世界がキャンパス 私の留学STORY ミネソタ州立大学マンケート校 [アメリカ] 国際文化学部国際文化学科 3年 三島 華恋さん (福岡舞鶴高等学校出身)

サポートの手厚さも、
留学先選定の決め手に。
 私の人生における目標は、国際連合に携わる仕事に就くことです。その前段階のキャリアプランとして、外務省在外公館派遣員やJICA海外協力隊などへの挑戦も視野に入れています。それらの目標のためにも、英語力を磨くことは必要不可欠でした。
 ミネソタ州立大学マンケート校への留学の決め手の一つは、留学生の多さと学生への支援の手厚さです。他大学と比べて学費が安い上に、ボランティア活動をすると学費が半額免除になったり、大学内の教会で食料を無料配布していたりと、サポートが多岐にわたっている点が大変魅力的でした。さらに、今回私は日本学生支援機構(JASSO)から海外留学のための奨学金を受給することができ、このような多くの支援があったことで、留学資金を現地での貴重な経験に使うことができました。
 留学するにあたって決めたモットーは、「楽しみながら頑張ること」です。現地では寮生活。無理のない範囲で節約のためにほぼ毎日自炊をしていました。小さな田舎町だったため、街へ遊びに出かけるというよりも、寮の中で楽しむのが定番に。もともとショッピングや夜の散歩が大好きな私にとって、車社会で危険なエリアもある大学周辺は、思うように活動ができず、正直物足りなさもありました。それでも友達とホームパーティーやクッキングパーティー、映画鑑賞会を開催するなどして、現地の友人たちと親交を深めることができました。また、休日にはずっと行ってみたかったワシントンD.C.にある「スミソニアン国立航空宇宙博物館」に行き、アメリカの視点で解説される太平洋戦争の原爆被害やその歴史的背景を深く考察。さらには、西海岸へ足を伸ばして、グランドキャニオンやラスベガスへも行きました。
予想だにしなかった
寮生活での苦い経験。
 しかし、留学中に私を苦しめるある問題が発生します。それは寮のルームメイトからの人種差別です。人種差別的な発言や嫌がらせ、さらには騒音や迷惑行為などで、留学の最初の半年間は散々悩まされました。初めは対話による解決を試みましたが、相手は一向に私の話を聞き入れず、なすすべなし。気付けば、私は過度なストレスにより体に異常が出て病院に行くまでに…。話し合いは無理だと気付いてからは、自分で自分の機嫌を取ろうと頭を切り替え、寮では常にヘッドホンを着けて周囲の音を遮断して音楽を楽しんだり、ルームメイトが寝静まった頃を狙って帰宅したりと、いろいろと工夫をしてストレスを軽減。これはモットーに掲げた「頑張りつつも、楽しむ気持ちを忘れない」という強い意志の表れだったと感じています。その後、ルームメイトの人種差別的な発言などの証拠をそろえて学内の事務局に通報。すると、すぐにほかの寮に移ることになり、そこでは親友と呼べる友人にも出会えました。
 激動の留学生活でしたが、この経験は、私に自分の可能性を信じる力、さらなる挑戦に踏み出す力を与えてくれました。あらゆる差別をはじめ、各地で武力紛争、貧困など今この瞬間も世界各地で苦しんでいる人がいます。だからこそ、私ができることを全力で見つけていきたい。この留学の経験が、人生の目標への思いをさらに強くしてくれました。
何を学びましたか?
 アルコール依存症とドラッグ依存症の問題について学んだ「Introduction to Alcohol and Drug Studies」では、実際に依存症に関わる職業の方にインタビューを行い、最終試験として論文を書きました。さらに、「Introduction to Multicultural & Ethnic Studies」ではミネソタ州に多い「モン族」を主体に多文化と多民族について学修。いずれも現地の学生と授業を受け、アメリカの視点で学んだことで、新たな発見や驚きがたくさんありました。
留学していた大学の
魅力は何ですか?
 他大学と比べて学費が安く、世界各国から留学生がやって来るため、学内は国際色豊かです。大学の先生や職員の方は、留学生にとても親切で、問題があればスムーズに対応してくれました。
留学中の印象的な
エピソードはありますか?
 都市部の薬物中毒者の増加が問題視されているアメリカ。私も留学中に動物用鎮痛剤を混ぜた「ゾンビドラッグ」という異名を持つドラッグの中毒者にたまたま遭遇したことがありました。その時はとても衝撃的でしたが、そんな影の部分も含め、アメリカの今を知ることができたのは、とても良い経験です。
Page Top ▴