SEINAN SPIRIT

No.222
MY ANSWER

社会や時事問題に関する素朴な疑問に、
2人の教授が答えます。
それぞれの専門領域から導き出された
「マイアンサー」とは?
きっとあなたの知の扉を
開いてくれるはずです。

「ファッション」には、どのような意味がありますか?

神学部神学科 金丸教授の MY ANSWER

挫折の闇に覆われる時にも、「きっと自分を取り戻す時が来る」という希望を捨てない。

 誰でも、挫折はするよりしないに越したことはありません。挫折がもたらす傷と苦悩は計り知れず、場合によってはそれがトラウマとなって、人格形成にまで影響を及ぼすことがあるからです。時々、「挫折を通して強くなった。成長した」という言葉を聞くことがあります。確かに、挫折にそのような「効能」がないとは言い切れないでしょう。がしかし、人生の先輩は「苦労は買ってでも…」とは言っても、「挫折は買ってでも…」と言っているのをあまり聞いた覚えがありません。恐らく、挫折には述べたようなネガティブな影響をもたらすことがあることを知っているからかも知れません。
 万全の注意を払い、事前に対策を講じても遭遇してしまう。それが挫折というものの特徴の一面だと思います。そのため、「大なり小なり挫折の経験がある」というのが私たちの偽らざる現実です。つまり、挫折と無縁な人はほとんどいないということです。ところが時たま、傍目には「挫折そのもの」の真っ只中にいながら、まるでそれを意識していない、囚われてもいないかのように、その時の自分を、人生を必死で、懸命に生きる人もいます。
 「望んでもいない挫折に見舞われる時、どう向き合えばよいのか。私はそれをどうくぐり抜けてきたのか」を改めて考えると、渦中の私を支えたのは、次の「覚悟」のようなものだったと思い出します。「自分自身を取り戻す時が、いつかきっと到来する」。その時は優先順位をつけられないほどに混乱していますので、まずその日1日分の、最低限やらなければならない事を「強いて」確認し、とにかくそれに手を付けて、片付けてみる。「自分自身を取り戻す時」がきっと来ることを待ちつつ、です。「私という人間の物語はまだ終わっていない」ので、「とにかく今日1日を頑張ってみよう」、そして「もう1日頑張ってみよう」という具合に、希望の糸を紡ぎながら、その時の自分の足元を「掘るように」しながら、どうにか過ごしていたように思います。
 そうするうちに状況を落ち着いて見渡せるようになると、「この挫折は私に何を語っているのか」と、挫折が自分に発する問いを考え始めます。「挫折の意味づけ」です。辛く苦しい中にさえも「自分を豊かにする何か」が隠されているのではないか、と考える時が増えました。

苦しい時には、聖書の言葉が支えになる。

 私自身も若い頃、大きな挫折の経験があります。自分を見失い、自分が存在する意味さえ喪失しかけていた時、再び前を向くきっかけをくれたのは、当時通っていたミッションスクールの授業で紹介された「聖書」でした。
 聖書には、挫折に遭遇し、その闇が自分自身を覆い尽くそうとする時に、それに飲み込まれず、振り回されず、自分を見失わせない言葉。そうした中でも、自分なりの精一杯の生きる道を照らす言葉。たとえ拙くても、そのように生きようとする願いとその営みを励ます言葉が詰まっています。苦しい時、そのような言葉が私自身を取り戻す足がかりとなりました。
 例えば、旧約聖書では「たとえ死の陰の谷を歩むとも/私は災いを恐れない/あなたは私と共におられ」(詩編23編4節)という言葉があります。また、新約聖書には「四方から苦難を受けても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、迫害されても見捨てられず、倒されても滅びない」(コリントの使徒への手紙4章8〜9節)という一節があります。これらの言葉は、イエス・キリストを我らのところに送り出された神、その子なる神であるイエス・キリストに信頼を置いて、そこに「自分」の存在の根を下ろし、過酷な人生の旅を生き抜いた信仰者の告白です。
 私たちの目には見えない究極の「他者」なる神は、いかなる時にも私たちと共にあることを良しとされ、それを選び取ること。この世の泣きたくなるような辛さの中にご自分の暖かな手を差し込み、そこに眼差しを注がれること。その神を、存在のすべてをもって体現されたイエス・キリストが今も生きていらっしゃること。私たちが向き直ってその方向へ顔を向ける時、今だ挫折にあってもなお、歩を前に進める力、励ましと希望を見出すはずです。西南学院大学は、そういう意味での「人生の指針」となる学びを学生の皆さんに提供する環境を備えています。これは1916年の創立以来の学院の伝統であり、使命(ミッション)です。
 心健やかに暮らしている時は、聖書の言葉が心に響くことはないかもしれません。しかし、思いも寄らぬ挫折を経験した時、大きな壁に打ちのめされた時、聖書の言葉は心のよりどころになります。紙に印刷されたただの言葉ではなく、言葉に命があるように生きる力を与えてくれます。
 これからの学生生活や卒業後の人生で挫折した時、ぜひ聖書を開いてみてください。必ずあなたに力をくれる言葉が見つかるはずです。

