“WAIT UNTIL DARK”
暗くなるまで待って
監督:テレンス・ヤング(中国、1915〜1994)
原作:フレデリック・ノット(中国、1916〜2002)
音楽:ヘンリー・マンシーニ
オードリー・ヘップバーン:スージー・ヘンドリックス
アラン・アーキン :ロート
リチャード・クレンナ :マイク・トールマン
ジャック・ウェストン :カーリノ
エフレム・ジンバリスト :サム・ヘンドリックス
あらすじ
平凡ながらも幸せな生活を送っていた盲目の女性スージーと写真家サム。サムがカナダに仕事へ行った帰りの空港で、リサという初めて会った女性に、強引に人形を預かるように頼まれる。困惑しながらも家へ持ち帰るサム。ところが、人形の中にはリサがロートの組織からくすねるためにドラックが隠されていた。それに全く気づかない二人だが、人形をなくしてしまう。
人形を見つけるためにロートは殺したリサの死体を使い、マイクとカーリノを罠にはめ、協力させる。三人は目が見えないスージーをだまして人形を探し出すため一芝居を打つ。駆け引きをしていくうちに、スージーが気づき、身の危険にさらされる。
登場人物の関わり合い
スージーとサム
サムは目が見えないスージーに、自立した女性になって欲しいと思っている。なるべく手助けをせずに、一人でさせている。それはラストのシーンでスージーに自分で歩いてくるよう促すところからも読み取れる。スージーは目が見えない事に苛立ちや不安を抱えているが、サムの期待に応えるためにも、明るく前向きに生活している。見えなくても常に人の方に顔を向け、積極的にコミュニケーションしようとしている。
スージーとグローリア
グローリアは眼鏡をかけた普通の女の子。外見にコンプレックスを持っており、美しいスージーを慕いながらも羨んでいる。そのため、時に意地悪な行動にでてしまう。スージーはグローリアの意地悪な行動を、サムの事を好きで嫉妬しているからだと思っている。衝突はするが、お互いに必要な存在であり、信頼し合っている。
マイクとカーリノ
二人はリサと組み、夫と探偵になりすまし、リサの誘惑した相手からお金を取っていた。その事件で一緒に刑務所に入った事もあるほどの腐れ縁。基本的に同等だが、マイクが上でカーリノは下の関係である。それは劇中で、カーリノがロートに武器を出すよう言われたとき、マイクに確認してから渡すなど、危機的状況においてはマイクの判断が優先されているところからわかる。
ロート
ロートは誰に対しても表面上は穏やかで丁寧に接する。しかし、内面は麻薬中毒者で、人の命を絶やすことを何とも思っていない。精神は不安定で完璧主義者、他者に対して絶対的に上の立場を保とうとする。立場が弱くなると、一変し、凶暴な一面を露にする。それは、マイクとカーリノがクローゼットの鍵を出すよう迫ったときや、スージーが電気を消そうとしたときに表れている。ロートは人とのコミュニケーションの中で、上にいないと不安でたまらなくなる。犯罪にまみれた生活で、本当に信頼できる仲間がいないのではないかと感じさせる。
盲目のコミュニケーション
この映画は、盲目の女性が主人公である。盲目と言っても二通りある。生まれつき見えない人と、事故や病気などで見えなくなった人だ。スージーは大人になって見えなくなった。
私たちが普段しているコミュニケーションの35%が言語の部分、残りの65%が非言語の部分だと言われている。
非言語とは、言葉以外の部分で、表情、ジェスチャー、しぐさ、目の動き、雰囲気など、視覚的にとらえるものが多い。初対面の時、服装や髪型などの外見的な要素がその人の印象に大きく関わるとも言われている。スージーは、65%の非言語のコミュニケーションができない。
目が見える人にとって目が見えないという事は、他者とコミュニケーションすることにおいて、不利な状況にあると考えがちだ。相手の顔が全く見えないという点では電話のコミュニケーションと似ている。しかし、スージーは目が見えないことで困っている時に、サムと出会い結婚した。また、生活の手助けをしてくれているグローリアと信頼関係を築くことができた。目が見えないことで必然的に人に頼らざるを得ないことが、見える人にはないコミュニケーションツールであると言えると思う。
さらに、見えない事をカバーするために、目以外の五感が発達することが多いようだ。わかりやすいのは耳だ。スージーは人を分別する際に、声の他に靴の擦れる音を聞き分けていた。だから、ロートがおじいさんと息子を演じた時に見破ることができた。目が見えていたら、外見に騙されていただろう。
他には、第六感も発達している。ロート、マイク、カーリノが部屋に潜んでいたときに、人の気配を感じ、最後まで疑っていた。盲目の人が書いた自伝に「反響位置決定法」という言葉がある。盲目の人は一人で歩くときに杖をもっていて、地面を叩いて障害物がないか確かめながら進む。目が見えなくなって、杖の扱いに慣れる頃、杖に触れる前にどのくらいの大きさの障害物があるか感じるようになったという。
見える人にとって、見えない恐怖は大きい。もし見えなかったら・・・と想像するだけでも気が滅入る。しかし、見えない人にはそれが普通で、見えずに生きていくことしか選択できない。スージーは盲目のうえ、体も小さいが、三人の男に狙われながらも知性と勇気で立ち向かい、勝ち残った。
人とコミュニケーションをするとき、目が見えるかどうか以上に、相手を理解したいと思う気持ちや、人と関わる勇気を持つことが大切だと思った。私は、目の見えたロートよりもスージーのほうが他者とのコミュニケーションが上手くとれていたと感じた。