SEINAN SPIRIT

No.219 2021 autumn
MY ANSWER 人間科学部児童教育学科 門田教授 法学部国際関係法学科 多田教授

社会や時事問題に関する素朴な疑問に、
2人の教授が答えます。
それぞれの専門領域から導き出された
「マイアンサー」とは?
きっとあなたの知の扉を
開いてくれるはずです。

「嘘」をつくことは、悪いことですか?

人間科学部児童教育学科 門田教授の MY ANSWER

人間科学部児童教育学科 門田教授

3歳児の小さな『嘘』。成長に導く対応とは?

 私が専門とする乳幼児教育学の視点から『嘘』を考えた時、一番の関心事は「『嘘』によって伴う経験の質から、その子が『嘘』をどのように価値付けるのか」にあります。
 先日、観察調査で訪れた幼稚園で、3歳児のたかちゃんと先生が何やら話し込んでいたので、二人のやり取りを聞いてみました。どうやらクラスのお約束として触ってはいけないことになっている大きなつい立てに描かれている絵を、たかちゃんが触っていたようなのです。それを見ていた先生が、「たかちゃん、これ触った?」とたかちゃんに聞くと、たかちゃんは「触ってない」と『嘘』をついてしまいました。
 そこで先生は、「触ってなくて良かった。これ、重たいからね。倒れたらケガをするから、たかちゃんが触ってないって聞いて、先生、安心した」と言うと、たかちゃんはすかさず、「重たくなかったよ」と正直に言ってしまいました。先生は、笑いをこらえながら、「あれ?触ってないのに重いって分かったの?」とたかちゃんに聞くと、たかちゃんは恥ずかしそうに無言でうなずきながら、その場を後にしました。それを見ていた私も、たかちゃんの何ともかわいらしい『嘘』に思わず吹き出しそうになりました。
 さて、あなただったら、たかちゃんのこの『嘘』にどのように対応しますか?
 ここでのたかちゃんの『嘘』はとっさに出たものだったと思います。思いがけずルールを破ってしまったことに気付かされ、驚き、思わず「触ってない」と答えてしまったのでしょう。事実関係からすると、たかちゃんは『嘘』をついたことになりますが、ここで「嘘をつくことは悪いこと」と一刀両断するのは、たかちゃんが自らの経験を振り返る機会を奪ってしまうことになると乳幼児教育学では捉えます。
 恐らく、「先生、触ってしまってごめんなさい」と正直に告白することが、社会正義としては正解であり、一般的に、大人はそれを子どもたちに獲得して欲しいと願うのですが、『嘘』には価値観が伴うため、人からの押し付けで『嘘』への対処法を体得できるものではありません。
 つまり、「嘘を言ってはだめでしょう。謝りなさい」という子どもたちへの指導は、一時的な効果は期待できても、その人自身がその人自身の『嘘』に対する価値観をもって対応するためには、反芻する経験や時間も必要になると乳幼児教育学では考えます。たかちゃんの場合も、自分の行為を省察し、どう振る舞うべきかを思考錯誤する中で『嘘』とは何かを学ぶ時間が必要です。きっと、たかちゃんは先生とのやり取りの中でモヤモヤとした気まずさを感じたことでしょう。そのモヤモヤこそが大切であり、「嘘をつかない」という価値観を自らが形成するきっかけになります。
 もちろん、「3歳という成長過程だから、物事の善し悪しを教えることが大事」という考え方もあるでしょう。しかし、私はその『嘘』が持っている質(対象、程度、頻度、文脈等)を見極めながらかかわることが重要だと思っています。なぜなら、3歳児は『嘘』がいけないことかどうかの価値判断基準を自ら確立する力を持っていると考えるからです。

