自己紹介


 

 私の出身は台湾で、現在西南学院大学の商学部では「多国籍企業論」を担当しています。1990年4月に交流協会(日台断交後の日本の台湾窓口)の奨学生として来日、翌年九州大学経済学研究科に入学、今日まですでに11年(2001年4月現在)の歳月も経ちました。当初2年間で修士号をとって台湾のどっかの会社で働くと思っていました。いつの間にか博士課程まで進学、そして現在西南で教鞭を執るようになりました。
 何故自分がこの道を歩んだのかを振り返ってみれば、やはり兵役の時代から語らなければならないと思います。台湾では男性全員兵隊に入る義務(2〜3年間)が課されています。私も例外ではなく大学を卒業してからすぐ兵隊に入りました。水泳が得意なために空軍の「戦闘技術特殊部隊」に配属され、その時毎日射撃訓練、ランニング、および水泳訓練などばかりやって丈夫な体を鍛えたかわりに、頭がすっかり空っぽになってしまいました。これはまずいと思って基地の近くにある日本語教室に通い始めました。
 除隊後、ある程度日本語を身につけたため日系の貿易会社に入社、日本のことを知る機会が与えられました。そこで一年間くらい働いて「何故日本の企業が強いのか、何故厳しい国際競争のなかでトップの地位を維持できるのか、そして日本はどのような国なのか」というかなり素朴な疑問を抱き、それを追究するために日本への留学を心の中で決めました(しかし、かなり強い決意ではなかった)。その後、運良く交流協会の留学試験を受かって九州大学の研究生として来日しました。最初、修士課程が終わったらその貿易会社にもどるか他の会社で働くかと思っていましたが、修論が完成した時に「これで日本企業の強みがわかったのか、日本はどのような国なのか、最初に来日の目的を達成したのか、この3年間で何を勉強したか、このまま台湾へ帰るのか」と自問し、その答えはやはり「ノーやわからない」でした。そして博士課程に進学、現在西南で教鞭を執るようになりましたが、正直に言うといまでも自分に与えられているテーマが未解決のままという状態で、少しはわかったというよりもまだわからない部分がたくさん残っています。恐らくこれらの問題を解決するためには自分の終生のテーマにしなければならないでしょう。