要約

 「多国籍企業の移転価格戦略ー法人税率の国際的格差問題ー」

 多国籍企業は世界各地で事業活動を展開する際に様々な市場の不完全性の要因(税率格差、利子率の格差、政府規制など)に直面している。多国籍企業はこれらの市場の不完全性を回避ないしはそれを利用するための様々な方策を用いてきている。例えば、外国政府が製品の輸入制限を設立すると、多国籍企業は直接投資をおこなうことによってその輸入制限を回避しようとしてきた。そのことは、資本が相手国に移動することを意味する。その際、国際的法人税率の格差が存在する場合には、多国籍企業は移転価格1)をどのように設定するかによって利益を低課税国に移転させることも可能になっている。このことは、市場不完全性の要因の存在が多国籍企業による国際的な資金移動の主要な動機の一つになっていると考えられる。ここで問題となるのは、市場不完全性の要因の存在が、資金や利益の移動を生ずることになるが、そのことが企業財務の意思決定にどのようなインパクトを与えているのかということであり、その点に焦点を合わせて以下分析していくこととする。

 近年、多国籍企業の移転価格戦略に関する文献の多くは、その戦略を企業全体の利益最大化に関連づけて論じる場合が多い。その代表的なものとして、ニッケレス(Nieckels,1976)による研究をあげることができる。彼は、ヒルシュライファー(Hirschleifer,1956)やグールド(Gould,1964)らの国内の状況について設定した研究を国際的次元に拡張し、そして移転価格の調整によって多国籍企業が業績を改善させていることを証明した。また、これと同じような結論を導出したのは、ホースト(Horst,1971,1977)、コピソーン(Copithorne,1971)、ブース=ジャンセン(Booth and Jensen,1977)、エデン(Eden,1978)である。これらの研究は主に多国籍企業の税引後利益の最大化を目指して分析されたものである。しかしながら、これまでの移転価格戦略の議論において投資家の富である企業価値の問題はまったくされていなかった。従来、移転価格戦略の議論が、多国籍企業を一つの組織体とみて国際的税率の格差、国際間に跨っているものを、それを同一企業内の財やサービスの移転、会計的表示調整による利益額の操作の問題から出発し、企業全体の税引後利益最大化をもたらしているという分析であった。この限りでは、投資家レベルまでの分析は必要ではなかった。しかしながら、現在のように企業が大規模化し証券金融が盛んにおこなわれ、金融・資本市場が発達した段階において、特に企業内資金の移転を問題にする際に、多国籍企業の移転価格戦略を企業全体の税引後利益という観点だけではなく、企業への資本提供者である投資家(株主と債権者)の観点からみて果たしてその行動が投資家の利益にもつながるかどうかを検証する必要がある。換言すれば、多国籍企業が移転価格戦略による企業全体の利益最大化行動は株主と債権者の富である企業価値という観点から見て合理的な行動であるかどうかを検証する必要がある。

 本稿の主な目的はこれまでの議論の着眼点と異なり、企業価値という視点から多国籍企業による移転価格戦略の重要性および企業財務の意思決定におけるその役割を明確にすることにある。具体的には、

 1、法人税率の国際的格差を中心として、多国籍企業が移転価格戦略によって企業全体の税引後利益を最大化するだけではなく、企業価値という観点からみてその戦略が合理的な行動であるかどうかを検証する。

 2、それによって、移転価格戦略による資金や利益の移動における財務政策の意思決定を多国籍企業の企業価値の観点から、多国籍企業全体の投資、資金調達立地政策と移転価格戦略との関係を明らかにすることによって、より具体的な投資、資金調達政策を導出する。

 3、多国籍企業において財務政策の意思決定における移転価格戦略の位置付けを明確にする。