迷いが多い大人こそ、子どもから学んでほしい。

 さて、皆さんはたかちゃんの話から何を感じましたか?子どもの小さな嘘ですが、新たな視点や気付きがあったのではないでしょうか。
 情報過多の時代、大人でさえ迷ってしまうことが多々あります。そんな揺らぐ私自身に直面した時、会いたくなるのが子どもたちです。それは、子どもたちが、人間とは本来どんな生き物であるのかを私に思い出させ、私を人間に戻してくれるからです。醜く、意地悪で、悲しいけれど、優しくて純粋なところも持ち合わせた人間の原点を、人としての未分化な部分を持っている子どもたちは余すところなく私に教えてくれています。
 「嘘って何?」「優しさとは何?」「幸せとは何?」と自分の価値観が見えなくなった時は、ぜひ子どもと触れ合ってみてください。本来あるべき私らしさ、人間らしさを、子どもたちが教えてくれるはずです。

法学部国際関係法学科 多田教授の MY ANSWER

法学部国際関係法学科 多田教授

不利益や損害を与える「嘘」は法的にNG。

 「嘘をつくことは、悪いことですか?」を考えるにあたり、まず、嘘とは、「事実と異なることを知りながら表現された、事実と異なること」と定義します(あ、いつもの法学のクセで、概念・定義から入ってしまいました(笑)。お許しください)。
 では、法律で「嘘」はどのように扱われているのでしょうか。実は、「嘘をつくことは悪いことである」と断言する法律は見つかりません。しかし、「嘘=悪いこと」という考えを背景に持つ原理・原則は見つけることができます。例えば、私が研究している国際取引法では、「各当事者は、国際取引における信義誠実および公正取引の原則に沿って行動しなければならない」(ユニドロワ国際商事契約原則1・7条1項)や、「当事者の一方は、自己が相手方に生じさせた理解によって、相手方がそれを信頼して合理的に行動したものと矛盾する行為をすることによって、相手方に損失を負わせてはならない」(同1・8条)などの定めがあります。これらに出てくる「信義誠実」とは、“契約の相手に嘘をついて不利益や損害を与えてはならないこと”を1つの前提としています。「嘘をつくことは悪いことである」をもっと具体化している法規定を挙げるとすれば、偽証罪を定める刑法169条「法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、3月以上10年以下の懲役に処する」がそうでしょう。また、嘘によって商売を妨害した場合は偽計業務妨害罪(刑法233条)が成立します。これらをみると、嘘をつくことが犯罪になる場合があることがわかりますが、それは、国や市民の重要な利益が侵害される場合に限ります。
 つまり、社会生活一般で「嘘」をつくことは道徳的に悪いとしても、法的にすべて禁止されているわけではないといえます。

良い嘘、許される嘘の背景にあるものとは。

 法律の中で「嘘」が関わりうる別の場面として、証拠に基づき、判決の基礎となる事実を認定する「事実認定」があります。ドラマの裁判シーンで、「何が真実か」と裁判官が苦悩するシーンを見たことがあるのではないでしょうか。実際の裁判では、事実が不確かであっても裁判官は「これを事実とする」と事実認定をしなければいけません。もちろん、裁判官は、事実を見極める術を身に付けていますが、裁判官も人間です。被告人の生い立ちや境遇に心が動かされ、事実認定が影響を受けることもあるのではないでしょうか。
 また、世の中には「良い嘘、許される嘘」もあると私は考えます。江戸時代の名奉行・大岡越前は、法を重んじながらも人情味あふれる裁きで庶民に親しまれていました。娘を巡って母親二人が親権を争った裁判では、「娘の手を引っ張り合って勝った方が本当の母親だ」とルールを決めたにもかかわらず、腕を引っ張られて泣く娘を見て手を放した方を「本当の母親」と認めたのは、賛否両論ありますが、有名な話です。マンガ「ONE PIECE」に登場する嘘つき狼青年のウソップが、今度は本当だけど信じてもらえない「海賊が村を襲う」ことを、大切な人を守るためにそうなる前に海賊に戦いを挑んで、自分で「嘘にしてしまう」話は、正義を体現した話といえます。
 「嘘をつくこと」は、原則として悪いことです。しかし、そこに正義があれば、嘘は必ずしも悪ではないと私は考えます。ただし、「正義」とは人それぞれです。自分では正義だと思ってついた嘘が、誰かを傷つけることもあるかもしれません。だからこそ、何が正義かをしっかり考えなければならず、その根底に信頼を裏切らないという「信義誠実」の心があるのではないでしょうか。

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