まぼろし Sous le sable
2001年 フランソワ・オゾン監督作品
中村 ゆり

出演

シャロットランプリングマリ
ブリュノクレメマリ
の夫ジャン
ジャックノロ出版社の経営ヴァンサン

アレクサンドラスチュワルトマリと親友アマンダ

スト

マリとジャンは25年連れ添った夫婦。ヴァカンスで浜にやってきた2人だったが、マリがうたたをしている間に夫のジャンは忽然と姿を消してしまう。すぐに近索が行われるが、ジャンの行方を示す手がかりは何ひとつ見つけられない。事故なのか、失踪なのか。生きているのか、それともも分からず立ちつくすマリに「夫の不在」という重い荷物がのしかかる。
 かけがえのない存在を失ったしまった者の心の動きをじっくり追った作品だ。辛い現に直面したとき、ヒロインのマリはそれを「受け容れない」ことでなんとか精神の均衡を保とうとする。他人の目からは危ういバランスのように見えるが、今も生きける夫への愛が彼女を支えてゆくのだ。
 なにかを暗示しているかのようなラストシ
ンが印象的だった。見る人の受け止め方でそれぞれ違ったエンディングになるのかもしれない。 

 

たり前のようにそばにいる、かけがえのない存在を突然失ったしまった時どんな心情だろうか。どんな日を過ごすだろうか。普段こんなこと、じっくり考えたことはないし考えたところで答えがでることではない。しかし、生と死は密接な係であり、きってもきり離せない。生きている限り死ぬ可能性はつきまとう。だから事はある日突然起こるものだと思う。

自分の愛する大切な人がいなくなってしまったらどうしよう、正でいられるだろうか、何をりに生きていくのか…そんなことを考える機えてくれたのがこのまぼろしだった。

この作品は大人の倒的な愛の物語。それを幻想的に、詩的に描いている。しかし、見終えて私が感じたのは恐怖。恐怖と感じた理由は大きく分けて二つある。一つ目は、自分自身を主人公マリに重ねて見ていたからである。前にも述べたように、生きている限りはつきまとう。だからこそ突然、かけがえのない人が目の前から消えてしまうかもしれない。私もマリのように現から逃げ、自分を見失うかもしれない。自身のその可能性にし恐怖を感じた.

そして二つ目は、マリの夫への愛の深さである。夫の幽を作り出したのは、マリの狂であり、狂を導きだしたのは、愛そのものである。失ってしまった夫を愛するあまりの幻影と見えると同時に、現逃避の末行き着いた自分を愛するあまりの幻でもあったはずだ。
そういった幽霊さえも愛ゆえの狂気が作り出すことになった彼女の深い愛を、夫は生前どう感じていただろうと想像すると恐怖を感じてしまう。こそ理想の夫な部分。優しくて、理解もあり、ちゃんと嫉妬もしてくれる。彼女は
重いという言葉で、自分の25年の結婚のキャリアを表現しているが、本に重かったのは夫のほうではなかったかと考えてしまった。
 ラストに向かい、マリが少しつ現と向き合う子を見られるが、最後にマリはそれを拒否する。また愛ゆえの狂がよみがえったわけではなく、その終了を意味しているようながした。たぶんこの作品のラストシンは、さまざまな解ができると思う。私はこの一見、至上の愛のように見える、グロテスクな愛が、本の至上の愛へと昇華したのだと解している