この映画は、小説家であり原作を執筆したピーター・ヘッジズが脚本を書き、初めて監督した作品である。小説家ということもあり、十名ほどの登場人物のそれぞれの特徴、個性や一人ひとりの人生がうまく描かれ、話もまとまっている。冒頭はエイプリルが七面鳥を料理しようと奮闘するシーンから始まり、その後家族がニューヨーク郊外の自宅から車で向かっていく道中と、交互に二つの話が進行していく。家族との人間関係や過去、母親のがんの事などは説明がないが、徐々にわかるようできている。

ストーリーは、長年家族と仲違いしていて、ニューヨークに一人で暮らす主人公の女の子が、母親が末期がんで余命わずかしかないことを知り、感謝祭をきっかけに仲直りしようとする話だ。主人公のエイプリルは母親の好物である七面鳥のローストを焼き、家族をもてなそうと決心する。言葉ではあらわしにくいので行動で示すということだ。しかし、彼女は料理などほぼ経験のなく、家のオーブンも壊れていた。業者に修理を頼もうにも、感謝祭なのでどこも営業していない。そこで同じマンションの住人の部屋を一軒一軒まわり、貸してもらえる家を探す。ニューヨークのアパートの隣人関係は希薄なもので、無関心だ。他人のオーブンを借りることはまずない。しかし母親のためになんとしてでも作らないといけないエイプリルは、住人たちと初めてコミュニケーションをとる。

まず、感謝祭の当日を舞台にしているが、そもそも感謝祭とは、11月の第二月曜日で、家族、祖先、神様に感謝する日だ。日本の正月のようなものである。起源は1492年、コロンブスのアメリカ大陸発見により、多くのイギリス人が新大陸を目指した。しかし、新しい土地で食物を育てるのに苦労したイギリス人は食べ物が満足に食べられず伝染病や悪天候も重なり、ほとんど死んでしまった。インディアンは余りに悲惨な状態をみかねて、トウモロコシやかぼちゃなどの育て方を教えた。とある秋の日、イギリス人たちは、インディアンを食事に招き、その食事は現在でも感謝祭恒例の食べ物である。

家族とエイプリルの関係は、この由来の話と重なっているように思える。家族は得体の知れない場所に住むエイプリルの家へ向かう、イギリス人であり、エイプリルは家族とは隔離されたインディアンとすると、感謝祭は互いが必要であったと思い出す日である。家族はイギリス人の縮図で、エイプリルは感謝祭について説明する際、インディアンに同情的であったのは自分の立場と重なってみえたからだ。母親とエイプリルは愛情の向きが違っていたのだ。母親は社会的地位や、周りに認められることをよしとし、エイプリルは情緒的で感情的な面を持ち、偏見がない。

エイプリルは家族の話からすると火事を起こしそうになったり万引きをしたりと、決して素行は良くないが、アパートの住人たちと交流する場面をみても、悪印象を与えることはほぼなかった。むしろ家族の方が疑わしい。母親は自分の固定観念に縛られ、他人を認めることはできず、出来の良い二人の子でさえしかりつけてしまう。妹は母の愛情を一人占めしたく、優等生になりエイプリルを良くは思わない。エイプリルが孤立するのは自然かもしれない。

この作品では母と子との対立を主に、死を直前にした人間の行動も描かれている。大げさに話題にするのではなく、写真で思い出を残し、乳房を切断した胸までも撮っていることから、とっくに死を受け入れている。やり残したことは娘との和解だ。道中では何度も吐き気に見舞われ、ドラッグを服用している。最もエイプリルに会いたかったのは、一番彼女と険悪だった母親だったのだ。夫は妻が眠る姿をみて安らかに死んだのではないかと一瞬感じる場面がある。夫自身も妻の死期を理解はしているが、悲しみの表情とともに、まだ死ぬわけはないのだ、と驚きと怒りをあらわす。ここで夫婦の深い愛情が垣間見えた。

そして、家族はアパートに到着したが、そこはロウアー・イーストサイドという上流階級とは程遠い地で、一時期はスラム密集地ともなりヒスパニック系移民も多い街の一角である。恐れをなした家族は逃げ出してしまい、ファミリーレストランで一息をつく。

母親はそこの化粧室で偶然、ある母と少女の喧嘩に居合わせた。母を必死で追う少女の姿を目の当たりにした彼女は、自分だけでも、とアパートへ向かう。客観的に自分とエイプリルの姿を見て、ようやくエイプリルの心情を慮ることが出来たのだ。

そして、母親とエイプリルの再会である。ここからスライドショーのような撮り方で、カメラの思い出の一場面であるかのように見せている。言葉がないが、かえって饒舌にその場が温かく感動的だったことを語っている。母親は自分の生き方に疑問を抱き、精神的に病んでいた。それが、エイプリルが七面鳥を出したことで救われたのだ。インディアンがイギリス人を助けたことと同じ意味である。エイプリルは一人で生活し、お金がなければ生きていけないという現実的な面がみえる年になり、家族は離れて暮らすことによりそれぞれの立場を理解することができた。感謝祭はエイプリルが仲直りするためだけではなく、母親のための一日にもなった。

最後は、エイプリルが招待した黒人の夫婦、華僑の家族、そして彼女の家族と全員で食卓を囲む場面だが、これは感謝祭の本質的な意味での交流を象徴している。感謝祭を知らなかった華僑の人々と、ある意味、白人に偏見を抱いていた夫婦、それに中流階級の一般的な家庭が交じり、歴史のなかで異文化が歩み寄った出来事と同じだ。一人ひとりがわけ隔てなく接するという理想的な姿だと思う。

この映画は七面鳥を焼く、というシンプルなテーマだが、母と子の絆、家族の再結束や生と死、異文化交流など、多くの要素が含まれており、特にどの点も誇張することなく、ユーモアと皮肉を交えて、静かに温かくコミュニケーションのあるべき形を示している。母親は自分の価値観を見直し、見知らぬ人の単車に乗りアパートに向かった場面がもっともそれを印象的にあらわしていた。重要なのは関係や状況に関わらず、歩み寄ろうとする姿勢だと感じた。

エイプリルの七面鳥 Pieces of April

石川詠美子

2003年 ピータ・ヘッジズ監督作品