。

 礼拝堂はランス駅から徒歩20分ほどのところにあった。観光地から少し離れた住宅街の中にあり、こぢんまりとした建物だった。中に入ると、すぐにイエスを抱いた聖母マリアの絵が飛び込んできて、反対側の壁にはキリストの磔刑の様子が描かれている。左右の壁には受胎告知、イエスの誕生、最後の晩餐、ゴルゴダの丘を登るキリストなどが描かれていた。壁画は全体的に鮮やかなパステルカラーで、まるで紙に水彩絵の具でさらさらと描いたように感じられた。輪郭線や乳白色はない。しかしここで藤田はフレスコという初めて使う技法で魂を込めて描いたのだと感じた。素晴らしい壁画だった。


ノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂
ノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂

(3)ランス美術館

 ガイドブックにはそれほど情報がなく、ランスに着いてから分かったのだが、市内の中心部に大きめの美術館があった。そこで私はランスでは藤田礼拝堂とノートル=ダム大聖堂の他は特に予定がなかったので行くことにした。

 私が行った日は館内の半分が閉まっていて全作品は見ることができなかった。しかし、半分でもそのコレクションの充実ぶりは明らかだった。近代の作品が多く、ロマン主義の画家や印象派の作品が中心の美術館だと思う。ミレー、コロー、ドラクロワ、マネ、モネ、ピサロなど有名な画家の作品が所狭しと並んでいた。実際に見ることはできなかったが、歴史の教科書などでよく見るタヴィッドの≪マラーの死≫も所蔵されているようだった。 この旅では美術館に行く予定はあまりなかったので、ゆっくりと美術鑑賞を楽しんだ。残りの部分が見られないのがとても残念だった。

 そして極め付けが藤田の作品、≪聖母子≫だった。その作品は画集に載っているので知ってはいたのだが、私の準備不足でその作品がランス美術館にあるとは全く知らなかった。家に帰り、画集を見てみると所蔵先は「ランス大聖堂(ランス美術館寄託)」とあったので完全に忘れていたというべきかもしれない。私はパリ、ディナールの展覧会、藤田礼拝堂に行けるだけで十分に満足していた。ともあれ、藤田の作品は1点だったが、ランスでも藤田の作品に出会えてよかった。そのことを除いてもランス美術館は訪れる価値がある美術館だと思う。


終わりに

 日本を発つ前は緊張と不安でいっぱいだった研究旅行もパリに着くとそんなことはすっかり忘れてしまった。私は9日間の旅行を思い切り楽しんだ。パリでは今まで行ったことがなかった観光名所を回ったり、初めてフランスの地方都市にも行くことができた。そしてこの旅は藤田嗣治という画家、卒論というものに向き合うことにもなった。私はこの旅で藤田の印象が変わった。これは卒論にも影響してくると思う。私も予想していなかった成果だった。あと数ヶ月しかないが、これからしっかりと卒論に取り組もうと思う。そして最後に本当に素晴らしい経験をさせてくださった選考委員の先生方にもう一度感謝の気持ちを述べたいと思う。ありがとうございました。



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