経済学部経済学科 加藤准教授の MY ANSWER

企業は競争の連続。挫折がイノベーションを生むきっかけに。

 私たちは、人生の多くの場面で「競争」をしています。例えば、大学入試の入学定員も、採用試験の採用人数も、資格試験の合格者数も、「枠」が限られています。その枠に入れるように私たちは互いに競い合っています。当然ながら、必ず枠から漏れる人が出ることになり、その人は競争に負けたことになり、挫折を経験します。
 では、私の研究分野である経済学の視点から、競争を例にして「挫折」について考えてみましょう。資本主義では競争が大前提です。企業は新商品の開発で競合他社としのぎを削ります。消費者に受け入れられる製品を生み出した企業が競争に勝ち、それ以外の企業は負けたことになります。
 しかし、一度の競争で勝負が決まるわけではありません。企業が存続する限り、競争は永続的に繰り返されます。競争に負けた企業は、次の製品開発に取り組むことになりますが、競争に負けたからといって全てが無駄になるわけではありません。これまでの開発のプロセスで培われたアイデアや前回の失敗から得た教訓が次なる開発に生かされます。その結果として、画期的な製品が生み出されることは多くあり、イノベーションはこうした経験を経て生み出されることが多いのです。
 その一方で、開発競争に勝った企業は、過去の成功体験にこだわるあまり、新しい製品を開発する動機が弱くなってしまい、なかなか次のイノベーションを起こせません。市場競争においては、こうした事例が往々にして起こっています。例えば、パソコンのOSの開発競争でマイクロソフト社に敗れたアップル社が、いち早くスマートフォンに軸足を移し、高いシェア率を確保している一方で、マイクロソフト社はスマートフォン市場で苦戦していることは皆さんもご存知でしょう。
 このように企業間の競争では、負けによる挫折が次のステップの原動力になることがあるのです。

挫折を乗り越えるには、気合いや根性よりもたくさん悩み、考えること。

 この考察は、私たちにも当てはめることができます。実際、何かの競争に負けて挫折したとしても、人生はその後も続き、新たな競争に巻き込まれます。挫折すると、しばらくは立ち直ることができませんが、いつまでも立ち止まっているわけにもいきません。気持ちが落ち着いたら、次のステップを見据えて、何をすべきなのかをじっくり考え、前進するしかありません。
 そして、前進するには気合いも根性も必要ありません。大切なのは、挫折の経験や自分を振り返ることです。失敗の原因や現在の自分が直面している状況を冷静に分析し、そこから自分なりの教訓を見つけ、行動に移す。自分一人で考えられなければ、人生の先輩である親に話を聞くのも良いでしょう。前進し続けることで、信念や価値観も大きく変わり、言うなれば、自分の中にイノベーションが起こり、成長につながります。
 挫折は絶望的な出来事であることは間違いなく、できれば経験したくないことです。しかし、同時に自分を変えるイノベーションを引き起こす要因になります。価値観が固定していない若いうちの挫折は、特にそういえるでしょう。もしも、挫折をしてしまった時は、「自分を大きく変えるチャンスが来た」と気持ちを切り替え、たくさん悩み、たくさん考え、挫折を突破しましょう。

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