あすてらす  ニュースレター
だれもが生きがいとゆたかさを享受して
   〜「基本法」のめざすもの〜


 性による差別の禁止はすでに憲法に明記されています。憲法制定から半世紀、民主的な精神は私たちの中に根付いているはずです。なのに、今なぜ「男女共同参画社会基本法」なのでしょう。

 その答えはこうです。憲法は絵に描いた餅でした。憲法の精神を具体化する施策がないまま半世紀、差別は日々の暮らしに空気のように温存され続けました。女性に対するケガレ意識から、『桃太郎』の中のジイババのような固定的役割分業観(第4条)まで、私たちの心から消えることがありませんでした。

 差別が刻印されたことばも、それを使う人々を、気付かないうちに封建的な女らしさ・男らしさのワクにはめています。「主人、父兄会、男をたてる、嫁にやる、夫唱婦随、女子供、家内、石女(うまずめ)、男は度胸・女は愛嬌」などの表現は、依然として男女が主従関係の差別的慣習にしばられていることを表わします。

 女性を負の存在とみなした企業も同罪でした。子育て・家事は女の仕事という「常識」を前提として雇用慣行を維持してきた企業は、産休や生理休暇は取るが残業しない女性に、補助的労働の役割をあてがい、結婚・出産退職を当然のように求め、M字型雇用を正当化してきました。

 戦後女とくつ下は強くなったと男たちは言います。統計によれば、だからといって女になりたいと望む男はほとんどいません。やはり依然として男が得だとホンネでは感じているからにちがいありません。
 「基本法」は、過去の反省をこめ、国を挙げて、おそまきながら憲法の精神を具体化するものです(第1条)。それは、日本政府をはじめとする各行政機関、自治体、企業、さらに個人に、それぞれの持ち場における具体的な努力・達成義務を求めています。
 「共同参画」とは、女・男があらゆる分野の活動・事業について、企画の段階から、実行・後片付けに至るまで、そのすべての過程に、対等の立場で自己決定権をもって参加することです(第2条、第5条)。これまで女性たちは、男を立て、裏方として汗を流しました。今は女が自らを立てる時代です。女性も表舞台に立ってリーダーシップを発揮する責任があります。

 逆に、男性も縁の下で力を発揮する「権利」があります。基本法は、自治体・企業の責任だけでなく、個人の責任も問うています(第6条、第10条)。特に、男性の家庭責任、地域責任が強く求められます。金にならない「愛のただ働き」を引き受けてきた女性の苦労と健気さを男たちも共有すべきです。
 男性が、子育て・老人介護、地域活動をするための条件は、まず家族を「食わしてやっている」という自負を捨て、自身の身辺処理能力を高め、女性の足をひっぱらないことです。自分の世話をできずにいて、家庭貢献も地域貢献も国際貢献もありません。「生活的自立」ができれば、つれあいを先に失う別離の悲哀に世をはかなむ「男のもろさ」も減るでしょう。
 
 これまでの男中心の社会を大転換するために、自治体や企業には、女性スタッフ比率を増やす「割り当て制」などの「積極的差別是正措置」の導入が必須です。女性・男性ではなく個性に応じた職業選択ができ、能力が発揮できる社会(第3条)は、活気のある社会です。それは、女・男・企業・国家だれにとっても本当のゆたかさを実感しうる社会となるでしょう。

 宇宙船地球号の時代に、「男だから」「女のくせに」と文句をたれる男たちがいる国は滅びます。晩婚化、少子化は進み、厚生省の試算ではあと100年で日本の人口は5000万を切り、10世紀後には500人です。さてどうします?