私のハウスハズバン道(趣夫道)(1) まず「ハウスハズバン道」は「ハウスハズバンドー」と読(呼)んでください.英語由来の「ハウスハズバンド」(househusband)と日本語の「道」を合わせて作った私の造語です.いうまでもなく,道は「茶道・華道・柔道・剣道・武士道」などの下に付く漢字です.日本古来の文化伝統につけることが多いのですが,私は,まだ伝統になっていないものに,いずれ近いうちにその仲間入りするようにとの願いをこめて名付けました. さて,ハウスハズバンドはふつう「(男の)主夫」 を表わす英語ですが,私は,義務ではなく趣味でこれをやっているという意味で「趣夫 」と命名しています.オノ・ヨーコさんとの間に生まれた息子ショーンの育児にはまったジョン・レノンさんはすでに七十年代にこれを自称していました.ハウスハズバンドは「ハウスワイフ」(主婦)をまねて作られました.最近,家事をする人を,性別に分けず,価値中立的な英語表現として「ホームメーカー」を使うこともあります. とはいえハウスハズバン道は決して新しいアイデアではありません.わが父はそれに近い生き方をしていました.でも父は音楽家ではなく,ただの農民でした.自宅に客が来ると妻にお茶を出させるより,自分から入れるような「尻軽」男でした.そういうもてなしを心から喜んでやっていました.お茶だけでなく,いわゆる料理も我流で作りました.人の世話が大好きでしたし,生き物を飼うことも大好きでした. 農民の生活には,時間にしばられない自由度があるだけ,人間的な生き方ができました.それは会社員との大きなちがいです.農民は「会社時間」より「大自然時間」に従って暮らしてきました.夜明けと日暮れの間に可能な限り仕事をします.田んぼには明かりがありません.朝夕の通勤ラッシュはありませんから,痴漢行為もありません.雨や暴風雨の日に出勤すべきかどうか悩む必要もありません. 端的に言えば,自然のリズムにわが身も心もゆだねる暮らし方,エコロジーの思想を実践しています.どんなにあせっても,モミが芽を出し,苗が大きくなり,コメとして収穫できるようになるまでの時間は決まっています.一定の時間が来れば実ります.ヒトの子育ても同じです.あわてて育てようが,のんびり育てようが,結果に大差はありません.むしろ,促成栽培に走りすぎて,失敗することは多く,あわてる分だけ親にも子にもよけいなストレスがかかることが大いなるマイナスでしょう.わが父が子育てを「なるようになる」とあわてなかったのも,生き物のひとつに過ぎない人間の成長過程を稲作と同列に見ていたからなのでしょう. 農民は保守の典型のようにいわれますが,核家族の子育てに母親が専ら任されている状態を見ると,昔の農民おやじは,労働している自身の背中をみせることで,また人も稲が育つようにしか成長しないと信じて,子育てに,のんびりとではありますが,もっと関わっていたのだとあらためて思い起します.つまり,こと挙げせずとも,立派にハウスハズバン道をきわめていたのだと思えます.鍬を担いで歩いて田んぼへ行く道すがら,近所の人と挨拶を交わし,情報交換をする中で,どこのだれがワルソーしたと聞かされれば,子どもが家に戻れば,いつのまにかお仕置きがまっていました.家に戻ったおやじが,横になっていることはなく,雨がもれば,屋根に上がって雨漏りを直したり,魚を串刺しにして焼いたり,助け合って暮らしていました.おやじだけが賃労働するのではなく,他の家族もみな田んぼで労働し,こどもも家事を分担する風景はサラリーマン社会が出現しはじめる四〇年ほど前までは,全国どこにでもありふれた生活でした.ハウスハズバン道の原点を,私は,輸入物ではなく,日本に存在した伝統的暮らしのつながりに見ています.だから,父権よりは,ここであえてハウスハズバン道の復権を言いたいのです. |