「人を介するコミュニケーション」
主人公のエイダは、6才のときに話すのをやめたスコットランド人女性である。彼女は幼い娘フローラと、大切なピアノと共に、写真でしか知らない男スチュアートとの見合い結婚のためにニュージーランドへやってくる。口を利かないエイダにとってピアノは彼女の声であり、彼女の一部であり、彼女を唯一理解する愛人とも言うべき存在だった。ところが夫はピアノを海辺へ放置し、勝手に他人に渡してしまう。エイダはピアノを取り戻すため、顔にマオリ族の刺青をした無愛想な男ベインズにピアノを教えることになる。一心にピアノを弾くエイダに興味を持ち、強く惹かれ始めるベインズ。彼がレッスンにつける条件は次第にエスカレートし、二人はいつしか愛と官能の炎を燃え上がらせていく。そこからエイダをめぐる、夫スチュアートとベインズ、娘フローラ、ピアノとの奇妙な関係が展開するのだが―──。
「The Piano」という映画の原題からも分かるように、この映画の中でピアノは特別な役割を果たしている。エイダは、声で思いを他人に伝えることよりも、自ら沈黙を選択しピアノを演奏することで、自身の存在証明を、他の誰に対してでもない自分自身に対してのみ行っていた。そのため彼女にとってピアノは、声以上に重要な意味を持っているのである。夫はそれを知らず、ピアノを海辺へ置き去りにしてしまう。一方ベインズは海辺からピアノを運び出し、壊れていたピアノを直してやるのだった。後にどれだけ夫がエイダの愛を乞うても、彼女は心を開くことさえしなかった。すでに最初のこの時点で、彼女の愛を得うる相手ははっきりとしていたのかもしれない。
ピアノ以外にも、彼女のコミュニケーション手段としては@手話A筆記B娘を例に挙げることができる。娘とはおおよそ@手話を使って会話し、娘以外の者とはA筆記やB娘を介することによってコミュニケーションを成り立たせている。今回私は、「娘を介するコミュニケーション」に注目した。他人と意思疎通を図るとき、自分と相手との間に他者が入ることで、そこにはまた新たな形のコミュニケーションが発生するのではないかと考えたからだ。
ここで留意しなければならないのは、この場合の間に入る他者とは、10才ばかりの娘だという点である。娘フローラはまだ子供で、自分と他人との距離感を正確に掴むことができない。母親エイダとの関係においてはなおさらである。エイダが誰かと話す必要のあるとき、そこには常に娘フローラがおり、エイダの手話を娘が通訳していた。幼い少女が発する言葉には、時に、10才の少女の発言以上の力が備わっていたに違いない。フローラは常々母の声であり、エイダの代弁者を務めることで自分を母と同一視していた。ピアノ以外には入り込む隙のなかった母娘関係。ベインズはそこへ割り込んできたのだった。しかも彼は頑なだった母の心をすっかり自分のものにし、ピアノを弾くことすら忘れさせてしまう。フローラはベインズから母を奪い返そうとする。これは映画の中で、“ベインズへ恋文を渡すよう母から頼まれたフローラが、ベインズのところへ行く振りをしてスチュワートのところへ持っていく”というシーンに象徴的に描かれている。このシーンは、‘母の意志に作為してコミュニケーションの形を変えてしまった’場面と捉えることが出来るように思う。複雑な位置に立たされて間に入る他者の役割を担っていた少女は、あるべきコミュニケーションを別のものに変えてしまったのである。
そもそも「人を介するコミュニケーション」は「シンプルな双方向のコミュニケーション」よりもおそらくは難しいコミュニケーションなのである。他の例として映画の吹き替えを考えてみるならば、間に入る他者には少なくとも、翻訳、吹き替えが存在することになるが、とすると、いかに元来そのままの映画を見る側に伝えようと思っても、そこに何らかのコミュニケーションの変異が生じてしまうのを避けられない。その差異を最小限にしようとするなら、コミュニケーションの間に入る他者の役割はおのずと重要性を増してくるが、結局は人を介する限り、差異をなくすことは不可能なのである。人を介することの難しさはそこにある。
今回私がテーマとしたコミュニケーションの形以外にも、映画のさまざまな場面で違ったコミュニケーションの形を発見できると思う。むしろ実は映画自体と私たちの間にもコミュニケーションは生じているかもしれない。
なぜ6才のエイダは口を利くのをやめたのか、エイダと娘の父親との過去はどのようなものだったのかなど、この映画ではストーリーの細部についての説明がなされない。ただ沈黙のまま、ストーリーが進むだけである。主人公エイダと同じく「ピアノレッスン」そのものが、沈黙によって、観る者とのコミュニケーションを拒んでいるばかりなのだ。いずれにしても解釈は自由。自分なりの見方で映画を感じ楽しんでみて欲しいと思う。
1993年ジェーン・カンピオン監督作品
長尾 紘子