コミュニケーションにおける嗅覚の役割の展望
森 智章
人同士がコミュニケーションをするには、メッセージのやりとりが行われる。互いのメッセージの意味を確かめ合うためである。他者と話をする際、自分の話しかけを他者がわかるだろうと思わなければ話しかけない。しかし、この発したメッセージの意味を決めるのは受け手であり、受け手の感じ方によって意図しなかった意味づけがされることも多々ある。このズレを補い合うためにジェスチャーや言葉などを使ってメッセージのやりとりを繰り返すことにより、コミュニケーションが成立する。
さて、この一連のやりとりをするうえで人は五感、特に視覚・聴覚を使う。あるいはときには聴覚・触覚も役割を担う。視覚はコミュニケーションの約6割を占めるといわれるジェスチャーや表情といった、いわゆる“身振り言葉”を認識する機能としてはたらく。あるいは手紙や新聞や本など記号化された言葉を認識できる。更には、一度触れた物や嗅いだ物、食べた物は見るだけでそれがどの様なものか判断できるというように、他の感覚器官の代わりにもなれる。一度“ネコ”を見て、それについて共通の概念があれば、新たに定義づけをするコミュニケーションを省略できる、といった感じだ。コミュニケーションをするには知識の量というのも重要で、一番多くのことを知り理解しうる視覚はコミュニケーションをするうえで非常に重要な役割を担っていると言える。聴覚は“話し言葉”を聞くための機能であり、言うまでもなく重要である。では嗅覚・触覚はどうか。コミュニケーションするにおいてあまり使われることを考えにくい触角はとりあえずおくものとして、それにしても嗅覚もやはりコミュニケーション、特に直接的な接触における状況では重要だと考える。鼻は呼吸と結びついているため、睡眠状態のような無意識の状況でも絶対的に機能するものである。もちろん人と会話をするときも機能しており、またどの場所においてもニオイというものはあるため、それがコミュニケーションに与える影響は微少ながらもあるだろう。例えば女性が香水をつけることや、部屋にお香をたく行為は自分がどの様な人間かを表す一種のメッセージであり、それを受け手がどう受けとるかによりその後の展開に違いがでてくるからだ。
しかし、以前に比べ現代の日本社会においては嗅覚の役割は徐々に不要となってきている。昔から香水の様なものはあったが、お香や消臭剤の様に自分そのもの以外のもの、部屋などの空間に対して人工的なニオイを排出ことは稀であった。それが今では消臭は当たり前のことで、それが礼儀のようになっている。現代は生活のニオイや人のニオイは消されている。それに比べ視覚や聴覚はますます幅を広げている。より物を正確に認識するための眼鏡や望遠鏡などの発明をはじめ、絵画や写真と、古くから視覚を刺激するものは次々と現れた。近年は映画やテレビなどの強くメッセージ性を含むものも多く作られ、更にはパソコン、携帯電話の劇的な普及に伴う大多数の人のメールの活用により、そのコミュニケーションの可能性を大きく広げた。聴覚についても同じことが言えるだろう。古くは楽器にはじまり、電話やラジオ、レコードやオーディオ機器の登場、特に電話の発明は違う空間にいる相手との接触を可能としたし、ウォークマンの開発は同じ空間において他者との距離を完全に遮断するという新境地を開拓した。携帯電話についてもウォークマンと同じことが言える。また、ごく最近ではミュージックプレイヤーの普及が著しい。この様に、その機能の重要度の違いにより多少視覚の優越性があるが、この二つの感覚は常に新しい刺激を受け、良くも悪くもコミュニケーションの可能性を広げるものが次々と生み出されている。嗅覚に対するそのようなものを思い浮かべても思い当たらない。そもそも視覚・聴覚に対するこのような動きは利便性に加えて楽しむことを用途として作られたであろうことが予想できるのに対し、嗅覚に対しては香水にしても消臭剤にしてもハナニつくニオイを消すという利便性だけで、楽しむという感覚はない。だからこそ驚くべき発明がされない。嗅覚はニオイを消そうとする現代の日本社会では必要とされない感覚のように思われる。嗅覚に関してはこれ以上コミュニケーションの可能性を広げることは不可能かの様に思われる。
しかし、それは嗅覚が視覚や聴覚に比べ重要性に欠けることが原因であるだけのはずだ。50年前の人が今の携帯電話の普及を見れば驚くであろうと同じように、10年20年先は思いもよらぬものが現れるかもしれない。携帯電話がテレビ電話を可能としたように、いつかはニオイだけでなく触れる感触すら認識し合うことが可能となるかもしれない。現に全く普及していないとはいえ、パソコン上ではニオイを配信する機械が登場している。そのようなものが一般レベルに浸透したとき、また新たなコミュニケーションの形態が確立されることだろう。
1997年 ガス・ヴァン・サント監督作品