現代のコミュニケーション

@はじめに

かつてのコミュニケーションはお互いが見える位置におり、顔を見合わせながら行うのが普通であった。しかし、1876年にアメリカ人のベルが電話を発明して以降、コミュニケーションの様態は大きく変化した。遠くに離れている人にも、決められた場所から相手の場所まで道具を使って,顔も見ずに声のみで会話が出来るようになったのだ。また、外出していても電話が出来るように公衆電話が設置された。1980年代後半には電話がさらに進化し、携帯電話が流通し始める。これによって、人々はいつ、どこにいても,相手がどこにいるか分からなくても会話が出来るようになった。現在では多くの人が携帯電話を使用し,人々の生活は便利になったが,これを悪用する犯罪も絶えない。

 今回、「フォーン・ブース」という1本の映画をもとに、現代のコミュニケーションについて考えてみる。この映画の中では公衆電話と携帯電話が使われストーリーが展開し,見えない相手との会話がよりいっそう恐怖感を煽っている。

 

 

A携帯電話を使ったコミュニケーション

 

 この映画の始めで,主人公スチュは3本の携帯電話を使って口八丁なことを言うシーンがある。この始めの場面が一番今の世の中のコミュニケーションを表しているのではないだろうか。スチュは雑踏とした人混みの中を,風を切るように歩きながら携帯電話を片手にでたらめなことを言いながら,美しい女を眺める。コミュニケーションする上で必要な受け手が目の前に居なくても,歩きながらでも会話が成り立ち,さらに,送り手が会話に集中していなくても,受け手にそのことを気付かれる心配はない。スチュのような仕事が出来るのは,携帯電話という特殊な道具を使って上手くコミュニケーションをとっているからである。

B公衆電話を使ったコミュニケーション

 スチュの使った公衆電話は四方をガラスに囲まれていた。これは大勢の人が行き交う道に置かれており,一歩外にでれば公共の場であるにもかかわらず,ここでは自分だけの空間のように扱われている。

 公衆電話のベルが鳴ったとき,送り手も受け手も相手が100%分かっているとは限らない。しかし受話器を取ってしまうのは,人間の性なのだろう。スチュは自分がさっきまで使っていた公衆電話のベルが鳴った時,なんのためらいもなく電話を受けた。それはこの電話ボックスという異質な空間がそうさせたのかもしれない。もし,この時点で彼が電話を受けなければ,あんな事件には巻き込まれなかっただろう。

C自己とのコミュニケーション

 スチュは始め,浮気相手のパムや妻ケリーに対して誠実ではなく,格好付けで上辺だけ取り繕う人物だった。さらに悪い事に,本人に罪の意識がなかった。しかし,歪んだ正義感を持つ犯人と電話で会話し,自分の犯している罪を告白させられるうちに,今まで自分が行っていた行動を理解し,反省する。これは,コミュニケーションの受け手に向けて話していたことが,自分も客観的に聞いて受け手となり,自己を見直したのだ。スチュはそれまで作り上げてきた自分は全て偽物であると知る。そして,大勢の人の前でカミングアウトすることで,本当の自分をさらけだすことができたのだ。

Dまとめ

 公衆電話でも携帯電話でも,電話という道具の受話器を手にした瞬間に周りが自分の空間となる。例えそれが電車の中でも,雑踏の中でも変わることはない。その空間から発信されるコミュニケーションは,相手が目の前に居ない分,よりいっそう自分も受け手として客観的に聞いてしまう。人に電話で相談してスッキリするのも,そのためかもしれない。現代では携帯電話やメールなどが普及し,今までとは違ったコミュニケーションが確立している。

<参考文献>

(1)http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj1998/10157/history/telhis.htm

フォーン・ブース PHONE BOOTH

2002年 ジョエル・シューマカー監督作品

大石 はるか