8. 食事は何時に?


 人は生きるために食べるのか、それとも食べるために生きるのか。昔、つまり20年ほど前までは両者を意識するものはあまりいなかった。つまり家庭では日に三度、決まった時間に食事をすることが当たり前であり、主婦は食事時(どき)になると家族のための食事を準備し、子供をはじめ家族全員が食事の時間に間に合うように帰宅をするように努めた。もし時間通りに帰れない場合は、職場や学校の食堂、弁当あるいは出前をしてでも決まった時間に食事をしたものである。
つまり食事をすること、食事の時間をとるということは誰にとっても必要不可欠なことであり、どこにいても、どんな仕事をしていても犯すことのできない基本的人権と考えられていた。子供の頃、夕食時に、遊びや、勉強に夢中になって「後でたべる」などというと「食事するのも仕事のうち、一緒に食べないと片付かないよ」とよく母に叱られたものである。このように食事はだれもが特別には意識しないが、自然に、当然に済ますべき日課であり、もちろん楽しみもあった。
  ところが時代は移り変わり、食事に関する考え方もずいぶん様変わりしてしまった。最近は、食べるために生きる派と生きるために食べる派の両極端に分かれているようである。
 前者にはグルメ志向と健康志向の両方が含まれている。テレビでは連日連夜料理やレストランに関する番組を放送しない日は一日だってないし、一般人の外食生活も“美味いもの”を求めて贅沢なグルメ行動は止まるところをしらない。飽食の時代と言われるゆえんである。同時に、若い人から高齢者まで、ダイエットないし健康的理由から食物や、料理についての強い関心を持って生活している人も多い。食事に強い関心を持っていると言う点ではどちらも同じである。
 逆に食事をすることに無頓着な人、特に若者も増えている。善意に解釈すれば、仕事、スポーツ、趣味などにあてる時間と金の方を優先させ、食べることは後回しにしたり、食事とは空腹を満たすためにお腹に入れなければならない“もの(stuff)”と考える。例えば、以前はどこの職場にも社員食堂があり、昼食時間があり、残業、夜勤のときは必ず食事の手配がされていた。
 しかし最近の夜間の塾、趣味の教室、スポーツジム、アルバイト、残業などの主催者は、重大な人権問題だと思うのだが、受講生や従業員の夕食のこと、夕食の時間のことなど考慮に入れていない。自分が必要なら都合のいい時間に勝手に食べてくれというのだろう。それらに参加する者はいつ食べるか、どこでたべるかを自分でやりくりしなければならなくなる。 アイスクリームやケーキ空腹満たして夕食の代わりにしたり、何も口にしないまま仕事や習い事を続け、それが終ってから帰宅して10時、11時ごろ夕食をとるか、あるいは帰宅しないで居酒屋に直行、酒飲みながらだらだらと12時、1時まで食べ続けるものも多い。
貧弱な食事内容、不規則な食事時間、栄養的に問題の多い外食三昧、など、「
学生を中心とする若者の食生活は今や栄養失調、生活習慣病(成人病)の危機に直面している」と専門家は一様に指摘する。たまになら仕方がないが、ほとんど毎日このような生活をしていると15年後、20年後に必ずつけが回ってくる(Play now, pay later.)ことが理解できないのか、理解できても行動が伴わないのか。 毎日決まった時間にすぐ近くで料理されたものを食べていた頃がなつかしくなるほど世の中は変わってしまった。人々のライフスタイルが多様化し、どこにいても、何をしていても手軽に食べものが手に入る。それを可能にするようなありとあらゆる外食ビジネスが隆盛を極めている。これを便利な時代と見るべきか、日本人の美徳であったけじめがなくなったとみるべきか。

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