2. オールドカーの話
 私にとって3番目のマイカーちゃんも平均寿命はとっくに過ぎていると思うのでもうそろそろ・・・・。それにちゃんをつけて呼ぶほど若くもないし、最初から“老齢る”だった。
と言っても私の女房のことではない。早い話がマイカー“ローレル”のことである。昭和63年モデルだから、すでに It’s sixteen years old.である。最初の車は“フローリアン”(いすず)だったが中古車を譲り受けたもので数年間乗ってすぐに買い替えた。2番目の車は日産のファミリーカーの名車としてロングセラーを誇った“ブルーバード”だった。”青い鳥“はいつも自分のそばにいると「幸福な」14年間を乗り続けたが、寄る年波には勝てず、羽やわき腹あたりの錆が進み、腐食に耐えられなくなった。
 つぎに、年齢にふさわしく(?)無理をしてワンランク上のローレル(Laurel=月桂樹=勝利)に替えて今日に至っている。もちろん車に対する価値観は人によって皆違う。金持ちで、見栄っぱりの人、熱狂的な車趣味の人は常に高級車に乗りたいと願うだろうし、事故があったとき少しでも安全なように、大きくて頑丈(heavy-duty) な車を求める人もいるかと思えば、車はただ移動の手段であり、一人ないし5人が乗れさえすればいい。したがって少しでも安くて、燃費のよい(get good mileage)、小回りのきく小さい車の方がいいと思う人もいる。
 私の場合は、メカのことはあまり判らなかったが、セダン型で、トランクが少しでも大きい車が欲しかった。というのは病気の娘を乗せて病院や、施設に通うときどうしても車椅子が納まるだけのトランクのスペースが必要だったからである。そういう意味でもわがローレルは条件を満たし、愛車にふさわしい存在になった。最初のころは、誰もがそうであるように、頻繁に洗車をしたり、暇を見つけてはこまめに手入れもした。しかし、年数がたつと、忙しくて時間がないという口実で、次第に手入れの回数も少なくなり、最近は汚れた車を見てもあまり気にならなくなった。第一の理由は自分が年をとってきたせいかもしれない。
 毎日の通勤に使うわけではなく、街中を走り回ったり、時々遠出をするぐらいだから普通の人よりは少ないほうだろう。それでももう走行距離は11万kmを越えた。もちろん、ときどきはあちこちにガタが来て部品の取替え修理を余儀なくされるが、エンジンはすこぶる快調で、私の心臓より元気そうに聞こえる。
 家族とセールスマンは、早く買い替えてとせがむが、こんな不況の中で高額の買い替え出費の余裕はない。それに数社に買取り、下取りの査定をしてもらったら、もはや買取ると言ってくれるところはどこもなかった。それどころかスクラップでもいいといってもこちらから何万円か払わないと引き取ってさえくれないとのこと。こうなったら一日でも長く乗ったほうが得だと開き直りたくなってくる。見栄を張らなければまだ当分は問題なく走るかもしれない。
 確かに新車には惹かれるところがあるし、日本の場合は中古車を買ってもしばらくは故障の心配をしなくてすむという安心感は得られる。だが昭和の名車ブルーバードも、ローレルも製造廃止になった今、いくら待っても同じ名前の新車は生まれてこない。考えてみると, 世の中に今昭和生まれの車がどのくらい街を走っているだろうか。身近にある昭和の灯を消すのは何とも忍びない気もする。
 かく言う昭和の生き証人、自分自身の灯が消える日もカウントダウンに入って来た。だからと言っても、こちらは部品の取り替えも、買い替えも効かないときている。
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