怒って築いてアナタとワタシ。

                前田 望美

私は下着屋さんでバイトをしている。先日、子供を連れた若いお母さんが買い物に来た時のこと。5歳くらいの女の子が母親に怒られていた。「いいからこっち来なさい!もういいから。早くこっち来なさい。置いて帰るよ!」。と、何度も何度も言われていた。よく見る光景だが、この子は、何故怒られているのか理由が解らないままだったと思う。何故母親の傍に居ないといけないのか、その理由をきちんと説明せずにただ「こっちに来なさい」と言われても、その子は怒られるのが嫌だからその場では言うことを聞くかもしれないが、また同じことを繰り返すと思う。声を荒げたからといって怒りが伝わるものではない。相手が誰であれ、何故怒っているのか、きちんとした意思表示こそが大切なのだ。

小さなことであれ大きなことであれ、誰でも怒ったことはあると思う。あなたは最近どのように怒っただろうか。大声を上げたり、怒鳴ったり、物に八つ当たりをする。その場では対応せずに、全く関係の無い時にグサッと胸に刺さるような言葉を言う。自分では面と向かうことなく、泣いたり愚痴ったりして周囲を巻き込む。怒りの感情を面に出さない。自分でも知らないうちに怒りが蓄積して、突然爆発する。

怒り方は人によって様々である。

では、私たちにとって<怒る>とはどのようなものなのだろうか。そこで注目したいのが、最近よく耳にする<キレル>というものである。この<キレル>は、<怒る>とは全く異なるものだ。この2つがどう違うか考えてみれば、<怒る>がコミュニケーションをとるのに如何に大切かがわかる。簡単に言うと<怒る>が、言葉で自分の感情を表現するのに対し、<キレル>は、表現する言葉さえ失った状態だといえる。人を殴ったりするのはその典型。言い換えるなら<怒る>が人間関係を築き、つなぐためのもの、さらには関係修復のためのものであるのに対し、<キレル>は人間関係を完全に切るためのもの。また、人と人との関わりを辞めること、もっと言えば人間を辞めることなのである。だから、怒りをきちんと表現できるということは私たちが人間であるという証なのだ。つまり<怒る>とは、豊かな人間関係を築くための1つの手段なのである。

「そうか。怒るということは、人間関係を築くのに大切なのだな。よし、これからは毎日怒るぞ!」

怒ることが人間関係を築くのに大切だと解った。しかし、そんな風に思う人は居ないだろう。少なくとも私は、なるべくなら怒らずに生活したい。怒って気分の良い人などめったに居ないはずだ。逆に、怒られても良い気分はしない。それに、上記に記したように怒り方にも色々ある。ただ怒れば良いというものでも無い。しかしどうしても怒りを伝えたい時。できるだけ短く、そして解り易く怒りを伝える方法はあるはずだ。先の親子に見られるように、人は怒ると最初の趣旨とは異なった方向に怒りが向いてしまいがちである。母親は最初、子供が自分の傍を離れたことに怒っていたが、最終的には買い物中に子供を預かってくれなかった彼女の夫が悪いと、夫に文句を言っていた。この場合、怒りの原因は子供が傍を離れたことだ。夫に文句を言っても、彼女の気は晴れるだろうが、次に買い物に行った時には再度同じことが繰り返されると予想できる。これと同じような状況はありがちである。なぜ怒っているのか、その原因を明確にすることが上手な怒り方への第一歩である。怒りに呑み込まれてしまっては、その瞬間<怒る>は<キレル>へと変化してしまう。

上手に怒れる人は、人間関係を築くのも上手なはずだ。では、上手な怒り方とはどのような怒り方だろうか。

@            具体的な指摘:相手の言動が自分にどう映るのか、だからどうしてほしいのかを伝える。相手は自分とは別の人間。自分にとって嫌なことが相手にとっても同様だとは言えない。

A            一回につき一回の怒り:怒り始めると、どんどん過去の怒りが湧いてくることがある。しかし、あれもこれもと言ってしまうと、結局何が言いたかったのか分からなくなってしまう。

B            目標を決める:忘れてはいけないのが、どこで話の決着をつけるか。例えば、誤りの言葉を聞いたらそれ以上は怒らない。

C            シメの言葉:怒りを伝えたら、聞いてくれたことに対して「ありがとう」の気持ちをつたえる。時は金なり。時間を割いてもらっているので。

以上のようなことがポイントである。怒るという意思表示は、あくまでも人間関係を発展させるためのもの。そのことを忘れずに人間らしく怒りをつたえられれば、上手に怒れると思う。

 他者に対して怒れるためには、正しいこと、良いこと、公平なこと、などについて自分なりの価値観や基準が自分の中になければならない。その基準が明確であればあるほど、そこから外れた他者の行為や発言に対して怒ることができる。この基準があいまいだったり、確信が持てないと、怒りを感じてもその怒りを率直に他者に表現できなくなる。つまり、怒れるということは、私が私らしくあるあるということだ。

 自分が自分らしくあるために、あなたがあなたらしくあるために。怒って築いてアナタとワタシ。

新7つの大罪より「怒りの罪」

1962年シルヴァン・ドム監督作品

Les 7 peches capitaux: La colere