川柳にこめた想い:ジェンダーフリー(バイアスフリー)の社会を! 【佳作の次に来るのは ⇒ ★★★傑作 ⇒ ★★労作 ⇒ ★迷作】 最優秀作(1点) @「女ゆえ 出る釘うたれ なお元気」(女性・70代) (評:女性の困難な現状を、たいへんわかりやすく説きながら、しかし、前向きな姿勢をつらぬく、その気迫に圧倒される) 優秀作(2点) A「主夫満点 ただオッパイがでないだけ」(女性・60代) (評: 糟糠の夫か、はたまた、新婚の息子か、近くの女性からこのように評価される男性の柔軟な生き方は高齢社会の危機をのりこえる最も基本的で最良の方法かもしれない。) ★★出産へ サポートハズも 助産室 B「参観日 妻は会議で 夫(ぼく)が行く」(男性・70代) (評: それに対して男性からの率直な返球が好ましく、女性たちへの応援歌になっている。これを「好い句」といわずして何と呼ぶ?妻も夫も「ツマ」と読めばもっとおもしろいのでは? なぜなら、古くは、ツマは妻も夫もどちらも指していた。) ★★★家事全般 こなして主夫の 仕舞い風呂 (こんな夫のクローンだったら何人でも欲しかぁ!!) ★主婦の誇り 捨てて夫を 豆腐買いに (かわいい夫には足袋を買いに行かせてあげよう!) 佳作(5点) C「おいめしも 21世紀 セピア色」(女性・?) (評:ご飯がセピア色に変わるという話ではない。「おーい、めし」という言い方が死語になるという意味。ほのぼのとした言い回しで表現しながらも鋭くて優れた句) ★めし風呂寝ると 一度は言って みたいもの (遠慮せず、顔を見るたび言おう) ★青いリンゴに 女大学 通じない (与謝野晶子はいいました、そんなの、よさないか!) ★様変わる 大和おこのも なでしこも (様変わりに前向きに対処する心があれば世界はちがって見えてくる?) D「おーいあれ 妻は近ごろ そっぽ向く」(男性・70代) (評:変わりきれない男性への叱咤激励を複雑な気持ちで受け止める男の悩みの「絶句」、それとも単なる「文句」? コマーシャルにありますね、娘が父に「私はお母さんじゃないんだから!」) ★男なら 出世したろう 気の強さ(男なら質実剛健と誉めちぎられる長所のはずなのに・・・) ★定年で 役割分担 逆になり(せめてもの罪滅ぼしだよ) ★★★雇い主? “主人”という名の パートナー (ご指摘どおり、“主人”には“奴隷”がよく似合いますね) E「パンツでも スカートマークの お手洗い」(女性50代) (評:日常生活に隠された性差意識を告発する名句。ところで、選者は、最近、女性が大挙してパンツマークのトイレに入っていくのを発見した。) ★婿養子 まずは快挙の 鯉のぼり(愚挙とも言う?) ★★宴会に 上座下座のある 社会(車座社会でいこう!) ★★★頑なに 女性を拒む 土俵上(理由なき反抗) F「男らしく 頑張ったのに 粗大ゴミ」(女性・50代) (評: 現実は甘くないぞ、だから・・・って励まし。「おとこなら」どうすべきか考えてみろ!) ★★関白を 詫びる心で 介護受け (現役時代からそんな殊勝な心がけあればもっといいのに・・・) G「尽くす妻 教え諭すは 耐える母」(女性・30代) (評: 女性自身が性差別を温存し、再生産している現状に対して批判の目がするどい句。このような構造的差別を見抜くことがもっとも大事。) ★★★親を見る 妻を横目に ゴルフ行き (夫の犯罪ですよ、これは。倒れても介護してもらえないと覚悟するしかない。) ★★足ひっぱり するのはいつも 女です (男もするけど女も・・・) ★ 死ぬまでに 一度は 「オーイお茶!!」 (死ぬ直前までガマンしなくてもいいのに) H「電話の声 女と知ると 声荒げ」(女性・50代) (評: 保険会社で輸出入関連の部署にいた教え子が、男の不満の吐け口に利用された経験を話してくれた。女と見れば「タカビー(=高飛車)」な態度を取る男って・・・トラブルの最終的解決にしゃしゃり出るのは男?) ★★同じ事 やっても差がある 給与明細 (ほんとにそうだ、パートタイマーのつらさ、世帯主でないつらさ) ★★来世は 男七夕に 書いておく (祈るよりも実力行使かな!) ■プロの詩人たち 〜栗木京子〜 「天敵を持たぬ妻たち昼下がりの茶房に語る舌かわくまで」 「子に送る母の声援グランドに谺こだませりわが子だけが大切」 〜阿木津英〜 「風蹴りてスカートの裾広くゆく尊たっとばれたる女はありや」 「今世紀終末にしてあがめらる自然食品のごとくに女」 「夫婦は同居すべしまぐわいなすべしといずれの莫 ばかが掟てたりけむ」 ■ 与謝野晶子「姑と嫁について」(1915【大正4】年) (1878【明治11】生−1942【昭和17】没) 或会社の技師をしている工学士某氏の妻が自分に対する過酷を極めた処置に堪えかねて姑を刺したという故殺未遂犯が近頃に附せられたので、その事件の真相が諸新聞に現われた。・・・ ・・・姑という人は明治以前の思想をそのままにして墨守して移ることを知らず、現代の教育を受けた若い嫁の心理に大した同感もなく、かえって断たえず反感を持って対し、二言目には家風を楯に取り、自分の旧式な思想を無上の権威として嫁の個性を蹂躙し圧倒することを何とも思わず、聞き苦しい干渉と邪推と、悪罵と、あてこすりとを以って嫁を苛めて悔いぬような、世にいう姑根性をかなり多く備えた婦人であるらしい。私は幼い時から私の郷里などにそういう無智な姑の少くない事を見聞しており、また一般に温厚な嫁ほどそういう姑の下にあって人の知らない多大の苦痛を忍んでいることを知っているので、姑に対する新聞紙の報道を誇張だとは思わない。・・・ ここに私の遺憾に思うのは――むしろ攻撃したく思うのは――その良人たる工学士某氏の思慮の足りないことである。なぜに一人前の教育ある紳士がその母の旧思想を説破し、その過酷な干渉を諌止かんしして、夫婦の間の生活は専ら夫婦の間で決すべきものであることを宣明しなかったのであろう。母を尊敬し併せて妻を愛重する文明男子がこの際に取るべき手段は、誠意ある諌諍かんそうを敢えてして、母を時代錯誤から救い出し、現代に適した賢い母たり新しい母たらしめる外にないではないか。・・・ 老人教育の必要であること・・・老人は一度若い時に教育されたきりであるからその思想は過去のままに乾干ひからびている。それで過去の思想に停滞している老婦人は万事を過去の標準で是非し、若い嫁のする事が凡て気に入らない所から、一一それに世話を焼きたくなる。・・・こういう種類の理由の下に悪性になり、不良になっている多数の姑根性というものを私は一概に憎むことが出来ない。たとい姑根性は憎んでも、こういう後天的理由で畸人化され病人化された姑その人はむしろ気の毒に感ぜられる。 ・・・現在の姑たちについては私の考えは・・・希望と悲観と半ばしているが、しかし未来の姑については全く新しい紀元の開かれることを期待している。今日の教育ある若い妻はその程度に差があっても、概して幾分ずつか皆新しい妻である。私は出来るだけ自治独立の生活を送ろうとしていると共に、他の自治独立の生活をも尊重したいと思っている。・・・私は家系などという物も少しも尊重すべき物と思っていないのであるから、子供らが何処に行って自治の生活を始めてもそれを祝福する以外に何の註文もない。 |