9. 終身雇用のノスタルジー

  ほとんどの学生にとって、大学4年は就職の年であり、卒業までに少しでも早く就職先の内定を得ることを真剣に考える。したがって、大学での専門分野、景気の動向にもよるが、卒業時点では皆就職先が決まっている。と言うより決まるように真剣に就職活動を展開する。景気がいいときは一つの内定先では満足できず、4社も、5社も内定先を抱え、その中から自分の“一生を託す”職場を決めるのである。一旦就職をしたら、よほどのことがない限り、定年まですなわち一生その会社で勤め上げることを、自分も会社も当然のこととして了解している。途中で会社を代わるとか職を代わるのは“根性がない”とか“適応性がない”というマイナスのイメージがついて回るだけでなく、実際に給料、待遇面で不利になることが多い。したがって一つの会社での勤務年数は長いほど会社には喜ばれ、家族も安心する。
 これが終身雇用(lifelong employment)、年功序列(seniority system)と呼ばれるものであり、それがどこの企業でも当たり前のことであり、個人の人生も社会もその枠の中で動いてそれなりにうまく機能していたように思える。そう、20年ぐらい前までは世界が羨むわが国の伝統的経営管理制度であった。
 ところがである。今やあの頃がなつかしく思えるくらいに世の中はすっかり変わり過去のもとのなってしまった。新卒の学生が全員就職するということが当たり前でなくなったし、終身雇用を保証する企業の数が次第に少なくなっている。一方、年功序列賃金を廃止し、職能賃金を採用する企業が増えている。それどころか正社員になれたことがよほど幸運で特別のことのように考えられるようになった。すなわち契約社員は言うまでもなく、アルバイトやフリーターも職業と見做される時代であるが、当然のことながら、当人にとって決して心から望んでいるわけではなかろう。なぜなら、正社員に比べると明らかに不安定な雇用、不利な労働条件を強いられるからである。ただ今日の労働環境ではやむを得ないとあきらめている場合が多いのであろう。
 経営側から見ると、このような雇用状況、労働環境は欧米方式であり、合理的な方式だと歓迎する人もいる。しかし、私の観察では、景気の悪化、国際競争力の激化の中で生き残るためのやむを得ない対応行動の結果としか思えない。すなわち企業家は、生産コスト、経営コストの大きな部分を占める人件費の削減が何よりの合理化と考えて、非採算部門の縮小と機械化による人員削減(リストラ)を断行し、正社員を減らして契約社員とパート、アルバイトの比率をどんどん高めつつある。金融サービス業、製造業についても例外ではない。今や外食業界、小売業界のほとんどはこれら非正社員従業員で運営されていると言っても過言ではない。
 一方で、全国的に見れば、労働人口自体は少なくなっているはずなのに、臨時のパートや、アルバイトを大量に、恒常的に確保できるのであろうか。答えはイエスである。企業の正社員削減の背景には、それを可能にするアルバイト、パートの安定的供給源が存在するからである。女性、主婦の社会進出ということもあるが、もっと大きいのは学生達の飽くなきアルバイト熱であろう。 もちろん昔からアルバイトをする学生はいたが、それは”バイト生“と呼ばれたように授業料、生活費をまかなう一部の学生のことであった。
 今や、大学に行ったらアルバイトが出来るとか、アルバイトが学生生活の象徴と考えられたり、中には学業よりも、課外活動よりも、アルバイトを優先して、”裕福な”学生生活をエンジョイしているものもいるだろう。憂慮されるのは、このような傾向は特定の学校だけでなく、例外なく全国的な実情であるということである。このことが多くの企業に恒常的なアルバイト労働力の供給を可能とし、正社員の求人数を減らす口実を与えていることである。学生は、卒業時に求人数の少ないのを嘆く前に、在学中の自分たちのアルバイト熱が結果的に自らの首を絞めることになるということに思いが及ばないのだろうか。
 昔に比べると確かにフリーターは増えているが、さらに問題なのは最近ニートなる若者が急増し、昨年度(2003)は63万人にものぼるという。NEETとはNot in Employment, Education or Trainingの略で、定職につかず、かといって学校や研修所にも行っていない就職意欲のない無業者のことを指す(英国の労働政策の中から生まれた言葉)らしい。つまり「無理に働かなくても、どうなってもいいや」と労働意欲のない層が増えており、社会の不安要因とさえいう人もいる。これならまだフリーターのほうがましであろう。
 各種手当て、有給休暇、ボーナスを節約するためにアルバイトを雇う。正社員になったとしても、従来の雇用慣行であった「春闘」、「ベア」、「定昇」などが廃止ないし縮小されつつある。これらもいずれ死語と化す日が来つつある。「ボーナス」「退職金」「年金」も縮小しつつあるが・・・・
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