現代の社会では、人とコミュニケーションする手段が多様化している。人と直接会ってコミュニケーションする以外にもテレビ電話やウェブ上の日記等の新しいコミュニケーションツールが急速に普及し始めている。そしてこれからも、このようなコミュニケーションツールは増えていくだろう。いつでも、どこでも、誰とでもコミュニケーションできるというユビキタス社会が到来するのも時間の問題だろう。確かに、国境や人種、性別、言語を超えてコミュニケーションができる社会というのはとても魅力的な世界なのかもしれない。世界中の様々な地域で続いている紛争の解決や、異なる文化間の相互理解、さらには温暖化等の地球規模の問題解決にも繋がるかもしれない。しかし、その新しいコミュニケーションで生じる問題もあるだろう。

                私は近年、日本で増えている殺人事件の中にもコミュニケーション不足が原因のものが多くあると感じている。つまり自分をうまく表現できないのである。インターネットや携帯電話の普及で人と直接コミュニケーションする機会が、かなり少なくなってきているからではないだろうか。ちょっとした用事ならメールで済ませしまうこともできる。つまりは直接伝えたい用件が無ければ、人と直接コミュニケーションしなくて済んでしまうのである。私は対人コミュニケーション力というのは人と直接コミュニケーションをして初めて身に付くものであると考えている。人と直接コミュニケーションをすることで自分の表現の仕方や、間の取り方、空気の読み方を学んでいくことができるからだ。ウェブ上の掲示板等には特にコミュニケーション力不足を感じさせられることが多い。自分が気に入らないことがあれば暴言を書き連ね、それに対して暴言で応酬し、しまいには無視をするといったものをよく見ることができる。こういった自分善がりのコミュニケーションが引き金になっている殺人事件が多くなってきているように感じる。

                本来コミュニケーションは相手がいてこそ成り立つものであるし、その相手と作り上げていくものだ。それがコミュニケーションの魅力だと思う。映画『PARTY 7』でノゾキ常習犯のオキタソウジが何気なく言った「バカ。」という一言で覗き部屋の主人キャプテンバナナ怒らせてしまう。しかし、その一言がきっかけでオキタソウジとキャプテンバナナとの会話が弾み、結局仲良くなってしまうという場面がある。「バカ。」という一言でも様々な受け取り方があり、意味がある。そして、その意味というものはコミュニケーションの中で決まってくるのだ。どのような意味を「言葉」に持たせるかというのは、会話をする人の技量やセンスによるところがあるだろう。人は会話する時に、どのような話し方をするか、どのような言葉を使うかなど様々なことをアドリブで瞬時に判断しているのだ。私はこの事をジャズのセッションのような感じとも思っている。どのような展開になるかわからないセッションを巧くこなすには、やはり何度も練習をこなさなければならないだろう。

新しいコミュニケーションツールが開発されている現代だからこそ、頻繁に会話をしてコミュニケーション技術を磨きつつ、自分(のセンス)を知ることが大切である。

PARTY7

2000年石井克人監督作品

浦 隆浩